大崎 善生(おおさき よしお、1957年(昭和32年)12月11日 - )は、日本作家、元雑誌編集者CS日本番組審議会

大崎 善生
(おおさき よしお)
誕生 (1957-12-11) 1957年12月11日(66歳)
日本の旗 日本 北海道札幌市
職業 作家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 早稲田大学卒業
活動期間 2000年 -
ジャンル ノンフィクション、恋愛小説
主題 棋士 ほか
主な受賞歴 新潮学芸賞 (2000年)
吉川英治文学新人賞 (2002年)
デビュー作聖の青春』(ノンフィクション)
パイロットフィッシュ』(小説)
配偶者 高橋和女流棋士
子供 長男(2005年生)
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来歴・人物 編集

北海道札幌市出身。実家は作家の原田康子宅の隣にあり、小学生時代に原田と交流があった[1]。大崎が吉川英治文学新人賞を受賞した翌年に原田が吉川英治文学賞を受賞し、授賞式で原田は「隣の僕ちゃんが昨年吉川英治文学新人賞を受賞されて……」とユーモラスなスピーチを披露した[2]

祖父、父、伯父たち(父の兄弟)、兄の皆が医師で(兄は当時医学生)、大崎自身も医学部進学を望まれていたが、父の反対を押し切って上京した[3][4]

早稲田大学時代は文学青年で、フィリップ・K・ディックロバート・A・ハインラインカート・ヴォネガットなどを夢中で読んでいた[5]。一方で、大都会での生活に馴染めず、部屋にこもって少女漫画ばかり読んでいた時期もあり、特に吉田秋生の『河よりも長くゆるやかに』や『夢みる頃をすぎても』などの青春ものに胸をときめかせていた[6]。同じ頃、大学生活にも適応できず、やがて将棋に熱中するようになる。学校に行かず、アルバイトもせず、新宿将棋センターに入り浸る生活を送り、約1年でアマチュア最高位[注 1]の四段まで昇段した[7]。また、角落ちから将棋の手ほどきをしてくれた府川充男らと、雑誌『同時代音楽』の編集に携わる[要出典]

毎日将棋を指しに来る大崎を見ていた将棋道場の席主の紹介により、卒業後の1982年日本将棋連盟に就職し[8]、道場の手合い係を経て、雑誌編集部に移り、『将棋年鑑』『将棋マガジン』『将棋世界』を手がける。1991年に『将棋世界』編集長となり、真部一男「将棋論考」、河口俊彦「新・対局日誌」などを企画する。1996年、高橋和二段を連れてヨーロッパ4カ国の将棋ファンを指導するという企画を立てた[9]

1998年4月、青野照市九段と共にスウェーデンとノルウェーの二か国を現地の将棋ファンとの交流と指導対局ために訪れた[18,19]。1997年春に加藤完司というオスロの駐在員からのファックス、そしてほぼ同時期にスウェーデンからのメールが届き、これを契機に両者との交信が続いていた。1998年の正月に青野九段からプライベートの旅行の行程の途中に北欧を組み入れ指導対局ができないだろうかの申し入れを受けた。これらの偶然が重なり実現したものである。1999年には中座真四段(当時)と共にノルウェーを再訪した。

33歳の時に初めて受けた健康診断の結果に因んで、先崎学八段に“ミスターガンマーGTP”というニックネームを付けられた(その後の生活改善により数値も降下した)[10]

2000年将棋棋士村山聖の生涯を追ったノンフィクション小説『聖の青春』で作家デビュー。本作の題材は元々、友人が育てていたノンフィクションの書き手が執筆する予定だった。しかし、その書き手が病気で急逝。物語の執筆者としてフィットする人が見つからず、その友人が「大崎さんが書いてくれるとええんやけどなあ」と漏らした。その一言が転機となり[11]、大崎が手掛ける事となった。同作は第13回新潮学芸賞を受賞した。

テレビマンユニオンの元会長萩元晴彦とは親友と言える仲で[12]、同作に惚れ込んだ萩元が出版元の講談社と直談判し同作の映像化権を獲得、ドラマ化された。同作はのちに、漫画化・舞台化もされた。

2001年に退職し、専業作家となった。同年の『パイロットフィッシュ』からは、将棋から離れ、小説を発表。

2003年春、かねてより交際していた高橋和と結婚。年に3ヵ月は精神的な栄養補給のために海外を放浪したいという大崎の考えにも賛成してくれ、パチスロという楽しみを教えてくれた彼女との結婚は、決して人生の転機にならないだろうという理由が決め手となった[11]

2011年2月、NHK教育テレビジョンにて『こだわり人物伝 升田幸三 伝説の棋士』のメインパーソナリティーを務めた(2月2日から毎週全4回)。

料理は趣味の一つで、取材で長期滞在したヨーロッパで食べたようなブイヤベースボンゴレ・ビアンコ、また燻製ベーコンなど時間と手間のかかるものが好きである[13][14]。愛煙家だった[15]が、47歳から禁煙を始めた[16]

