初風(はつかぜ)は、日本海軍駆逐艦[1]一等駆逐艦陽炎型の7番艦である[2]1943年(昭和18年)11月上旬のブーゲンビル島沖海戦で戦没した。

初風
基本情報
建造所 神戸川崎造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
級名 陽炎型駆逐艦
艦歴
発注 1937年度(③計画
起工 1937年12月3日
進水 1939年1月24日
竣工 1940年2月15日
最期 1943年11月2日戦没
除籍 1944年1月5日
要目
基準排水量 2,033トン
全長 118.5 m
最大幅 10.8 m
吃水 3.8 m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式衝動タービン2基2軸
出力 52,000馬力
速力 35.0ノット
航続距離 18ノットで5,000
乗員 239人
兵装 50口径三年式12.7センチ砲連装×3
25mm機銃連装×2
61cm魚雷発射管4連装×2
爆雷16個
テンプレートを表示

艦歴 編集

陽炎型駆逐艦全19隻のうち、神戸川崎造船所で建造されたのは初風1隻である[3]1937年(昭和12年)12月3日起工[4]1938年(昭和13年)9月20日、初風は姉妹艦2隻(親潮夏潮)と共に命名された[1]。同日附で、各艦(親潮、夏潮、初風、伊号第十八潜水艦伊号第二十潜水艦伊号第二十二潜水艦第十一号掃海艇第十二号掃海艇)は、それぞれ艦艇類別等級表に登録[5]1939年(昭和14年)1月24日進水[4]。同年11月15日附で高橋亀四郎中佐(吹雪型駆逐艦駆逐艦長)は初風の艤装員長に任命された[6]。11月20日、初風艤装員事務所を設置[7]

1940年(昭和15年)1月20日、姉妹艦の雪風は竣工と共に佐世保から呉へ回航される[8]。 1月27日附で第16駆逐隊(司令島崎利雄大佐)が編制された[9]。初代司令駆逐艦は雪風[10]。 初風は2月15日に竣工した[4][11]。同日附で高橋中佐は本艦初代駆逐艦長となる[12]呉鎮守府籍。神戸から呉に移動して雪風に合流した。また黒潮は2月24日になり、大阪から呉に回航されている[13]。 当初の第16駆逐隊は、陽炎型3番艦黒潮、陽炎型8番艦雪風、陽炎型9番艦初風で編制され、第二水雷戦隊に所属[14]。10月11日に実施された紀元二千六百年記念行事に伴う紀元二千六百年特別観艦式では、初風は第16駆逐隊司令駆逐艦として式典に臨んだ[15]。11月15日、黒潮は第15駆逐隊に編入されて16駆を離れたが、陽炎型9番艦天津風と陽炎型10番艦時津風が漸次16駆に編入される[16]

1941年(昭和16年)7月25日、島崎司令は軽巡川内艦長へ転任、渋谷紫郎大佐(前職第7駆逐隊司令)が第16駆逐隊新司令として着任した[17]。第16駆逐隊は渋谷司令指揮下のもと、陽炎型4隻(初風、雪風、天津風、時津風)編成で開戦を迎えた。第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将:旗艦神通)所属。同水雷戦隊は第8駆逐隊(朝潮荒潮大潮満潮)、第15駆逐隊(親潮黒潮早潮夏潮)、第16駆逐隊、第18駆逐隊(陽炎不知火、《朝潮型駆逐艦:》)から編制されており、15駆・16駆・18駆が陽炎型を主力としていた[18]。だが第18駆逐隊は第一水雷戦隊(司令官大森仙太郎少将:旗艦阿武隈)の指揮下に属して南雲機動部隊警戒隊となり、真珠湾攻撃に参加。16駆以下の二水戦各艦とは別行動であった。

太平洋戦争 編集

太平洋戦争開戦時の第16駆逐隊は、第1小隊(雪風〔駆逐隊司令艦〕、時津風)と、第2小隊(初風、天津風)に分離して行動していた。開戦劈頭、3隻(神通、初風、天津風)は第四航空戦隊の空母龍驤航空隊のダバオ空襲を支援した。その後、16駆4隻は南方作戦に従事してフィリピン〜東南アジアを行動する。レガスビー攻略作戦、ダバオ、メナド、ケンダリーアンボン、クーパンの各攻略作戦に参加する。1942年(昭和17年)2月27日、スラバヤ沖海戦に参加。蘭印作戦終了後、内地へ戻った。

6月上旬のミッドウェー海戦では攻略部隊を乗せた輸送船の護衛に当たった。7月14日、艦隊の再編にともない、第16駆逐隊は第三艦隊(司令長官南雲忠一中将)麾下の第十戦隊に所属する[19]。当時の戦力は以下の通り。

