北豊津信号場
北豊津信号場(きたとよつしんごうじょう)は、北海道山越郡長万部町字豊津にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の信号場。電報略号はヨツ[2]。事務管理コードは▲140126[3]。旅客扱い末期の駅番号はH50。
北豊津信号場 | |
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待合室(北豊津駅時代、2009年9月) | |
きたとよつ Kita‐Toyotsu | |
◄H51 黒岩 (3.8 km) (4.6 km) 国縫 H49► | |
所在地 | 北海道山越郡長万部町字豊津 |
駅番号 | (○H50) |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■函館本線 |
キロ程 | 98.2 km(函館起点) |
電報略号 | ヨツ |
駅構造 | 信号場 |
ホーム | 2面2線[1] |
開業年月日 | 1944年(昭和19年)7月1日 |
歴史
編集太平洋戦争に伴う戦時輸送力強化の一環で設置された信号場である[2]。
当地には太平洋戦争終戦以前は陸軍の軍馬補充部豊津種馬所が所在したことや、戦後にも砂鉄の採集が行われていたことを理由に仮乗降場として旅客営業も行われており[4]、国鉄分割民営化と同時に駅に昇格したが、2017年(平成29年)3月4日に旅客扱いを廃止し[JR北 1]、信号場となった[5][6]。
年表
編集- 1944年(昭和19年)7月1日:国有鉄道函館本線の北豊津信号場として開設[7][8]。仮乗降場として旅客を取扱い[9]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
- 1953年(昭和28年)以降:専用線[注 1]発着貨物取扱い開始。
- 1967年(昭和42年)以降:貨物取扱い廃止[9]。
- 1970年(昭和45年)9月25日:当信号場 - 国縫駅間が複線化[10]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:無人化[8]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承。同時に駅へ昇格し、北豊津駅となる[8]。
- 1990年(平成2年)3月10日:営業キロ設定[9]。
- 1991年(平成3年)12月24日:駅舎改築[8]。
- 2007年(平成19年)10月1日:駅ナンバリングを実施[JR北 2]。
- 2016年(平成28年)6月2日:同じ長万部町の蕨岱駅、森町の桂川駅、東山駅、姫川駅と共に、JR北海道から各町へ2017年(平成29年)3月実施予定のダイヤ改正に合わせて廃止の意向を示す[新聞 1]。その後、長万部町は当駅の廃止を容認[新聞 2]。
- 2017年(平成29年)3月4日:旅客扱いを廃止[JR北 1]。再び北豊津信号場となる[5]。
信号場名の由来
編集所在地「豊津」の北方にあるため[11]。
もともと当地は「六津(ろこつ、ろくつ)」と呼ばれていたが[12][11]、信号場開設前の1940年(昭和15年)の地区名改正で地名が「豊津」となっている[11]。
「六津」の名称は長万部町と八雲町の境を流れるルコツ川のアイヌ語名である「ルコッ(ru-kot)」(足跡・くぼみ→道・沢)に由来し、これはかつてルコツ川沿いに瀬棚方面へ山越えする道があったことに由来するとされる[13]。
構造
編集もともと函館方が両開き、旭川方が下り線を直線とする片開き分岐器(いずれも安全側線なし)の単なる2線構造の信号場であったが[2]、1970年(昭和45年)に当信号場から長万部方が複線化される際に上り本線が単線区間に進入する直前の函館方の両開き分岐器に安全側線が付帯された[10][2]。
旅客扱い当時はこれに加え相対式ホーム2面2線が設置され、構内踏切で結ばれており[2]、ホームの脇に待合所があった[1]。
利用状況
編集砂鉄資源の枯渇による集落戸数激減以前は乗降人員も相当あったとされているが、以降は乗降もほぼない状態が続いていた[4]。
旅客営業当時の乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1978年(昭和53年) | 3.0 | [4] | 当時は仮乗降場の扱い | ||
2015年(平成27年) | 「10名以下」 | [JR北 3] |
周辺
編集隣の施設
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 『週刊 JR全駅・全車両基地』 11号 函館駅・大沼公園駅・倶知安駅ほか72駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2012年10月21日、23頁。
- ^ a b c d e 宮脇俊三、原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、43頁。ISBN 4-09-395401-1。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、215頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、807頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ a b 岩成雅和 (2017-08-01). “存廃に揺れる北辺の本線”. 鉄道ジャーナル (鉄道ジャーナル社) No.610: 56.
- ^ 「函館本線458.4km+α」『鉄道ジャーナル』No.628、2019年2月、27頁。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、11頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b c d 『道南鉄道100年史 遥』 北海道旅客鉄道函館支社 2003年2月発行。
- ^ a b c 停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II、P808-809。
- ^ a b 日本国有鉄道札幌工事局70年史編集委員会 編『札幌工事局七十年史』日本国有鉄道札幌工事局、1977年3月、191-194頁。doi:10.11501/12050108 。
- ^ a b c 太田幸夫 (2004-02-29). 北海道の駅 878ものがたり ~駅名のルーツ探求~ (1 ed.). 札幌市: 富士コンテム. p. 33. ISBN 4-89391-549-5
- ^ 本多貢 (1995-01-25). 児玉芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 98. ISBN 4893637606. OCLC 40491505
- ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日、415頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ 『広報おしゃまんべ 平成29年4月号』(PDF)長万部町、7頁 。2021年12月27日閲覧。
- ^ “平成29年11月1日ダイヤ改正のお知らせ” (PDF). 函館バス. 2019年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月27日閲覧。
JR北海道
編集- ^ a b 『平成29年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2016年12月16日 。2016年12月16日閲覧。
- ^ 『駅番号表示(駅ナンバリング)を実施します』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2007年9月12日。オリジナルの2007年9月30日時点におけるアーカイブ 。2014年9月6日閲覧。
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
新聞記事
編集- ^ “JR北海道、道南5駅3月廃止 森、長万部両町に意向” (日本語). 北海道新聞. どうしんウェブ/電子版(経済) (北海道新聞社). (2016年6月3日). オリジナルの2016年6月9日時点におけるアーカイブ。 2016年6月9日閲覧。
- ^ “JR北海道、17駅の廃止打診 名寄「北星」、幕別「稲士別」も” (日本語). 北海道新聞. どうしんウェブ/電子版(経済) (北海道新聞社). (2016年10月2日). オリジナルの2016年10月1日時点におけるアーカイブ。 2016年10月2日閲覧。
関連項目
編集- 日本の鉄道駅一覧
- 所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ! ー 当駅を取り扱った特集が廃駅当日に放送された。