村上春樹は特別な存在で、村上の作品の中でも『風の歌を聴け』は一段と鮮明な輝きを恒常的に放ち続けていると述べている[17]。また、自分がもっとも繰り返し読んだ本も村上の『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『納屋を焼く』『パン屋再襲撃』『中国行きのスロウ・ボート』のどれかである[5]とのこと。

2022年に、咽頭がんのため声帯を全摘出した[18]

略歴 編集

著書 編集

ノンフィクション 編集

小説 編集

  • 恋愛三部作(雑誌編集者・山崎隆二が主人公のシリーズ)
  • 九月の四分の一』(2003年4月 新潮社 / 2006年3月 新潮文庫
  • 『ロックンロール』(2003年11月 マガジンハウス / 2007年8月 角川文庫)
  • 『孤独か、それに等しいもの』(2004年4月 角川書店 / 2006年9月 角川文庫)
  • 『別れの後の静かな午後』(2004年10月 中央公論新社 / 2007年9月 中公文庫
  • 『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』(2005年6月 新潮社 / 2008年1月 新潮文庫)
  • 『優しい子よ』(2006年6月 講談社)
  • 『タペストリーホワイト』(2006年10月 文藝春秋 / 2009年9月 文春文庫)
  • 『スワンソング』(2007年8月 角川書店 / 2010年6月 角川文庫)
  • 『ディスカスの飼い方』(2009年1月 幻冬舎)のち文庫 
  • 『存在という名のダンス』(2010年1月 角川書店)
    • 【改題】孤独の森(2012年12月 角川文庫)
  • 『ランプコントロール』(2010年7月 中央公論新社 / 2013年7月 中公文庫)
  • 『ユーラシアの双子』(2010年11月 講談社 / 2016年3月 講談社文庫) - 書き下ろし100冊
  • 『Railway stories』(2010年3月 ポプラ社)
  • 『さようなら、僕のスウィニー』(2014年4月 ポプラ文庫
  • 『ロストデイズ』(2015年2月 祥伝社 / 2018年8月祥伝社文庫

その他(エッセイなど) 編集

  • 『編集者T君の謎 将棋業界のゆかいな人びと』(2003年1月 講談社 / 2006年7月 講談社文庫 / 2014年8月 角川文庫)
  • 『傘の自由化は可能か』(2006年11月 角川書店 / 2009年11月 角川文庫)
  • ラジオドラマ DOCOMO シーソーメール〜SHE SAW MAIL〜 シーズン1、シーズン2の脚本(2010年4月-9月 TOKYO-FM
  • 『西の果てまで、シベリア鉄道で ユーラシア大陸横断旅行記』(2012年3月 中央公論新社)
  • 『棋士という人生: 傑作将棋アンソロジー』 (編著、2016年9月  新潮文庫)

漫画化作品 編集

映像化作品 編集

ドラマ
映画

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 現在は一般的には六段、アマチュア竜王戦3回優勝か、特別な功労者などが昇段できる最高位は八段。

出典 編集

参考文献 編集

  • 大崎善生『傘の自由化は可能か』角川書店、2006年。ISBN 4-04-883915-2 

関連項目 編集

外部リンク 編集

  • ^ 大崎, p.127「ろうそく集め」
  • ^ 大崎, p.209「一本の大木」
  • ^ 大崎, p.40 「過去へ回帰する旅」
  • ^ 大崎, p.108 「時を越えて響く記憶『異邦人』」
  • ^ a b 大崎, p.252 「マイ・ロングセラーII『中国行きのスロウ・ボート』」
  • ^ 大崎, p.254 「マイ・ロングセラーIII『夢みる頃をすぎても』」
  • ^ 大崎, p.72 「社会への抵抗」
  • ^ 大崎, p.160 「消え去らない胸のいたみ」
  • ^ 大崎, p.33 「出会いのオーボワ」
  • ^ 大崎, p.80-81 「私の好きな酒肴 韮納豆」
  • ^ a b 大崎, p.91 「転機にならないから結婚する」
  • ^ 大崎, p.75 「『親友』が遺した言葉」
  • ^ 大崎, p.123-124 「自分で料理」
  • ^ 大崎, p.144 「燻製」
  • ^ 大崎, p.149 「愛煙家」
  • ^ 大崎, p.162 「苦しみのなかに現れた三つめの味方」
  • ^ 大崎, p.217 「私にとっての恒常的な光の存在」 18.大崎善生「将棋世界」1998年7月号P20 「北欧訪問記」   19.大崎善生「将棋世界」1998年8月号P25 「北欧訪問記ノルウェイ編」
  • ^ 日刊スポーツ