8月1日、第16駆逐隊司令は渋谷大佐(9月20日より軽巡洋艦阿武隈艦長[20])から、荘司喜一郎大佐(7月15日まで第11駆逐隊司令[21])に交代した[22]。 第十戦隊所属各隊・各艦は8月上旬よりソロモン方面へ進出、ガダルカナル島の戦いに参戦した。初風は第二次ソロモン海戦南太平洋海戦に参加。10月26日の戦闘で南雲機動部隊の空母2隻(翔鶴瑞鳳)が被弾損傷すると、2隻(初風、舞風)は空母2隻を護衛して避退(指揮官瑞鳳艦長)[23]。28日15時、トラック泊地に到着した[23]。 11月4日、第16駆逐隊(初風、時津風)は大型艦2隻(瑞鶴妙高)を護衛して内地に帰投することになった[24]。9日、瑞鶴隊(瑞鶴、初風)は豊後水道にて佐世保へ向かう妙高隊(妙高、時津風)と分離、呉に到着した[25]。このため第16駆逐隊第1小隊(雪風、天津風)が活躍した11月中旬の第三次ソロモン海戦に、16駆2小隊(初風、時津風)は参加していない。

に帰港後、初風は呉工廠で修理に当たった。12月12日、日本陸軍の九九式双軽爆撃機を輸送中の空母龍鳳と16駆僚艦時津風は米潜水艦から襲撃され、被雷した龍鳳も中破した[26]。そこで龍鳳が輸送する筈だった九九式双軽爆を空母瑞鶴に移載する[26]。 12月15日附で初風駆逐艦長は高橋中佐(後日、第4駆逐隊司令として駆逐艦満潮沈没時に戦死)から岡三知夫中佐に交代する[27]。 12月28日附で高橋中佐(本艦初代駆逐艦長)は第6駆逐隊()司令に転出[28]。初風駆逐艦長も岡中佐から、前月まで陽炎型16番艦駆逐艦長[29]を務めていた渡邉保正中佐に交代した[28]。 12月31日、4隻(瑞鶴、秋月、初風、時津風)は横須賀を出港、1943年(昭和18年)1月4日トラックへ進出した[30]。同地で駆逐艦3隻(秋月、初風、時津風)は前進部隊に編入[31]。1月6日には修理を要する駆逐艦(長波親潮陽炎涼風)の代艦として南東方面部隊に編入され、各艦は順次ショートランド泊地へ移動した[32]

1943年(昭和18年)1月10-11日、初風は第六次ガダルカナル島輸送作戦(鼠輸送)に参加する。駆逐艦8隻(黒潮《旗艦》、巻波江風大潮荒潮、初風、時津風)は、警戒隊4隻(黒潮、江風、初風、時津風)と輸送隊4隻(嵐、巻波、大潮、荒潮)、泊地待機隊(長波)に区分[32]。輸送隊は小発動艇2隻を曳航しドラム缶150個を積み込んでいた[33]。指揮官は第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将で、第15駆逐隊黒潮を旗艦とした[34]。警戒隊(江風→黒潮→初風→時津風)と輸送隊(嵐→巻波→大潮→荒潮)は、それぞれが単縦陣を形成していた[35]。 午後10時以降、ガダルカナル島エスペランス岬周辺海域で時津風や荒潮と共にアメリカ軍魚雷艇と交戦中、初風は22時47分に魚雷1本を左舷艦橋附近に被雷、戦死者8名・負傷者12名を出して大破した[36]。通信装置と操舵装置が故障[37]。 小柳司令官は初風の自沈あるいはガダルカナル島への擱座を検討していたが、嵐(第4駆逐隊司令有賀幸作大佐)とやりとりした結果、離脱命令を出す[38]。 初風は駆逐艦3隻(嵐、江風、時津風)に護衛されて約16ノットで退避[32]零式艦上戦闘機7機、零式水上観測機11機に掩護されつつ、11日夕刻ショートランド泊地へ到着した[39][32]。4隻(初風、嵐、江風、時津風)の帰還は小柳司令官に大きな感銘をあたえ、各艦乗組員と司令を『功績極めて顕著なり』と賞賛している[40][41]。初風の大破を代償とした輸送量は301トンであった[42]

3月3日、ビスマルク海海戦で輸送船団護衛部隊(白雪〔第三水雷戦隊司令官木村昌福少将〕、浦波朝雲朝潮荒潮、時津風、雪風)に加わっていた時津風がアメリカ軍機の空襲で撃沈され、第16駆逐隊は陽炎型3隻(初風、雪風、天津風)になった[43][44]。 4月上旬、練習巡洋艦鹿島第四艦隊旗艦)の修理が必要となり[45]、初風は鹿島と共に呉へ帰投[46]。7月12日まで修理に当たった[47]。 5月1日、第16駆逐隊司令は荘司大佐(5月20日附で軽巡洋艦川内艦長)から島居威美大佐に交代した[48]。修理完成直前の7月1日附で初風駆逐艦長は蘆田部一中佐(睦月型駆逐艦長月艦長[49]、吹雪型駆逐艦天霧艦長[50]等)に交代した[51]

