野田良之
日本の法学者 (1912-1985)
(土居香国から転送)
野田 良之(のだ よしゆき、1912年10月15日 - 1985年10月11日)は、日本の法学者(フランス法・比較法)。東京大学名誉教授。外交官・野田良治の長男[1]。
人物
編集日本における比較法学の草分けであり、「比較法文化論」という言葉を作ったといわれる。ブラジル合衆国ペトロポリス市生まれ。父は外交官。生涯独身であった。門下生に稲本洋之助ら。1959年に日仏法学会を設立した。
略歴
編集学歴
編集職歴
編集家族
編集- 父・野田良治(敬天牧童、1875年 - 1968年) - 丹波国何鹿郡で野田金右衛門(俳号・悟霊堂琴山)の二男として生まれ、大阪泰西学館、東京専門学校を経て、1897年に公使館領事館書記生試験に合格して外務省に入省、釜山、マニラ、メキシコ、ペルー、チリ、ブラジルなどで勤務し、1935年に退官した[1][3][4]。日葡辞典(有斐閣、1963年)を編纂のほか、南米関連書、詩集などを出版した[1]。良治の弟・野田実之助(1889年生)も外交官[3]。
- 母・三喜(1887年生) - 土居通予(土居香国、1850年 - 1921年、高知生まれ)の四女[3]。父の通予は奥宮慥斎に師事して陽明学を学び、土佐藩藩校などで学んだのち、1870年、高岡郡寒原村に招かれ学校を開く[5][6][7]。1875年上京して古沢滋の食客となり、元老院書記生に出任、高知県官、立憲政党新聞社記者、梅花女学校教師、秋田県官などを経て逓信省參事官となり、名古屋郵便電信局長遞信書記官を経て陸軍郵便部長として台湾駐在後、東京郵便電信局長、京都郵便電信局長などを歴任したのち、逓信省通信事務官郵便爲替貯金管理所長を務めた[5][6]。土居香国の号で詩人としても知られ、各任地での詩文人と交流し詩名を高め、のち随鷗吟社に参加、やがて森槐南のあと社務をとった[8]。
- 姉 - 海外枝、里眞耶、南美枝[3]
- 妹 - 英枝、雅子、文子、美津子、美季子[3]
- 弟 - 良国、良伯[3]
著作
編集著書
編集- 教育の理想 コンドルセの民主主義教育論 弘文堂 1950
- 法における歴史と理念 東京大学出版部 1951 「法と社会」叢書
- フランス法概論 上巻 第1・2 有斐閣全書 1954-55
- 内村鑑三とラアトブルフ 比較文化論へ向かって みすず書房 1986.12
- 栄誉考 柏随想 みすず書房 1986.5
翻訳
編集- 現代法の諸問題 ジュリオ・ド・ラ・モランディェール 共訳 日仏会館 1938 (比較法学叢書)
- 民法典序論 ポリタリス 日本評論社 1947 (法学叢書)
- ありし日の音楽家たち ロマン・ロラン全集 第57巻 みすず書房 1952
- 社会主義の文化理論 グスタアフ・ラアトブルフ みすず書房 1953
- フランス音楽史 ロマン・ロラン作品集 第9集 みすず書房 1954
- 法と国家 G.デル・ヴェッキオ 小菅芳太郎共訳 紀伊国屋書店 1959
- グスタフ・ラートブルフ著作集 第8巻 社会主義の文化理論 山田晟共訳 東京大学出版会 1961
- 音楽研究 第2 ロマン・ロラン全集 第21 みすず書房 1965
- 日本見聞記 フランス人の見た明治初年の日本 1・2 ジョルジュ・ブスケ 久野桂一郎共訳 みすず書房 1977
- 法の精神 モンテスキュー 各・全3巻、岩波書店 1987-88、岩波文庫 1989
記念論集
編集解説
編集脚注
編集- ^ a b c 政尾藤吉伝補遺香川孝三、Journal of International Cooperation Studies, Vol.15, No.1(2007.7)
- ^ 山口俊夫ほか 編『東西法文化の比較と交流――野田良之先生古稀記念』有斐閣、1983年6月、853頁。NDLJP:11893210/434。851-853頁の「野田良之先生略歴」のほか、871頁のあとがきにも"1973年定年退官"と記載。
- ^ a b c d e f 野田良治『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 敬天牧童コトバンク
- ^ a b 『日本之精華』北川由之助 毎日通信社 大正3、高知県p15
- ^ a b 土居通豫『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月]
- ^ 『秋田県管内名士列伝 : 国会準備』渡辺真英 北辰堂 明23.3, p8
- ^ 土居香国コトバンク