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艦歴
計画 1937年度(マル3計画
起工 1937年12月9日
進水 1939年2月23日
就役 1940年8月31日[1][2]竣工
その後 1942年2月9日戦没
除籍 1942年2月28日
性能諸元
排水量 基準:2,033トン
全長 118.5m
全幅 10.8m
吃水 3.8m
機関 ロ号艦本式缶3基
艦本式衝動タービン2基2軸
52,000馬力
速力 35.5ノット
航続距離 18ノットで5,000
乗員 239人
兵装 50口径三年式12.7センチ砲連装×3
25mm機銃連装×2
61cm魚雷発射管4連装×2
爆雷16個

夏潮(なつしお/なつしほ)は[3]藤永田造船所で建造された日本海軍駆逐艦[4]陽炎型駆逐艦(一等駆逐艦)の6番艦である[5]1942年(昭和17年)2月8日夜、「夏潮」は上陸船団護衛中にスラウェシ島マカッサル沖において潜水艦に雷撃されて大破[6][7]。姉妹艦「黒潮」による曳航中の2月9日、浸水が進んで沈没した[8][9]。なお、本艦は陽炎型全19隻のうち最初の沈没艦となった[10]。艦名は海上自衛隊のなつしお型潜水艦「なつしお」、はるしお型「なつしお」に継承された。

艦歴編集

太平洋戦争前編集

駆逐艦「夏潮」は[11]、陽炎型駆逐艦の6番艦[5]藤永田造船所1937年(昭和12年)12月9日に起工[1]1938年(昭和13年)9月20日、日本海軍(米内光政海軍大臣)は舞鶴海軍工廠で建造の陽炎型4番艦を『親潮』、藤永田造船所の陽炎型6番艦(本艦)を『夏潮』、川崎造船所の陽炎型7番艦を『初風』と命名した[3][12]。 同日附で、各艦(親潮、夏潮、初風、伊号第十八潜水艦伊号第二十潜水艦伊号第二十二潜水艦第十一号掃海艇第十二号掃海艇)は、それぞれ艦艇類別等級表に登録[13]

「夏潮」は1939年(昭和14年)2月23日進水[1][10]。本艦の建造は陽炎型3番艦「黒潮」と同時に進められた[14]。同年4月11日、藤永田造船所で陽炎型11番艦「浦風」が起工[15]。同年10月18日、藤永田造船所で陽炎型14番艦「谷風」が起工[16]。藤永田造船所は陽炎型4隻(黒潮、夏潮、浦風、谷風)を同時に建造することになった。

1940年(昭和15年)1月27日、藤永田造船所で姉妹艦「黒潮」が竣工する[17]。 5月1日、日本海軍は睦月型駆逐艦5番艦皐月艦長[18]白露型駆逐艦8番艦山風艦長[19]吹雪型駆逐艦浦波艦長[20]等を歴任した野間口兼知中佐を夏潮艤装員長に任命した[21]。同日附で早潮艤装員長も任命されている[21]。 5月3日、藤永田造船所に夏潮艤装員事務所を設置する[22]

同年8月31日、「夏潮」は竣工した[1][2]。陽炎型5番艦「早潮」(浦賀船渠建造艦)と同日附の竣工であった[23]呉鎮守府籍。野間口艤装員長は制式に夏潮駆逐艦長(初代)となる[24]。夏潮艤装員事務所も撤去された[25]。 同日(8月31日)附で、日本海軍は既に竣工していた陽炎型4番艦「親潮」(8月20日竣工、舞鶴海軍工廠建造艦)[26][27]と、完成したばかりの「夏潮」と「早潮」で第15駆逐隊を編制した[28]。 駆逐隊司令には、初春型駆逐艦2番艦子日初代艦長や吹雪型1番艦吹雪艦長[29]、第7駆逐隊司令[30][31]、特務艦野島特務艦長[32][33]等を歴任した植田弘之介大佐が任命されている[34]。編成直後の第15駆逐隊は、呉鎮守府練習駆逐隊となる[35]。 11月15日、第15駆逐隊は第二艦隊(司令長官古賀峯一中将)・第二水雷戦隊(司令官五藤存知少将)に編入[36][37]。同時に第16駆逐隊に所属していた姉妹艦「黒潮」が第15駆逐隊に編入され、15駆は定数4隻(黒潮、親潮、早潮、夏潮)を揃えた[36]