7月31日、大和型戦艦2番艦武蔵(連合艦隊旗艦、古賀峯一司令長官座乗)、第五戦隊(妙高、羽黒)、駆逐艦3隻(野分白露、初風)という編制で内地を出発[52][53]。8月1日、横須賀発の3隻(軽巡洋艦長良、空母雲鷹、駆逐艦)と途中合流する[54]。合流後は長良座乗の第二水雷戦隊司令官高間完少将が警戒隊指揮官となった[55]。8月4日深夜、米潜水艦スティールヘッドは「戦艦3隻」を含む日本艦隊を発見、翌日未明に計10本の魚雷を発射したがいずれも命中しなかった[56]。8月5日トラック着[57]。初風は一旦内地へ戻った。

8月17日、主力部隊(戦艦3隻《大和長門扶桑》、空母《大鷹[58]、巡洋艦3隻《愛宕高雄能代》、駆逐艦部隊《涼風海風秋雲夕雲若月天津風、初風》)として呉を出撃し、23日トラックへ進出[3][59][60]。以降はトラック泊地を中心に各地への船団護衛に従事する。

10月6日、給油艦風早がアメリカ潜水艦スティールヘッドティノサに襲撃され、16時30分に沈没した[61][62]。 初風と白露型駆逐艦7番艦海風は急遽第十四戦隊司令官伊藤賢三少将の指揮下に入る[63]。同戦隊はトラック泊地で輸送作戦の準備に従事していたが、伊藤司令官は旗艦を軽巡洋艦那珂から軽巡洋艦五十鈴に変更[61]。まず海風が先行し、初風は五十鈴と共に風早遭難現場へ向かった[61]。3隻(五十鈴、海風、初風)は10月7日早朝に風早の遭難現場に到着したが同艦はすでに沈没しており、海風は風早乗組員154名、初風は98名を救助した[64]。 10月30日、ラバウルへ物件輸送[65]。11月1日、『ろ号作戦』に参加する第一航空戦隊(瑞鶴、翔鶴、瑞鳳)航空隊基地人員・物件を搭載した第十戦隊・第二水雷戦隊各艦はラバウルおよびカビエンに到着した[66]

沈没 編集

11月2日、初風は軽巡洋艦/第十戦隊旗艦阿賀野の指揮下でブーゲンビル島沖海戦に参加、重巡洋艦妙高と衝突し、米艦隊の集中砲火を受けて沈没した[3]。経過は以下の通り。

11月1日、連合艦隊は第五戦隊司令官大森仙太郎少将を指揮官とする連合襲撃隊を編制し、本隊(大森少将直率:第五戦隊《妙高羽黒》)、第一警戒隊(第三水雷戦隊司令官伊集院松治少将:川内〔旗艦〕、第27駆逐隊《時雨五月雨白露》)、第二警戒隊(十戦隊司令官大杉守一少将:阿賀野〔旗艦〕、駆逐艦《長波初風若月》)、輸送隊(指揮官山代勝守大佐:駆逐艦《天霧文月卯月夕凪水無月》)という戦力を揃える[67]。連合襲撃隊はブーゲンビル島タロキナ岬に上陸したアメリカ軍に対し、逆上陸計画を企図していた[67]。だが輸送隊の準備は遅れたこと、アメリカ軍機の触接を受けたことから逆上陸作戦は中止され、輸送隊はラバウルへ避退した[67]。連合襲撃隊そのものは、アメリカ軍輸送船団を撃滅すべく進撃を続けた[68]。一方のアメリカ軍は日本艦隊の接近を知ると、輸送船団を護るためアーロン・S・メリル少将率いる巡洋艦4隻・駆逐艦8隻の艦隊を派遣した[69]

11月2日00時45分、時雨の敵艦隊発見報告をきっかけに約2時間におよぶ夜戦がはじまった。当時の隊形は、主隊(妙高、羽黒)が中央、第一警戒隊(川内、時雨、白露、五月雨)が主隊左前方、第二警戒隊は(阿賀野、長波、初風、若月)の順番で主隊右前方を航行していた[69]。最初に米艦隊と交戦したのは第一警戒隊で、主隊と第二警戒隊は回避行動に専念し、妙高と艦位を失った初風の衝突を招いた[70]。妙高と初風の衝突時間は午前1時7分[70][69]。 その後、主隊(妙高、羽黒)は午前1時16分に射撃を開始したが、時雨の報告から26分も経過しており、主隊と第二警戒隊(阿賀野、長波、若月)は戦局にまったく貢献できなかった[70]。午前1時34分、大森司令官は『明日ノ敵機ノ来襲ヲ顧慮シ、全軍ニ対シ315度方向ニ避退スベキ』を電令して戦場からの離脱をはかり、米艦隊は敗走する日本艦隊を追撃する[69]。艦首を失い、戦場に取り残されていた初風はアメリカ軍駆逐隊の集中砲火を浴び[71]、午前2時57分に南緯06度00分 東経153度58分 / 南緯6.000度 東経153.967度 / -6.000; 153.967地点で沈没した[69]。艦長以下164名が戦死した。川内は漂流したのち、午前5時30分に沈没した[72]。翌朝、重巡羽黒からは僚艦妙高の前部左舷に初風の甲板がぶらさがっている光景が見られたという[73]。目撃した羽黒の下士官は「初風の額の皮」という表現を使っている[73]

