和木沢村

日本の福島県安達郡にあった村

和木沢村(わぎさわむら)は、かつて福島県安達郡に存在したである。後に分割合併、白沢村本宮町に分かれるが、その2町村が2007年1月1日合併、本宮市となる。

わぎさわむら
和木沢村
廃止日 1955年4月30日
廃止理由 分割合併
白岩村和木沢村(和田・糠沢) → 白沢村【新設】
和木沢村(高木) → 本宮町【編入】
現在の自治体 本宮市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
安達郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 28.27 km2.
総人口 7,130
1950年
隣接自治体郡山市二本松市大玉村
和木沢村役場
所在地 969-1204
福島県安達郡和木沢村糠沢字小田部1番地
座標 北緯37度30分29秒 東経140度26分12秒 / 北緯37.50794度 東経140.43661度 / 37.50794; 140.43661座標: 北緯37度30分29秒 東経140度26分12秒 / 北緯37.50794度 東経140.43661度 / 37.50794; 140.43661
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地理 編集

福島県のほぼ中央に位置し、南は郡山市、北は二本松市に隣接する。

現在の本宮市の中部、旧本宮町の東部、旧白沢村の西部に位置する。

丘陵地が多く、その地形を利用した農業が盛んである。行政はほとんどが糠沢地区に集中している。西部に阿武隈川が流れる。現在は開発が進み、その丘陵地も団地競技場工業団地などになっている。

隣接自治体 編集

本宮町仁井田村(現本宮市、旧本宮町白岩村(現本宮市、旧白沢村石井村杉田村(現二本松市日和田町西田村(現郡山市) - 1889年(明治22年)4月1日現在

歴史 編集

村名は、「和田」の、「高木」の、「糠沢」のを組み合わせ、和木沢とした。

年表 編集

  • 縄文時代 すでに人が住んでいた。(高木・北ノ脇遺跡より)
  • 1889年(明治22年)4月1日 市町村制施行。和田村、糠沢村、高木村が合併、安達郡和木沢村となる。
  • 1955年(昭和30年)4月30日 - 市町村合併により和木沢村は消滅。
    • 和木沢村高木地区が本宮町へ編入される。
    • 白岩村、和木沢村和田地区・糠沢地区が合併、白沢村となる。
      • 以上の2つは、境界変更合併であり、高木地区と糠沢地区の一部が本宮町と,糠沢地区・和田地区が白岩村と合併したものである。前者は編入合併、後者は新設合併となる。

変遷表

1868年
以前
明治22年
4月1日
昭和30年
4月30日
平成19年
1月1日
現在
和田村 和木沢村 白沢村 本宮市 本宮市
  糠沢村
  本宮町
に編入
高木村

大字 編集

  • 和田(わだ)
  • 糠沢(ぬかざわ)
  • 高木(たかぎ)

人口・世帯 編集

人口 編集

総数 [単位: 人]

1889年(明治22年)    3,803
1920年(大正 9年)      4,986
1947年(昭和22年)      6,965

世帯 編集

総数 [単位: 世帯]

1920年(大正 9年)    922
1947年(昭和22年)   1,145

行政 編集

明治維新までは、旧各村の地主(和田2、糠沢2、高木1)によって村治が行われていたという。村長という名称で村治を行ったのは和木沢村になってからである。

氏名 就任年月日 退任年月日
初代 登榔次郎左衛門 明治22年6月26日 明治26年6月25日
2 國分半之右衛門 明治26年6月26日 明治30年6月25日
3 渡辺勘之亟 明治30年6月26日 明治32年11月27日
4 日向直左衛門 明治32年12月6日 明治36年8月12日
5 渡辺吉十 明治36年10月2日 明治37年5月16日
6 古田部健太郎 明治37年5月20日 明治37年10月30日
7 渡辺勘之亟 明治37年11月21日 明治41年11月20日
8 國分佐與吉 明治41年11月22日 明治45年2月23日
9 古田部健太郎 大正元年10月30日 大正3年4月18日
10 影山治郎八 大正3年7月2日 大正7年7月1日
11 北山源五郎 大正7年7月27日 大正11年7月26日
12 市川三郎 大正11年7月27日 大正15年7月26日
13 日向四郎次 大正15年7月27日 昭和5年7月26日
14 市川三郎 昭和5年7月27日 昭和13年11月21日
15 三瓶久徳 昭和13年11月22日 昭和17年11月21日
16 影山庄之助 昭和17年11月22日 昭和21年11月21日
17 菅野孫十 昭和22年4月5日 昭和30年4月29日