1941年(昭和16年)6月18日、第15駆逐隊司令は植田大佐から佐藤寅治郎大佐(前職第4駆逐隊司令)[38][注 1]に交代した。 6月23日、日向沖で実施された演習で駆逐艦3隻(夏潮、峯雲、黒潮)が絡む多重衝突事故が発生する[40]。「夏潮」は朝潮型駆逐艦8番艦「峯雲」(四水戦、第9駆逐隊)に衝突され、夏潮は右舷中央部に損傷被害をうけた[41][42]。さらに後進をかけた「峯雲」と、前進してきた「黒潮」が衝突する多重事故が発生した[43]。損傷艦は呉海軍工廠で修理をおこなった[44]。 9月1日、第二艦隊司令長官は古賀峯一中将から近藤信竹中将に交代[45]。9月6日、本艦は修理を完了する[46]。 9月15日、第二水雷戦隊司令官五藤存知少将は第六戦隊(青葉加古衣笠古鷹)司令官へ転任[注 2]、後任の二水戦司令官は田中頼三少将(当時、第六潜水戦隊司令官)となった[47]。 10月20日、野間口(夏潮艦長)は第5駆逐隊(春風朝風旗風松風)司令を命じられ、長井純隆中佐(当時、海軍省人事局局員)が二代目夏潮駆逐艦長となる[48]。長井は初春型2番艦子日二代目艦長だった事がある(前の15駆司令植田大佐は、子日初代艦長)[29]。 10月25日、佐藤(15駆司令)は司令駆逐艦を「早潮」から「夏潮」に変更した[49]

南方作戦編集

太平洋戦争開戦時、陽炎型姉妹艦4隻(黒潮親潮早潮、夏潮)は引続き第15駆逐隊(司令佐藤寅治郎大佐)を編制、第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将:旗艦神通)に所属し[50]、比島部隊(指揮官高橋伊望中将/第三艦隊司令長官)の指揮下にあった[51][52]。 当事の第二水雷戦隊は、第15駆逐隊以外に第8駆逐隊(大潮朝潮満潮荒潮)、第16駆逐隊(雪風時津風初風天津風)、第18駆逐隊(不知火陽炎)が所属していたが、第8駆逐隊は南方部隊本隊(指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官)[53]、第18駆逐隊は南雲機動部隊警戒隊(指揮官大森仙太郎第一水雷戦隊司令官)に所属しており[54]、第二水雷戦隊本隊とは別行動である[52]

1941年(昭和16年)12月上旬より、第15駆逐隊(夏潮、黒潮、親潮、早潮)と第16駆逐隊(雪風、時津風、天津風、初風)をふくむ南方部隊(指揮官近藤信竹中将、第二艦隊司令長官)は、南方作戦にともなうミンダナオ島ダバオルソン島レガスピー[55]ホロ島ホロ攻略作戦[56][57]に参加した[4][58]。パラオ出撃時の「夏潮」は、空母「龍驤」を護衛していたという[59]。12月25日のホロ島攻略時[56]、夏潮陸戦隊員から戦死者1名を出す[60]。比島作戦は順調に進み、日本軍は制空権・制海権を掌握した[61][62]

フィリピン方面の作戦が一段落すると比島部隊の大部分は蘭印部隊となり、東南アジアでの作戦に従事する[63][64]。12月30日、第五戦隊(司令官高木武雄少将。妙高、羽黒、那智)がダバオに到着し、所在先任指揮官は田中頼三第二水雷戦隊司令官から第五戦隊司令官に交代した[65]