本海戦は2隻(川内、初風)を喪失した上に、アメリカ軍輸送船団の撃破に失敗した日本艦隊の完敗で終わり[70]、阿賀野以下日本艦隊は11月2日午前9時以降、順次ラバウルへ帰投した[72]。 12月6日、第16駆逐隊司令は島居大佐から古川文次大佐[74]に交代する(島居は12月22日より軽巡龍田艦長[75]。龍田沈没まで同職)。 駆逐艦初風は1944年(昭和19年)1月5日附で 不知火型駆逐艦[76]、 帝国駆逐艦籍[77]、 第16駆逐隊[78] のそれぞれから除籍された。

歴代艦長 編集

艤装員長
  1. 高橋亀四郎 中佐:1939年11月15日[6] - 1940年2月15日[12]
駆逐艦長
  1. 高橋亀四郎 中佐:1940年2月15日[12] - 1942年12月15日[27]
  2. 岡三知夫 中佐:1942年12月15日[27] - 1942年12月28日[28]
  3. 渡邉保正 中佐:1942年12月28日[28] - 1943年7月1日[51]
  4. 蘆田部一 中佐:1943年7月1日[51] - 1944年1月5日[79](1943年11月2日 戦死、同日付任海軍大佐)[80]

脚注 編集

  1. ^ a b #達昭和13年9月(2)pp.15-16『達第百四十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度及昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻掃海艇二隻及驅潜艇四隻ニ左ノ通命名ス|昭和十三年九月二十日 海軍大臣 米内光政|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 親潮(オヤシホ)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 夏潮(ナツシホ)/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 初風(ハツカゼ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第十八潜水艦/三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第二十潜水艦/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第二十二潜水艦(以下略)』
  2. ^ #艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『駆逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』
  3. ^ a b c #陽炎型(2014)306頁
  4. ^ a b c #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『艦名:初風|艦種:一等駆逐艦|(性能略)|製造所:川崎造船所|起工年月日12-12-3|進水年月日14-1-24|竣工年月日15-2-15|(兵装略)』
  5. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.70『昭和十三年九月二十日(内令八〇五)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦一等ノ部中陽炎型ノ項中黒潮ノ下ニ「、親潮、夏潮、初風」ヲ加フ|潜水艦一等ノ部伊一六型ノ項中伊號第十六ノ下ニ「、伊號第十八、伊號第二十、第二十二」ヲ加フ|掃海艇第七號型ノ項中第十號ノ下ニ「、第十一號、第十二號」ヲ加フ』
  6. ^ a b 昭和14年11月15日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第402号 p.46」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700 
  7. ^ 昭和14年11月27日 海軍公報(部内限)第3369号 p.44」 アジア歴史資料センター Ref.C12070382000 『○艤装員事務所設置 驅逐艦初風艤装員事務所ヲ神戸市兵庫區東出町神戸海軍監督官事務所内ニ設置シ十一月二十日事務ヲ開始セリ』
  8. ^ 昭和15年1月22日 海軍公報(部内限)第3409号 p.18」 アジア歴史資料センター Ref.C12070386200 【航海中】雪風(二十日佐世保發-呉へ)
  9. ^ 昭和15年1月27日(発令1月27日付)海軍辞令公報(部内限)第434号 p.34」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077600 
  10. ^ 昭和15年2月2日 海軍公報(部内限)第3419号 p.8」 アジア歴史資料センター Ref.C12070386400 『○司令驅逐艦指定 第十六驅逐隊司令ハ一月二十七日司令驅逐艦ヲ雪風ニ指定セリ』
  11. ^ 昭和15年2月19日 海軍公報(部内限)第3433号 p.11」 アジア歴史資料センター Ref.C12070386600 『○事務所撤去 初風艤装員事務所ヲ二月十五日撤去セリ』
  12. ^ a b c 昭和15年2月16日(発令2月15日付)海軍辞令公報(部内限)第440号 p.18」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077700 
  13. ^ 昭和15年2月24日 海軍公報(部内限)第3438号 p.7」 アジア歴史資料センター Ref.C12070386700 【航海中】黒潮(二十四日大阪發-呉へ)』
  14. ^ #陽炎型(2014)115頁
  15. ^ #紀元二千六百年特別観艦式・第二章pp.14,32、#紀元二千六百年特別観艦式・第三章p.1