その他に、助役(内名誉助役と有給助役に分かれる)と収入役などが存在した。

村会議員 編集

各旧村にも村会議員は存在していた。和木沢村時代は約290人もの村会議員が活躍していた。(合併後〜分離まで)

行政区 編集

和木沢村には行政末端組織が置かれた。発足前各村にも行政区が存在したが改め、明治22年7月17日の村議会で、今まで「〜番組」と呼ばれていたものを「〜区」と改称することを決定した。この名残なのか、高木地区では現在でも「〜番組」の呼び方がある。「〜番組」の呼び方は、旧本宮町に伝わる太鼓台の区分けにも使用されている。

明治22年7月17日議決の区

区名 区域(旧名称)
小田部区 糠沢一番組
堀ノ内区 二番組
日向区 三番組
高松区 四番組
八幡区 五番組
城ノ内区 六番組
作区 七番組
岩崎区 八番組
大沢区 和田一番組
西明内区 二番組
喜多区 三番組
屋口区 四番組
明石内区 五番組
久保区 六番組
平茂内区 七番組
柳田内区 八番組
作田区 九番組
諏訪区 十番組
戸ノ内区 十一番組
根岸区 高木六・七番組
舟場区 五・八番組
高木区 四・九番組
大屋敷区 一・二・三番組

この区名の中には、この区名が発祥とも言われる苗字がある。

戸数・人口 編集

戸数・人口共に増え続けている。現在は不明だが、和木沢村時代は少なくとも60年ほどの間に4000から5000人増えている。

戸数(戸) 人口(人)
明治20 587 3655
明治35 580 4668
明治36 590 4958
明治37 579 5008
明治38 571 4989
明治39 572 5039
明治40 561 5039
明治41 541 5143
明治42 546 5232
明治43 547 5201
明治44 545 4961
大正元 545 5314
大正2 544 5114
大正3 544 5129
大正4 544 5019
大正5 544 4978
大正9 922 4986
大正14 782 5037
昭和5 831 5513
昭和10 859 5645
昭和15 855 5603
昭和25 1109 7130

産業 編集

農業 編集

和木沢村は、阿武隈山系の中に位置し、交通の便にも恵まれていないため、立地条件からほとんどの家庭が農業を営む純農村だった。しかし晩年になると、商工業が進出してき始め、村の農家も副業を持つようになって来た。 村の基幹作目は、養蚕である。米は、冷害などで大凶作が起こることもしばしばあったが、農家経済を維持してきた。養蚕は古い歴史があり定着したが、数々の経済恐慌が発生している。しかし、人々の努力により、主産地を形成するまでいたった。

補完作目は、畜産たばこである。畜産は、当時馬産を主にしていたため、あまり目立つものはなかったが、黒毛和種の導入後、飛躍的に増殖が見られた。酪農も発展し、蓄農村として伸展した。 たばこも、明治以来耕作されてきたが、面積に制約があった。しかし昭和28年ごろには、面積、人員共にアップし、農業収入の高割合を占めるようになった。(阿武隈高地地帯はなぜかたばこや養蚕がさかんである。)

公園 編集

高松山ふれあい公園(旧本宮町との境界付近にある高台が高松山。そこの頂上にあるのが記の公園である。)

教育 編集

中学校 編集

  • 和木沢村立和木沢中学校(学区は村内全域)

小学校 編集

  • 和木沢村立和田小学校(学区は同村内和田地区)
  • 和木沢村立高木小学校(学区は同村内高木地区)
  • 和木沢村立糠沢小学校(学区は同村内糠沢地区)

交通 編集

鉄道 編集

当時鉄道は存在しなかった。現在は村内和田地区と糠沢地区に東北新幹線が通っているが、駅はない。一番近い駅は同市内の本宮駅

道路 編集

公共交通機関バスのみ存在。

その他 編集

  • 糠沢地区には、旧糠沢村の村名の由来ともされる糠塚古墳がある。
  • 和田地区には、旧和田村の村名の由来ともされる椀田の泉がある。

参考文献 編集

関連項目 編集