1942年(昭和17年)1月4日、連合軍のB-17重爆数機がダバオのマララグ湾に飛来し、在泊艦隊に空襲をおこなう[66]。蘭印作戦に関係する多くの艦艇がダバオに集結しており[67]、重巡「妙高」(第五戦隊旗艦)が被弾して死傷者多数を出した[66]。「妙高」被弾の様子は「夏潮」からも見えたという[68]。第五戦隊旗艦(蘭印部隊旗艦)は「那智」に変更された[69]。 1月7日、蘭印部隊は蘭印作戦を開始した[70]。東方攻略部隊(支援隊〈那智、羽黒、雷、電〉[注 3]、第二護衛隊〈神通、第15駆逐隊、第16駆逐隊、第21掃海隊、第5駆潜隊、哨戒艇3隻、佐世保聯合陸戦隊〉、第一根拠地隊〈長良、駆潜艇・掃海隊〉、第二航空部隊〈第十一航空戦隊〔千歳、瑞穂〕、哨戒艇、佐世保聯合陸戦隊、漁船部隊〉、横須賀第一特別逐戦隊/海軍空挺部隊)はスラウェシ島北東部ミナハサ半島メナドを攻略する[71][72][73]。メナド攻略は日本海軍単独で行われた[74]。メナドへの空挺降下は日本軍最初の空挺作戦であったが、日本陸軍の申し入れにより、海軍側は空挺作戦の実施報道を延期した[75][76]。 1月12日夕刻、メナドのオランダ軍守備隊は同地を放棄した[77]。1月15日から16日にかけて、第15駆逐隊(夏潮、親潮、黒潮、早潮)、第16駆逐隊(初風、雪風、時津風、天津風)、第21掃海隊は索敵機からの「敵潜水艦30隻発見」の報告をうけて、モルッカ海において対潜掃蕩を実施した[78][79]。この「敵潜水艦30隻」はの誤認であった[80]

1月21日以降、東方攻略部隊はスラウェシ島ケンダリー攻略作戦を実施した[81][82]。本作戦は、日本海軍単独で実施された[83]。兵力はメナド攻略時とほぼ同じであったが[84]、第15駆逐隊と第16駆逐隊は第一根拠地部隊(司令官久保九次少将、旗艦「長良」)の指揮下に入った[85]。攻略部隊は十一航戦(千歳、瑞穂)による哨戒・直衛下で1月21日にバンカ泊地を出撃、24日朝ケンダリーに上陸した[86][85]。同日、ケンダリーから南方へ逃走する水上機母艦チャイルズ英語版」(USS Childs, AVD-1)[注 4]を日本軍偵察機が発見、各艦(長良、第15駆逐隊、第16駆逐隊)で追撃したが捕捉できなかった[85][87]。25日、攻略部隊はケンダリー飛行場の占領に成功する[88]。だが、軽巡洋艦「長良」と駆逐艦「初春」(第21駆逐隊)の衝突事故が発生する[88][87]。損傷艦・護衛部隊の離脱により兵力部署に混乱が生じた[89]

つづいて東方攻略部隊はアンボン島アンボンを攻略することになり[90][91]、第二護衛隊指揮官(二水戦司令官田中頼三少将)が攻略の直接指揮をとる[92][93]。第15駆逐隊と第16駆逐隊は、第二護衛隊(二水戦)の指揮下にもどった[94][95]。第8駆逐隊(大潮、朝潮、満潮、荒潮)も第二護衛隊に編入されていた[95]。従来の第二航空部隊(千歳、瑞穂)に加えて[96]、南方部隊航空部隊の母艦航空部隊[97]第二航空戦隊蒼龍飛龍〉、重巡〈摩耶〉、第7駆逐隊、第27駆逐隊第2小隊、国洋丸)が作戦を支援した[94][98]。アンボン攻略に投入された日本陸軍は、第三十八歩兵団長伊藤武夫陸軍少将を指揮官とする東方支隊であった[99]。東方支隊の輸送船5隻は第8駆逐隊に護衛されて香港を出発、19日までにダバオに到着していた[100]。 1月末から2月初旬にかけて、日本軍はアンボン攻略作戦を実施した[101][102]。掃海隊と駆逐隊は、オランダ軍が敷設した機雷の掃海作業をおこなった[103][104]。2月3日、日本軍はアンボンを占領した[7]

