名古屋市立西陵高等学校
名古屋市西区の市立高等学校
名古屋市立西陵高等学校(なごやしりつ せいりょう こうとうがっこう, 英: Nagoya City Seiryo High School)は、愛知県名古屋市西区児玉二丁目にある市立の高等学校。
名古屋市立西陵高等学校 | |
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北緯35度11分45.6秒 東経136度53分4.68秒 / 北緯35.196000度 東経136.8846333度座標: 北緯35度11分45.6秒 東経136度53分4.68秒 / 北緯35.196000度 東経136.8846333度 | |
過去の名称 |
名古屋市立西陵高等学校(第一次) 名古屋市立西陵商業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
学区 | 専門学科 Aグループ |
校訓 |
Study(勉強) Sports(スポーツ) Solidarity(連帯) |
設立年月日 | 1948年(昭和23年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 総合学科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D123210001552 |
高校コード | 23236A |
所在地 | 〒451-0066 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集設置課程・学科
編集- アカデミー系列
- 健康スポーツ系列
- 国際ビジネス系列
- ビジネスマネジメント系列
- 情報メディア系列
- 介護福祉系列
沿革
編集旧制
編集- 1919年(大正8年)- 「名古屋市立第二商業学校」が開校[1]。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、「名古屋市立第一工業学校」・「名古屋市立女子商業学校」に転換。
- 1946年(昭和21年)- 「名古屋市立第二商業学校」が復活(ただし市立一工・市立女子商も引き続き存続)。
新制
編集- 1948年(昭和23年)
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 機械科・電気科・工業化学科を名古屋市立工業高等学校に移管。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 工業課程が分離し、名古屋市立工芸高等学校として独立。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 普通科の募集を停止し商業科のみに、「名古屋市立西陵商業高等学校」に改称。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 商業科の募集を停止。総合学科に改組し、再び「名古屋市立西陵高等学校」に改称。
- 2007年(平成19年)
備考
編集全日制課程専門学科及び総合学科Aグループに属する。
教育目標
編集人類の平和と福祉をねがい、社会の有為な形成者としての資質をもち、創造力にあふれた誠実な人格を育成する。
- 生徒の個性を伸ばし、科学的態度を育てるとともに、実践的、積極的な意欲を養う。
- 生涯学習社会に適応できる基礎学力と進路に応じた専門的知識・技術を修得させる。
- 健全な心身の育成に努め、豊かな情操と明朗な性格を育てる。
校訓
編集Study(勉学)・Sport(運動)・Solidarity(連帯) 3S精神(スリーエス・サンエス)
部活動
編集ラグビー部と、女子のバレーボール部(ビーチバレー)が全国大会で好成績を挙げている。
ラグビー部は第76回全国高等学校ラグビーフットボール大会(平成8年度(1997年1月))で全国優勝している。
著名な出身者
編集- 山本悍右(写真家 名古屋市立第二商業学校時代に在籍)
- ザ・ピーナッツ(伊藤エミ・ユミ 西陵商業高等学校時代に在籍 2年次修了時に中途退学)
- 芦沢孝子(女優 西陵商業高等学校時代に在籍)
- 石田大起(ラグビー日本代表 西陵商業高等学校時代に在籍)
- 石田元成(ラグビー日本代表 西陵商業高等学校時代に在籍)
- 吉田敏洋(競輪選手 西陵商高時代はラグビー部所属)
- 若松将弘(元 競輪選手 西陵商高時代はラグビー部所属)
- 水谷望愛(レースクイーン)
- 後藤和彦(ラグビー選手)
- 藤井淳(ラグビー日本代表)
- 渡邊友哉(ラグビー選手)
- 藤井諒(ラグビー選手)
- 磯辺裕太(ラグビー選手)
- 浜野達也(ラグビー選手)
- 平野叶翔(ラグビー選手)
- 牧野潔(元プロ野球選手 名古屋市立第二商業学校時代に在籍)
- 永田虹歩(ラグビー女子日本代表)
脚注
編集- ^ 魅力ある市立高等学校づくり推進基本計画 (PDF) - 名古屋市教育委員会ウェブサイト