  16. ^ #昭和15年12月巻1追録/第2類編制p.1『第二類 編制 駆逐隊編制|駆逐隊編制左ノ通改定セラル』
  17. ^ 昭和16年7月25日(発令7月25日付)海軍辞令公報(部内限)第678号 pp.41-42」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081600 
  18. ^ #陽炎型(2014)122頁
  19. ^ #戦隊行動調書p.10『七.一四.3Fニ編入|将旗長良、10dg、17dg、16dg(雪風時津風天津風初風)、4dg(嵐舞風野分萩風)』
  20. ^ 昭和17年9月21日(発令9月20日付)海軍辞令公報(部内限)第946号 p.33」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086900 
  21. ^ 昭和17年7月15日(発令7月15日付)海軍辞令公報(部内限)第900号 p.11」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086300 
  22. ^ 昭和17年8月1日(発令8月1日付)海軍辞令公報(部内限)第910号 pp.2-3」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086500 
  23. ^ a b #戦史叢書83ガ島戦301頁『「翔鶴、瑞鳳」の戦場離脱と二航戦の作戦』
  24. ^ #S1706五戦隊日誌(5)p.9『5S(羽黒欠)ハ「トラツク」ニ於テ警戒待機中ノ處命ニ依リ修理整備ノ為11月4日3F(瑞鶴時津風初風)ト共ニ「トラツク」発9日豊後水道ニ於テ瑞鶴初風ト分離(以下略)』
  25. ^ #S1706五戦隊日誌(5)p.16『11月9日/0900 豊後水道通過1sfト分離 時津風ヲ警戒艦ニ附ス1430下関海峡通過1800時津風ヲ解列1900佐世保掃海水道ニ入ル』
  26. ^ a b #戦史叢書83ガ島戦410頁
  27. ^ a b c 昭和17年12月15日(発令12月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1013号 p.9」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088600 
  28. ^ a b c d 昭和17年12月31日(発令12月28日付)海軍辞令公報(部内限)第1022号 p.11」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088700 
  29. ^ 昭和17年11月16日(発令11月15日付)海軍辞令公報(部内限)第988号 p.12」 アジア歴史資料センター Ref.C13072088200 
  30. ^ #戦史叢書83ガ島戦410、507頁
  31. ^ #戦史叢書83ガ島戦507頁
  32. ^ a b c d #戦史叢書83ガ島戦512-513頁『一月十日』
  33. ^ #S1709八艦隊日誌(4)p.25『江風黒潮嵐巻波大潮荒潮長波初風時津風|1-10|各艦「ドラム」罐150、小発2隻「エスペランス」揚陸ヲ実施ス 2300作業終了ス 戦果:魚雷艇3隻撃沈、飛行艇1機撃墜』
  34. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.8『第六次「ガ」島輸送|10日11日|2sd司令部、黒潮巻波24dg(江風)4dg(嵐)8dg(大潮荒潮)16dg(初風時津風)|初風魚雷艇ノ雷撃ヲ受ケ大破』
  35. ^ #S1801二水戦日誌(1)pp.29-30『1月10日合戦図 天候曇 視界3乃至4粁 月出2010 月齢3.5』
  36. ^ #S1801二水戦日誌(1)p.17『三.2240同右「エスペランス」着魚雷艇7隻飛行艇2機ト交戦、魚雷艇3隻撃沈(時津風2、嵐1)同1撃破(荒潮)PBY飛行艇1撃墜(時津風)|2247初風ニ魚雷1命中大破、戦死8戦傷12』
  37. ^ #S1801二水戦日誌(2)p.57『16dg司令11日1132/初風10日2247サボ島ノ190度7.5浬ニ於テ敵魚雷艇2隻ノ襲撃ヲ受ケ魚雷1士官室下方ニ命中、2・4區浸水、操舵装置転輪羅針儀通信装置全部方位盤故障尚損害調査中、目下(嵐江風時津風護衛)速力18節ニテショートランドニ向ケ航行中味方機上空ニアリ、戦死者8名重傷者3名軽傷者士官以下8名』
  38. ^ #S1801二水戦日誌(2)pp.35-36『2247/初風士官室下方ニ左舷ヨリ魚雷1命中(雷跡ハ視認シ得タリ)|2324(時津風→司令官)初風艦橋下ニ魚雷命中通信装置全部故障』-『2355(司令官→嵐)初風自力航行不可能ナラバ乗員ヲ救助シ処分セヨ』-『1月11日0001(嵐)初風ハ自力航行可能速力12節』-『0006(司令官)初風ハ速力10節以上出シ得ル見込ナケレバエスペランスニ擱座セヨ』-『0027(嵐)初風ハ出シ得ル速力18節如何ニスベキヤ』-『0029(司令官)極力離脱ニ努メヨ』-『0037(嵐)初風速力18節離脱スルカ擱座スルカ改メテ命令サレ度』-『0040(司令官極力離脱ニ努メヨ)』
  39. ^ #S1801二水戦日誌(2)p.18『五.2310揚陸作業終了(「ドラム」缶600個投入)黒潮外3隻先行、嵐江風時津風ハ護衛実速約16節ニテ「ショートランド」ニ向フ』-『11日/六.1830嵐江風初風時津風「ショートランド」皈着』
  40. ^ #S1801二水戦日誌(2)p.40『輸送部隊ハ遠ク敵制空権下ニ進出シ敵水上部隊ノ出現ヲ厳戒シツツ既ニ泊地ニ潜入待機中ノ魚雷艇7隻及哨戒機2機ト交戦シ混戦中ノ輸送ヲ強行シテ前記ノ如キ成果ヲ収メ其ノ功績顕著ナリ。特ニ嵐(司4dg)、江風(司24dg)時津風ハ損傷艦初風ヲ護衛シ友軍機ノ協力ト相俟ッテ長途離脱ニ成功シ功績極メテ顕著ナリト認ム』