2月1日の時点で、第15駆逐隊は司令駆逐艦/第1小隊1番艦夏潮、2番艦黒潮、第2小隊3番艦親潮、4番艦早潮という編制であった[105]。2月4日夜、第15駆逐隊はマカッサル攻略作戦に従事するためスターリング湾に到着した[106]

沈没編集

スラウェシ島南部マカッサルの攻略は[107]、日本海軍が単独で攻略することになった[108]。マカッサル攻略部隊指揮官は、第一根拠地隊司令官久保九次少将(旗艦「長良」)と定められた[109]。第二航空部隊(千歳、瑞穂)はマカッサル作戦に従事することになったが、第二護衛隊(神通、第7駆逐隊〈漣、潮〉、第16駆逐隊)はアンボン作戦を続行した[110]ボルネオ島東岸バリクパパン攻略作戦に従事していた第四水雷戦隊の駆逐艦5隻(朝雲、峯雲、夏雲、海風、江風)はマカッサル作戦支援のため、バリクパパン沖からマカッサル沖に移動した[54]。 2月5日、マカッサル攻略部隊(軽巡長良、第8駆逐隊〈大潮、朝潮、満潮、荒潮〉、第15駆逐隊〈夏潮、黒潮、親潮、早潮〉、第21駆逐隊〈若葉、子日、初霜〉等)はセレベス島スターリング湾に集結した[110][111]。前日には蘭印部隊主隊[注 5]に所属していた駆逐艦「涼風」(第24駆逐隊)[110][112]が米潜水艦スカルピン(USS Sculpin, SS-191)の雷撃で大破しており[111]、船団はすでに連合国軍潜水艦に狙われていた。2月6日夕刻、マカッサル攻略船団はスターリング湾を出撃する[110][113]。その前路掃蕩に従事していた駆逐艦「満潮」(第8駆逐隊)はスカルピンに爆雷攻撃を行うが、スカルピンを取り逃がした(満潮報告では効果確実)[111]

2月8日、船団はマカッサルに接近するが天候不良となり、攻略部隊指揮官久保九次少将は指揮下部隊・各艦に天候不良時の上陸方法について指示を行う[6]。マカッサル入港時、攻略船団は各艦相互に通信をおこなって識別灯を点灯しており、対潜警戒をおろそかにしていた[114]。 同日22時15分[115][116]、輸送船団後尾にいた「夏潮」はスラウェシ島のマカッサル沖南緯5度36分9秒 東経119度6分6秒 / 南緯5.60250度 東経119.10167度 / -5.60250; 119.10167で米潜水艦S37(USS S-37,SS-142)の雷撃に遭った[4][46]。 魚雷1本が艦中央前部機械室左舷に命中し船体に大破孔ができ、上甲板は膨れ上がった[117]。また爆発と同時に九三式魚雷を装填していた2番魚雷発射管と測量儀が吹き飛び、被害箇所に近い位置にあった内火艇や探照灯も破壊された[118]。これにより前部機械室と第三缶室が浸水、主機械破壊により航行不能となり左に2度傾斜したが、この時点では沈没せず僚艦「黒潮」の曳航でスラウェシ島ケンダリに退避する事になった[119]。 佐藤(第15駆逐隊司令)は司令駆逐艦を「夏潮」から「親潮」に変更する[120][121]。2隻(黒潮、夏潮)を「親潮」が護衛した[122]。黒潮駆逐艦長によれば、当初は機雷による被害だと考えていたという[8]。マカッサル上陸作戦そのものは成功した[54][114][123]

2月9日7時15分、「親潮」(第15駆逐隊司令)より緊急電が発信された[124]。タナケナ島の南で風向が急変、急速に浸水が進んだ[122]。手の施しようがなく[8]、「夏潮」は次第に中央部が沈降し、つづいて艦首と艦尾を持ち上げV字型に折れ曲がり、前後に分断[125]。8時43分に沈没した[126]。乗員は「親潮」と「黒潮」に収容された。沈没時点の戦死者は8名、重傷者6名[127][128]。沈没地点南緯5度53分 東経119度26分 / 南緯5.883度 東経119.433度 / -5.883; 119.433[4]。曳航失敗の原因について夏潮駆逐艦長は「被害認定が甘かった」と回想している[122]

