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大和 球士(やまと きゅうし、1910年4月14日 - 1992年3月4日)は、日本スポーツライター。本名:安藤 教雄[1][2](あんどう のりお)。埼玉県出身。

大和 球士
(安藤 教雄)
Kyushi Yamato 1956 Scan10015.JPG
生誕 (1910-04-14) 1910年4月14日
日本の旗 日本 埼玉県
死没 (1992-03-04) 1992年3月4日(81歳没)
日本の旗 日本
職業 スポーツライター野球記者
野球評論家
野球解説者
代表経歴 都新聞記者
ラジオ東京→東京放送(TBS)解説者(1952年 - 1974年)

野球選手としての経験はない[3]ものの、野球記者野球評論家として活動した。


来歴・人物編集

戦前都新聞(現:東京新聞)記者。当時は社会記者だったが後にスポーツ部へ配属される。当時、日本は太平洋戦争第二次世界大戦)の真っ只中にあり、当時の突貫精神を意識して「大和魂」と「野球博士」を絡ませたペンネームとして「大和球士」なる名前が付けられた。

戦後フリーのスポーツライターとして主として野球を中心に取材した。1950年には参議院選挙に全国区から立候補したが落選している。1952年からはライター活動と並行し、ラジオ東京(1960年11月29日より、東京放送=TBS)[4]専属のプロ野球解説者として1974年までラジオ・テレビに登場した(1957年までは同局唯一の専属解説者だった)。専属から離れる同年11月には、プロ野球中継での解説が評価され、TBSラジオからゴールデンマイク賞を受賞した[5]

晩年には野球殿堂の特別表彰委員会の選考委員をつとめた。

タコ足」(中河美芳[6]弾丸ライナー」(川上哲治)「塀際の魔術師」(平山菊二[1]といったプロ野球選手へのキャッチコピーの名付け親である。また、コラムなどの文中では「川上九連覇」や「酒豪」といったその人の特徴やエピソードに因んだ呼称を用いた(考案した)。

書籍『プロ野球三国志』シリーズ(もともとは日刊スポーツでの連載作品)は、大和の野球ライターとしての集大成的な作品となった。また、『真説日本野球史』は明治から第二次大戦後までの野球史をまとめた書籍として、現在でも資料価値が高く、Wikipediaを含む多くの出版物で情報源として使用されている。

ラジオ東京と解説者契約をしたきっかけについて、1951年11月に『民放におけるプロ野球放送私案』と題した小論文(NHKのようなかたい放送ではなく、楽しい放送をすべきという旨の案)をもって開局事務所を訪れ、当時の社長足立正との会食で私案を説明し、足立から連絡を受けた運動部長の鈴木恒治より私案を採用され自身も契約に至った事を、会社創立20周年を迎えた1971年に当時のTBSが発行した社内報で明かしている[7]

1992年3月4日、死去。享年82。

詳細情報編集

著書編集

  • プロ野球名選手物語(1955年、朋文堂)※旅窓文庫シリーズの一冊として発行。
  • 野球五十年(1955年、時事通信社)※1959年に増補改訂版を発行。
  • 弾丸ライナー(1951年、博友社
  • 弾丸ライナー(1951年、恒文社)※川上哲治との共著。
  • 栄光の門 続プロ野球三国志(1957年、ベースボール・マガジン社)※「スポーツ新書」シリーズの一冊として発行。
  • 虹をかける男 実録小説長島茂雄(1962年、ベースボール・マガジン社)※「スポーツ新書」シリーズの一冊として発行。
  • 野球百年(1966年、時事通信社)※1970年に改訂増補、1976年に改訂新版をそれぞれ発行。
  • 長島茂雄 虹をかける男(1974年、恒文社)
  • 弾丸ライナー川上哲治(1975年、恒文社)※1982年にも同タイトルの書籍を発行。
  • 真説日本野球史(1977-81年、ベースボール・マガジン社)※『明治編』、『大正編』、『昭和編 その一』から『昭和編 その8』(漢数字と算用数字は書籍により混在)の全10冊。

出演していた番組編集

表彰編集

  • ゴールデンマイク賞(1974年11月)

脚注編集

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  1. ^ a b 週刊ベースボール』(ベースボール・マガジン社発行)2004年8月23日号掲載『この人にこの技あり』第20回“平山菊二の「塀際の魔術」”(執筆:田村大五)…参考リンク(発行元が運営するウェブサイト『SportsClik』内の再録)
  2. ^ 野球殿堂の規約改正(第368回) - 『蛭間豊章記者の「Baseball inside」』(スポーツ報知ホームページ内蛭間豊章ブログ)2007年11月28日付より。
  3. ^ 楽コレ! アナクロですが:<その66>続・遠く行進曲が聴こえる - 『毎日jp(毎日新聞)』2010年12月30日付(執筆:玉木研二
  4. ^ 1955年4月よりラジオテレビ兼営局2001年10月にラジオ部門がTBSラジオ&コミュニケーションズへ、2009年4月にテレビ部門がTBSテレビへそれぞれ分離され、放送持株会社「東京放送ホールディングス」となった。
  5. ^ 『TBS50年史』資料編P295に掲載のゴールデンマイク賞受賞者一覧表。
  6. ^ ベースボールと戦争②名一塁手・中河美芳 つきまとった憲兵隊のカゲ - 『上田龍の「Called Shot!」日米野球界、快&怪人物列伝』(野球ライター上田龍のブログ)2011年8月15日付記事より。
  7. ^ 『TBS社報』No.360の29ページ
  8. ^ 『TBSアナウンサーの動き』より、1952年3月12日の記述を参照。

参考資料編集

  • TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館の所蔵情報
    • 資料編
    • 付録のDVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録されたPDFファイル
      • 『TBSアナウンサーの動き』(ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書)
      • 『TBS社報』No.360(1971年5月10日、東京放送発行)20 - 29ページ掲載記事『私とTBS -TBS20周年におもう-』(創立20周年を記念した、TBSゆかりの人物によるコメントが掲載)の再録

関連項目編集