  41. ^ #S1801二水戦日誌(2)p.41『初風ガ敵地ニ於テ重大被害ヲ蒙リ而モ克ク危地ヲ脱シテ長途帰還シ得タルハ天佑ノ下同艦及護衛艦ノ奮闘努力ト直衛戦闘機及観測機ノ積極的協力ニ依ルモノニシテ深ク感銘シ居ル次第ナリ』、p.61『11日増援部隊指揮官→嵐江風時津風初風/初風ノ敵地離脱同護衛ノ難作業ヲ完遂シタル司令、駆逐艦長以下乗員一同ノ労ヲ深ク多トシ戦没勇士ノ英霊ニ対シ謹ミテ弔意ヲ表ス』
  42. ^ #S1801二水戦日誌(2)p.39『一.輸送成績 輸送物件全部(ドラム缶600個其他若干)投入、ドラム缶揚収籔250個弾薬其他若干』、p.61『藤村参謀→12日2120増援部隊指揮官/10日駆逐艦ニ依ル揚陸ノ成果左ノ通|ドラム缶250個外ニ弾薬15個手榴弾2個味噌8頓衛生材料11頓兵器手入油4缶、計301頓』
  43. ^ #豊田、雪風(文庫)209-214頁
  44. ^ #内令昭和18年4月(1)p.26『内令第五百七十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年四月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第二驅逐隊ノ項中「村雨、」ヲ削ル|第九驅逐隊ノ項中「朝雲、峯雲」ヲ「朝雲、薄雲、白雲」ニ改ム|第十一驅逐隊ノ項中「白雪、」ヲ削ル|第十六驅逐隊ノ項中「、時津風」ヲ削ル|第八驅逐隊、第二十九驅逐隊及第三十四驅逐隊ノ各項ヲ削ル』
  45. ^ #S1612四艦隊日誌(3)p.32『八(天候略)将旗陸上假廰舎移揚 鹿島修理ノタメ…ニ向ケPT発』
  46. ^ #S1804佐伯防備隊日誌(2)p.11『四月十二日一四二〇呉防戰司令官|豊後防備部隊〔伯司令 呉鎮長官 鹿嶋艦長 初風艦長〕|電令作第一四三號 一.鹿島初風四月十三日一九三〇ノ位置二九度四六分北一三四度一二分東冲島ニ向フ実速力十五節(以下略)』
  47. ^ 『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』によると7月20日修理完成。
  48. ^ 昭和18年5月1日(発令5月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1005号 pp.31-32」 アジア歴史資料センター Ref.C13072090800 
  49. ^ 昭和15年9月2日(発令9月1日付)海軍辞令公報(部内限)第521号 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C13072078800 
  50. ^ 昭和18年5月25日(発令5月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1124号 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091100 
  51. ^ a b c 昭和18年7月1日(発令7月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1162号 pp.3-4」 アジア歴史資料センター Ref.C13072092000 
  52. ^ #武藏上156頁
  53. ^ #S1712五戦隊日誌(2)p.31『…七月三十日呉發長濱沖ニ假泊ノ上翌三十一日假泊地發「トラツク」ニ向フ「トラツク」進出中ノ軍隊區分左ノ通』
  54. ^ #S1806二水戦日誌(1)p.81『三一(天候略)一.2sd(長良)雲鷹7dg(曙)〇七三〇「トラツク」ニ向ケ横須賀発(略)一.2sd司令官ハ長良雲鷹7dg(曙)ヲ指揮シGf電令作第六四八號ノ任務ニ従事横須賀発』
  55. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.3『(一)2sd司令官ハ雲鷹7dg(曙)ヲ指揮、千鳥眞鶴ヲ區處シ七月三十一日横須賀發八月一日GF主隊ニ合同警戒隊指揮官トナリ同五日「トラツク」着同日附2sd(長良白露)KdB本隊ニ編入セラル』
  56. ^ #武藏上162頁
  57. ^ #S1712五戦隊日誌(2)p.39『(一)第五戰隊ハ主隊前衛トシテ七月三十日呉發「トラツク」ニ進出 八月五日着同日機動部隊ニ編入セラレ第三艦隊長官ノ指揮下ニ入ル』
  58. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.51『一七日〇六〇〇(長官)2F(宛略)2F機密第一六二三二一番電 「トラツク」回航ニ關スル機密AdB命令要旨 一.第二軍隊區分(主力部隊ト合同後)區分指揮官兵力ノ順 主隊直率4S(摩耶缺)大鷹警戒隊(司令官)2sd 2sd(能代)24dg(涼風海風)秋雲(以下略)』
  59. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.4『(三)2sd(能代)ハ十六日主力部隊(長官1F直率)ノ指揮下ニ入リ主力部隊ノ警戒隊(司令官2sd、2sd(能代)初風天津風)トナリ十六日呉出撃八島假泊(海風ト合同佐鎮五特、便乗者一部移載)十七日假泊發十八日一一〇〇(長官)2F直率部隊(24dg(涼風)ヲ含ム)ト合同(指揮官)YBノ麾下(YB警戒隊)トナリ二十三日「トラツク」着』
  60. ^ #S1806二水戦日誌(2)p.60『二三日一一五五(長官)1F(宛略)1F機密第二三一〇一九番電 大和長門扶桑愛宕高雄能代24dg(涼風海風)11dg(秋雲夕雲)天津風若月初風ヲ率ヒ「トラツク」着二三日〇七四五』
