奄美大島要塞(あまみおおしまようさい)とは、奄美大島加計呂麻島に挟まれた大島海峡防備のため設置された大日本帝国陸軍要塞である。

概要編集

日本海軍は大島海峡を基地として重要視していた。第一次世界大戦後、太平洋の日本近海において敵軍に根拠地を与えないため、奄美大島要塞と父島要塞を新設し、また澎湖島要塞を拡充することが計画された。海軍は陸軍に対して強く働きかけて実現したものである。

1921年から砲台工事に着手したが、1922年2月、ワシントン軍縮会議による太平洋防備制限条約により工事は中止となった。ただし、要塞設置自体は行われ、1923年に要塞司令部が開設された[1]

1941年9月6日に帝国国策遂行要領が決定されると、同月10日に奄美大島要塞の要塞部隊の動員・臨時編成が下令された。11月8日には準戦備が発令され、開戦後は周辺海域の防備にあたった。1944年5月に、主戦力の要塞重砲兵連隊を野戦的性格も持つ重砲兵連隊に改称された。連合国軍の上陸は無く、防空戦闘程度で終戦を迎えた。

現状、安脚場砲台のみが安脚場戦跡公園として公園整備されている。また西古見砲台も定期的に清掃などが行われており、容易にアクセスできる状況にある。その他の砲台は植物が繁茂して自然に帰っており、ハブなども生息しているため見学には命の危険を伴う。

年譜編集

  • 1920年(大正9年)8月 陸軍築城部奄美大島支部設置
  • 1921年(大正10年)7月 安脚場砲台着工
    • 8月 実久砲台着工
    • 9月 西古見第1砲台・西古見第2砲台着工
    • 10月 江仁屋離島砲台着工
    • 11月 皆津崎第1砲台・皆津崎第2砲台着工
  • 1922年(大正11年)2月 砲台工事中止
  • 1923年(大正12年)2月 奄美大島要塞司令部設置
  • 1941年(昭和16年)9月10日 要塞部隊の動員・臨時編成下令
    • 11月8日 準戦備発令

主要な施設編集

加計呂麻島
  • 安脚場砲台
  • 実久砲台
江仁屋離島
  • 江仁屋離島砲台
奄美大島
  • 西古見第1砲台
  • 西古見第2砲台
  • 皆津崎第1砲台
  • 皆津崎第2砲台

歴代司令官編集

  • 不明:1923年2月 -
  • 柏木誠一 中佐:1926年3月2日 -
  • 西長盛 中佐:1928年3月8日 -
  • 渡優太 中佐:1931年8月1日 -
  • 下村義和 大佐:1932年12月7日 -
  • 笠蔵次 大佐:1934年8月1日 -
  • 高橋省三郎 大佐:1935年6月26日 -
  • 藤田与五郎 大佐:1937年3月1日 -
  • 川合祐三 大佐:1939年1月26日 -
  • 海福三千雄 中佐:1940年8月1日 -
  • 宮内陽輔 大佐:1941年9月11日 -
  • 井上二一 大佐:1942年8月1日 -

奄美大島要塞重砲兵連隊編集

奄美大島要塞重砲兵連隊は、奄美大島要塞の主戦力として1941年9月10日に編成下令された。下関で編成の後に奄美大島要塞に展開した。太平洋戦争の戦況悪化が進むと、連合国軍の上陸に備えた戦備強化のため、新設の野戦部隊の火力支援も担うことになり、1944年5月3日をもって重砲兵第6連隊に改称した。独立混成第64旅団に編合され、連隊主力は引き続き奄美大島要塞の防備にあたる一方、1個中隊徳之島陸軍飛行場、1個小隊喜界島海軍飛行場の防衛のために派遣した。

  • 奄美大島要塞重砲兵連隊
    • 編成地:下関
    • 最終連隊長:宮内陽輔
  • 重砲兵第6連隊(通称号:球第2740部隊)
    • 編成地:奄美大島
    • 最終連隊長:末松五郎

参考文献編集

  • 浄法寺朝美『日本築城史 - 近代の沿岸築城と要塞』原書房、1971年。
  • 歴史群像シリーズ『日本の要塞 - 忘れられた帝国の城塞』学習研究社、2003年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 篠崎達男「日本陸軍「沿岸要塞」の戦い」『丸別冊 忘れえぬ戦場』太平洋戦争証言シリーズ18号、潮書房、1991年。
  • 田藤博「砲兵連隊の戦歴」『日本陸軍機械化部隊総覧』別冊歴史読本16巻6号、新人物往来社、1991年。

脚注編集

関連項目編集