メインメニューを開く

概要編集

青春時代に聴いた流行歌「丘を越えて」に触発され、作詞家を志すようになった。1935年に単身上京、印刷会社に就職し、合間を縫って自作の歌詞をレコード会社に売り込んだ。1937年に書いた「かわいい魚屋さん」が翌1938年にレコード化され、初のヒットとなった。その後音楽新聞社の記者を務めながら作詞を続ける。1946年に「みかんの花咲く丘」がヒット、1949年コロムビアと専属契約を結ぶ。1957年キングレコードに移籍後は、子供向けテレビ番組の主題歌「隠密剣士の歌」「快傑ハリマオ」などがヒットした。もともとは童謡や主題歌より歌謡曲の作詞家を志望しており、実際にいくつか歌謡曲の作詞も手掛けているが、そちらではなかなかヒットに恵まれなかった[2]。『音楽文化新聞』『ミュージック・ライフ』の編集長、日本大衆音楽協会理事長も務めた[1]

1984年には及川三千代とのデュエット曲「夫婦街道」で演歌歌手デビューも果たした。

主な作品編集

校歌編集

脚注編集

  1. ^ a b 加藤省吾(かとう しょうご)とは、コトバンク - 2019年2月15日閲覧。
  2. ^ 読売新聞文化部『唱歌・童謡ものがたり』岩波書店、1999年、148-149頁。ISBN 4-00-023340-8

関連項目編集