  61. ^ a b c #S1804十四戦隊日誌(4)pp.4-5『(ロ)T四號輸送部隊編成後GF信令第一七七號(GFキデ〇六一三五二(十月))ニ依リ当隊(五十鈴)初風海風ヲ指揮シ十月六日〇一四〇.一〇度三〇分北.一四六度三七分東ニ於テ敵潜ノ雷撃ヲ受ケ損傷セル風早ノ救難ニ任ズ 風早ハ六日〇一四〇以後六回ニ亘リ敵潜水艦ト交戰損傷艦ニテ砲爆雷攻撃等苦戦克ク努メシモ同日一六三〇遂ニ沈没セリ 海風ハ六日一〇三〇PT発風早遭難現場ニ先行(速力二九節)二〇四五遭難推定地点着尓後極力捜索中七日〇二〇〇風早内火艇及人員漂流中ヲ発見セリ(推定位置ヨリ三〇度方向約九浬偏位) 当隊(五十鈴)(六日一五三〇将旗ヲ一時五十鈴ニ移揚ス)初風ヲ率ヒ六日一六〇〇PT北水道出撃現場ニ急行ス(速力二四節)七日〇〇三〇 九度五〇分北一五〇度〇分東ニ於テ二七〇度変針風早ヲ捜索シツツ西進〇五三三海風ヲ発見〇六〇〇合同セリ漂流人員収容(海風一五四、初風九八)五十鈴ハ風早内火艇一収容〇八三〇救難作業終了歸途ニ就ク GFキデ〇七一四五八(速ニPTニ歸投出撃準備ヲ完成セヨ)及14S信電令第二號(14Sキデ〇七一六五三)ニ依リ海風初風ハPTニ先ニ先行セシム当隊(五十鈴)七日二三四五PT着』
  62. ^ #S1806二水戦日誌(4)pp.7-8『(3)第二十四驅逐隊(海風)「トラツク」ニ在リテ待機三日海風ニ将旗揚掲礁外出動訓練中伊一六潜敵潜探知長波及10S驅逐艦ト共ニ相当攻撃四日歸着六日風早被雷撃ノ爲出撃救援七日歸着十七日以降「ブラウン」大島島方面行動大波ニ同ジ三十一日二四驅(海風涼風)伊勢外五隻護衛呉ニ向ケ「トラツク」發/涼風「トラツク」ニ在リテ待機十一日5S直衛トシテ「トラツク」發一三日「ラバウル」着即日發十五日歸着十七日以降「ブラウン」大鳥島方面行動大波ニ同ジ三十一日海風ト共ニ伊勢外五隻ヲ護衛呉ニ向ケ「トラツク」發/満潮 三十一日附二水戦 二四驅ニ編入』
  63. ^ #S1804十四戦隊日誌(3)p.15『(イ)(1)当隊(五十鈴)ハGF信電令第一七七號ニ依リ初風海風ヲ併セ風早救援任務ニ従事六日一五三〇「トラック」發七日二三四五「トラック」着』
  64. ^ #S1804十四戦隊日誌(3)pp.24-25『六(天候略)海風一〇三〇PT発/当隊(五十鈴)初風一六〇〇PT発|初風海風ヲ指揮下ニ入ル/風早救援将旗ヲ一時五十鈴ニ移揚』-『七(天候略)|風早救援任務(GF信令一七七号)|二三四五PT着|風早乗員漂流中ヲ収容(海風一五四.初風九八)|海風初風ノ指揮ヲ解ク/海上機動兵団編成 栗田丸朝凪甲支隊ヲ指揮下ニ入ル』
  65. ^ 『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』によると10月30日トラック出港。
  66. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後384頁『第一航空戦隊飛行機隊の進出と戦闘加入』
  67. ^ a b c #戦史叢書96ガ島撤収後390-391頁『第二回出撃-輸送隊の反転帰投』
  68. ^ #ニミッツの太平洋海戦史177頁
  69. ^ a b c d e #戦史叢書96ガ島撤収後391-394頁『ボーゲンビル島沖海戦・その一』
  70. ^ a b c d #図説太平洋海戦史第3巻66-67頁
  71. ^ #ニミッツの太平洋海戦史184頁
  72. ^ a b #戦史叢書96ガ島撤収後394-395頁『ボーゲンビル島沖海戦・その二』
  73. ^ a b #重巡洋艦戦記(2010)157-159頁『ぶざまな僚艦妙高の姿』
  74. ^ 昭和18年12月8日(発令12月6日付)海軍辞令公報(部内限)第1276号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094800 
  75. ^ 昭和18年12月22日(発令12月22日付)海軍辞令公報(部内限)第1286号 p.22」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094900 
  76. ^ #内令昭和19年1月(1)p.47『内令第四十三號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年一月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦二等川内型ノ項中「川内、」ヲ削ル|驅逐艦、一等卯月型ノ項中「、望月」ヲ、同不知火型ノ項中「、初風」ヲ、夕雲型ノ項中「、涼波」ヲ、同二等若竹型ノ項中「、早苗」ヲ削ル|潜水艦、一等伊十七型ノ項中「、伊號第三十四」ヲ削ル|海防艦、占守型ノ項中「、若宮」ヲ削ル』
  77. ^ #内令昭和19年1月(2)p.1『内令第四十九號 佐世保鎮守府在籍 軍艦 川内 右帝國軍艦籍ヨリ除カル|呉鎮守府在籍 驅逐艦 初風 驅逐艦 早苗/佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 望月/舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 涼波 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(略)昭和十九年一月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  78. ^ #内令昭和19年1月(2)p.14『内令第六十二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年一月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十六驅逐隊ノ項中「初風、」ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「望月、」ヲ削ル|第三十二驅逐隊ノ項中「涼波、」ヲ削ル』
  79. ^ 昭和19年3月2日(発令1月5日付)海軍辞令公報(部内限)第1354号 p.7」 アジア歴史資料センター Ref.C13072096400 
  80. ^ 昭和19年7月19日(発令昭和18年11月2日付)海軍辞令公報甲(部内限)第1539号 p.41」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100000 