なお『このまま沈めてしまうのはかわいそうである。はなばなしく自爆して最後を飾ろう』という乗組員のはからいにより、爆雷に細工が行われた[129]。水雷科員は投下器に装填中の爆雷全てを起爆深度を30mに設定、船体水没後、「夏潮」は巨大な水柱を上げ自爆した[129]。僚艦に救助された夏潮乗員はセレベス島ケンダリに入港後、日本海軍初の生き残り[注 6]として珍しがられ各方面から見舞い品が届き、親切にされたという[130]。その後、玄洋丸と建洋丸を乗り継いで内地へ帰投した[131]。第二水雷戦隊司令官田中頼三少将(旗艦神通)は夏潮乗組員達に対し『開戦以来二ヶ月余ニ亘リ、艦長以下乗員一同ノ労苦ヲ多トシ、戦没セル勇士ノ英霊ニ衷心敬意ヲ表スルト共ニ、帰還後更ニ新任務ニ就カントスル諸子ノ自重自愛ヲ祈ル』との電文を送った[132]。長井(夏潮艦長)は2月14日附で呉鎮守府附となり、夏潮駆逐艦長の職務を解かれた[133]

駆逐艦「夏潮」は2月28日、 第15駆逐隊[134]、 帝国駆逐艦籍[135]、 陽炎型駆逐艦[136]、 それぞれから除籍された。夏潮残務処理は3月3日から呉海兵団内でおこなわれ[137]4月6日に終了した[138]。 第15駆逐隊は7月20日に陽炎型1番艦「陽炎」を編入するまでの間[139]、3隻編制で行動することになった[129][140]

歴代艦長編集

艤装員長
  1. 野間口兼知 中佐:1940年5月1日[21] - 1940年8月31日[24]
駆逐艦長
  1. 野間口兼知 中佐:1940年8月31日[24] - 1941年10月20日[48]
  2. 長井純隆 中佐:1941年10月20日[48] - 1942年2月14日[133]

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 後日、佐藤寅治郎大佐は軽巡洋艦神通艦長。コロンバンガラ島沖海戦における神通沈没時に戦死。植田大佐は9月20日より日本丸監督官[39]
  2. ^ 翌年10月、五藤存知少将はサボ島沖海戦における青葉大破時に戦死。
  3. ^ 第五戦隊の重巡「妙高」は、損傷修理のため内地に帰投、不在。
  4. ^ 日本軍偵察機は軽巡洋艦と報告していた。
  5. ^ 蘭印部隊指揮官高橋伊望中将(第三艦隊司令長官)旗艦「足柄」、第24駆逐隊第1小隊(涼風山風)。
  6. ^ ウェーク島攻略戦やボルネオ島攻略戦で、すでに駆逐艦如月(昭和16年12月11日)、疾風(昭和16年12月11日)、狭霧(昭和16年12月17日)、東雲(昭和16年12月17日)が沈没している。

