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勝崎 耕世(かつざき こうせい、1965年9月8日 - )は、日本のスポーツ指導者。琉球ブルーオーシャンズ所属。

勝崎 耕世
琉球ブルーオーシャンズ コンディショニングトレーニングコーチ
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県
生年月日 (1965-09-08) 1965年9月8日(54歳)
身長
体重
180 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

経歴編集

愛知県三好高校日本体育大学卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校入学、日本体育大学助手、日本体育大学大学院修士課程修了、同大学院博士課程満期退学。

1996年2003年まで日本プロ野球日本ハムファイターズのトレーニングコーチを担当。日本ハムの北海道本拠地移転に際して家庭の事情で帯同できないこともあり、中日ドラゴンズ監督に就任した落合博満監督に請われ、2004年から中日ドラゴンズのコンディショニングコーチを務め、4度のチーム優勝に貢献した。2011年オフに落合が退任するとともに退団。落合の8年間の監督時代で、最初から最後までコーチを務め続けていた3人のうちの1人だった[注 1]

2012年1月末韓国プロ野球ロッテ・ジャイアンツの臨時コーチとなり、同年3月25日、正式にトレーニングコーチとなったが同年限りで退任した。2013年オフに落合が中日ドラゴンズのゼネラルマネージャーに就任すると、2014年から再びコンディショニングトレーニングコーチとして中日に復帰した。なお、落合が2017年1月に退任してからも中日に所属していた。

落合監督時、勝崎と同じ期間だけ中日に所属し、勝崎の中日復帰時の監督代行・監督[注 2]だった森繁和2018年オフより中日のシニアディレクターに就任していたが、2019年オフに退団することが決定。すると、勝崎もそれに呼応するように同年10月4日、球団事務所で球団代表の加藤宏幸に今季限りでの退団の意思を伝え、同日に受諾された。退団理由は「若手育成のプランが立てられるようにと思っていたが、プランが確立したので自分の役目は終わったと思った」と話している[2]

2019年12月6日、沖縄初のプロ野球チームとして設立したばかりの琉球ブルーオーシャンズのコンディショニングトレーニングコーチを2020年から務めることが発表された[3]

プロ野球界にて選手経験はなく、コーチとしてのみ活動している。

人物編集

  • 2017年2月27日、北海道でのオープン戦への移動のためチームで那覇空港にいたところ、体調不良で倒れている男性に遭遇し、同じく中日コンディショニングコーチの宮前岳巳とともに空港職員に指示を出すなど人命救助を手伝った[4]。勝崎は国際救命救急協会の資格も持ち、街中でも何度か急病人の救助を行ったことがあるという[5]

背番号編集

  • 76(1996年 - 2000年)
  • 89(2001年 - 2003年)
  • 92(2004年 - 2012年、2014年 - 2018年)
  • 96(2019年)

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 森繁和、勝崎、石嶺和彦の3人[1]
  2. ^ 2014年と2015年は当時選手兼任監督だった谷繁元信が選手として試合に出場している際の監督代行2016年は谷繁休養(事実上の退任)中の監督代行。

出典編集

  1. ^ “落合博満が「なんで与田なんだ?」オレ流大咆哮”. Asagei Biz-アサ芸ビズ. (2019年4月1日). https://asagei.biz/excerpt/1711 2019年12月8日閲覧。 
  2. ^ “中日の勝崎コンディショニングコーチが退団 中日、日本ハムなどで長年トレーニングを指導”. 中日スポーツ. (2019年10月4日). https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201910/CK2019100402100022.html 2019年12月8日閲覧。 
  3. ^ “沖縄初プロ野球球団 琉球ブルーオーシャンズ コーチ決定のお知らせ” (PDF) (プレスリリース), 株式会社BASE, (2019年12月6日) 
  4. ^ “中日勝崎&宮前コーチが那覇空港で人命救助手伝う”. 日刊スポーツ. (2017年2月27日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1784985.html 2018年1月13日閲覧。 
  5. ^ 中日コーチが人命救助に一役!裏方の活躍にも注目”. プロ野球番記者コラム. 日刊スポーツ (2017年3月7日). 2018年1月13日閲覧。

関連項目編集