参考文献 編集

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.A10110010100『第八輯 観兵式及観艦式 第二編 紀元二千六百年特別観艦式 第二章 実施』。 
    • Ref.A10110010200『第八輯 観兵式及観艦式 第二編 紀元二千六百年特別観艦式 第三章 実施』。 
    • Ref.C13071991800『昭和15年12月25日現在10版内令提要追録第8号原稿(巻1追録/第2類編制)』。 
    • Ref.C13071997700『昭和16年6月30日現在10版内令提要追録第9号(上)原稿:巻1追録/第6類機密保護』。 
    • Ref.C13072003500『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿巻2.3/巻3追録/第13類艦船(1)』。 
    • Ref.C08051772000『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。 
    • Ref.C08030044300『昭和17年6月1日~昭和17年11月30日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。 
    • Ref.C08030022800『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日第8艦隊戦時日誌(4)』。 
    • Ref.C08030100200『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030100300『昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030404800『昭和18年4月1日~昭和18年4月30日 佐伯防備隊戦時日誌(2)』。 
    • Ref.C08030018400『昭和16年12月1日~昭和19年8月31日 第4艦隊戦時日誌(3)』。 
    • Ref.C08030044800『昭和17年12月1日~昭和18年11月2日 第5戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030101000『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。 
    • Ref.C08030101100『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。 
    • Ref.C08030101300『昭和18年6月14日~昭和18年11月11日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。 
    • Ref.C08030052400『昭和18年4月1日~昭和18年11月15日 第14戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。 
    • Ref.C08030052500『昭和18年4月1日~昭和18年11月15日 第14戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。 
    • Ref.C12070104300『昭和13年 達 完/9月(2)』。 
    • Ref.C12070176200『昭和18年1月~4月 内令1巻/内令昭和18年4月(1)』。 
    • Ref.C12070193800『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年1月(1)』。 
    • Ref.C12070193900『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年1月(2)』。 
    • Ref.C12070196900『昭和19年1月~7月 内令/昭和19年3月(5)』。 
  • 外山三郎『図説 太平洋海戦史 第3巻 写真と図説で見る日米戦争光人社、1995年9月。ISBN 4-7698-0711-2 
  • 手塚正己『軍艦武藏 上巻』新潮文庫、2009年。ISBN 978-4-10-127771-4 
  • 豊田穣『雪風ハ沈マズ 強運駆逐艦 栄光の生涯』光人社NF文庫、2004年(原著1983年)。ISBN 978-4-7698-2027-7 
  • チェスター・ニミッツ、E・B・ポッター、実松譲・富永謙吾訳『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1962年12月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』朝雲新聞社、1973年2月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書83 南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』朝雲新聞社、1975年8月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』朝雲新聞社、1976年8月。 
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』光人社、1990年 ISBN 4-7698-0461-X
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ判日本海軍艦艇写真集 17 駆逐艦 春雨型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年10月。ISBN 4-7698-0818-6 
  • 丸編集部編『重巡洋艦戦記 私は決定的瞬間をこの目で見た!』光人社、2010年11月。ISBN 978-4-7698-1485-6 
    • 当時「羽黒」信管手・海軍二等兵曹井上司郎『五戦隊「羽黒」ブーゲンビル島沖海戦』
  • 重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8 
    • 戦史研究家落合康夫『駆逐隊別「陽炎型駆逐艦」全作戦行動ダイアリィ 第四、第十五、第十六、第十七、第十八駆逐隊 太平洋奮迅録
  • 門司親徳「第4章 新設第五五一航空隊に移る」『空と海の涯で―第一航空艦隊副官の回想』光人社、2012年(原著1978年)。ISBN 978-4-7698-2098-7 

関連項目 編集