出典編集

  1. ^ a b c d #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『(艦名)夏潮|(艦種)一等駆逐艦|(性能略)|(製造所)藤永田造船所|起工年月日12-12-9|進水年月日14-2-23|竣工年月日15-8-31|(兵装略)』
  2. ^ a b 『艦長たちの軍艦史』による。『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』では1940年8月21日竣工となっている。
  3. ^ a b #達昭和13年9月(2)pp.15-16『達第百四十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度及昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻掃海艇二隻及驅潜艇四隻ニ左ノ通命名ス|昭和十三年九月二十日 海軍大臣 米内光政|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 親潮(オヤシホ)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 夏潮(ナツシホ)/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 初風(ハツカゼ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第十八潜水艦/三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第二十潜水艦/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第二十二潜水艦(以下略)』
  4. ^ a b c d 重本ほか、陽炎型 2014, pp. 303-304夏潮(なつしお)
  5. ^ a b #昭和16年12月31日現在艦艇類別等級p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』
  6. ^ a b 戦史叢書26 1969, pp. 263a-266「夏潮」の被雷、上陸
  7. ^ a b 戦史叢書80 1975, p. 186航空基地推進とジャワ東部航空撃滅戦開始
  8. ^ a b c 海軍駆逐隊 2015, pp. 188-189僚艦夏潮の最後
  9. ^ #戦藻録(1968)80頁『二月十日 火曜日 半晴 夏潮は九日午前八時過遂に沈没するに至る(以下略)』
  10. ^ a b #ハンディ判艦艇写真集17p.105(夏潮進水式写真)
  11. ^ 福井、日本駆逐艦物語 1993, p. 289日本海軍駆逐艦艦名一覧/夏潮 Natushio
  12. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.211『◎驅逐艦親潮夏潮初風、伊號第十八第二十第二十二潜水艦 第十一號第十二號掃海艇、第六號第九號第十號第十二號驅潜艇命名ノ件 昭和十三年九月二十日(達一四五) 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度及昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻掃海艇二隻驅潜艇四隻ニ左ノ通命名ス 舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 親潮(オヤシホ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 夏潮(ナツシホ)|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 初風(ハツカゼ)(以下略)』
  13. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)、p.70〔 昭和十三年九月二十日(内令八〇五)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦一等ノ部中陽炎型ノ項中黒潮ノ下ニ「、親潮、夏潮、初風」ヲ加フ|潜水艦一等ノ部伊一六型ノ項中伊號第十六ノ下ニ「、伊號第十八、伊號第二十、第二十二」ヲ加フ|掃海艇第七號型ノ項中第十號ノ下ニ「、第十一號、第十二號」ヲ加フ 〕
  14. ^ 昭和14年2月24日 海軍公報(部内限)第3143号 pp.44-45』 アジア歴史資料センター Ref.C12070379700 『○艦船所在 ○二月二十四日午前十時調』
  15. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『浦風|一等駆逐艦|(性能略)|藤永田造船所|起工年月日14-4-11|進水年月日15-4-10|竣工年月日15-12-15|(兵装略)』
  16. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『谷風|一等駆逐艦|(性能略)|藤永田造船所|起工年月日14-10-18|進水年月日15-11-1|竣工年月日16-4-25|(兵装略)』
  17. ^ 重本ほか、陽炎型 2014, p. 304b黒潮(くろしお)
  18. ^ 昭和12年7月1日付 官報第3013号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959495 p.3で閲覧可能。
  19. ^ 昭和13年10月5日(発令10月5日付)海軍辞令公報(部内限)第247号 pp.9-10』 アジア歴史資料センター Ref.C13072074400 
  20. ^ 昭和14年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第402号 pp.45』 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700 
  21. ^ a b c 昭和15年5月1日(発令5月1日付)海軍辞令公報(部内限)第472号 p.11』 アジア歴史資料センター Ref.C13072078000 
  22. ^ 昭和15年5月14日 海軍公報(部内限)第3501号 p.18』 アジア歴史資料センター Ref.C12070387900 『○事務所設置 天津風艤装員事務所ヲ舞鶴海軍工廠内ニ設置シ五月六日ヨリ事務ヲ開始セリ/夏潮艤装員事務所ヲ大阪市住吉區柴谷町藤永田造船所内ニ設置シ五月三日ヨリ事務ヲ開始セリ』
  23. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『早潮|一等驅逐艦|(性能略)|浦賀船渠會社|起工年月日13-6-30|進水年月日14-4-19|竣工年月日15-8-31|(兵装略)』
  24. ^ a b c 昭和15年9月2日(発令8月31日付)海軍辞令公報(部内限)第521号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072078800 
  25. ^ 昭和15年目録(2)/海軍公報(部内限)目録(九月分) p.32』 アジア歴史資料センター Ref.C12070383800 『○雑款 五|三五九八|夏潮艤装員事務所撤去』
  26. ^ 重本ほか、陽炎型 2014, p. 305親潮(おやしお)
  27. ^ #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『親潮|一等駆逐艦|(性能略)|舞鶴工廠|起工年月日13-3-29|進水年月日13-11-29|竣工年月日15-8-20|(兵装略)』
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関連項目編集