宮村 定男(みやむら さだお、1915年大正4年〉2月19日 - 2011年平成23年〉11月25日)は、日本医師細菌学者。医学博士新潟大学医学部細菌学教室第3代教授、新潟大学医学部第10代学部長、元新潟医療技術専門学校校長、元学校法人新潟科学技術学園理事長。新潟大学名誉教授、新潟薬科大学名誉教授、日本細菌学会名誉会員、日本化学療法学会名誉会員、新潟大学管弦楽団名誉団長。趣味はバイオリン水泳[1]

宮村 定男みやむら さだお
生誕 (1915-02-19) 1915年2月19日
大日本帝国の旗 大日本帝国
新潟県北蒲原郡川東村
死没 2011年11月25日(2011-11-25)(96歳没)
日本の旗 日本国
新潟県新潟市西区青山
死因 老衰
国籍 日本の旗 日本
教育 新潟医科大学
著名な実績 薬剤耐性機構の研究
親戚 (長男)宮村達男
医学関連経歴
職業 医師細菌学
所属 新潟医科大学
新潟薬科大学
新潟医療技術専門学校
受賞 勲二等瑞宝章

略歴

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新潟県北蒲原郡川東村大字下羽津(現 新発田市下羽津)出身。1931年昭和6年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1934年(昭和9年)3月に新潟高等学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟医科大学を卒業[1][2]

1938年(昭和13年)3月に新潟医科大学細菌学教室(担任:宮路重嗣教授)副手に就任[2]、12月に助手に就任[3]1943年(昭和18年)1月に医学博士号を取得、10月に新潟医科大学細菌学教室(担任:伊藤泰一教授)講師に就任[3]

1944年(昭和19年)6月に新潟医科大学附属医学専門部教授に就任[3]1946年(昭和21年)1月に新潟医科大学細菌学教室助教授に就任[4][注 1]1951年(昭和26年)4月に新潟大学医学部細菌学教室助教授に就任[2]

1961年(昭和36年)6月に新潟大学医学部細菌学教室第3代教授に就任[6]1963年(昭和38年)9月から3カ月間、アメリカに出張し、医学教育と研究施設を視察[7]1969年(昭和44年)9月に新潟大学評議員に就任[8]

1973年(昭和48年)10月に新潟大学医学部第10代学部長に就任[9][注 2]1974年(昭和49年)1月に海外協力事業団派遣巡回指導調査団団長として、タイインドスリランカに出張し、大学や研究所で電子顕微鏡などの操作技術を指導[11]

1980年(昭和55年)4月1日に新潟大学を定年退官[11]、6月に新潟大学名誉教授の称号を受称[12]1981年(昭和56年)1月に新潟薬科大学教授に就任[13]、4月に新潟医療技術専門学校校長に就任[2]

1985年(昭和60年)3月に新潟薬科大学を退職[2]、新潟薬科大学名誉教授の称号を受称[1]1994年平成6年)4月に学校法人新潟科学技術学園理事長に就任[2]

1996年(平成8年)3月に新潟医療技術専門学校校長および学校法人新潟科学技術学園理事長を退任[2]

2011年(平成23年)11月25日午後7時5分に新潟市西区青山の聖園病院で老衰のため死去[14]

化学療法、特に薬剤耐性機構の研究を行った[15][16]

栄典・表彰

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親族

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著作物

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著書

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訳書

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論文

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1946年昭和21年)8月から10月にかけて新潟県西蒲原郡曽根町(現 新潟市西蒲区)と新潟県南蒲原郡今町(現 見附市今町)と新潟県西蒲原郡月潟村(現 新潟市南区)でコレラが発生した際、検査・防疫にあたった[5]
  2. ^ 1977年(昭和52年)10月に退任[10]

出典

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  1. ^ a b c 恙虫病研究夜話』奥付。
  2. ^ a b c d e f g 日本細菌学雑誌』第67巻第2号、224頁。
  3. ^ a b c 日本細菌学雑誌』第67巻第2号、224頁。『新潟大學醫學部五十年史』542頁。
  4. ^ 日本細菌学雑誌』第67巻第2号、224頁。『新潟大學醫學部五十年史』542頁。『新潟大学医学部七十五年史 下巻』100頁。
  5. ^ 新潟大学医学部百年史』49頁。
  6. ^ 日本細菌学雑誌』第67巻第2号、224頁。『恙虫病研究夜話』奥付。『新潟大學醫學部五十年史』542頁。『新潟大学医学部七十五年史 下巻』101頁。『新潟大学医学部百年史』54・182頁。
  7. ^ 新潟大学医学部七十五年史 下巻』101頁。
  8. ^ 日本細菌学雑誌』第67巻第2号、224頁。『新潟大学医学部七十五年史 下巻』102頁。
  9. ^ 日本細菌学雑誌』第67巻第2号、224頁。『恙虫病研究夜話』奥付。『新潟大学五十年史 部局編』424頁。『新潟大学医学部七十五年史 下巻』102-103頁。『新潟大学医学部百年史』58・498頁。
  10. ^ 新潟大学医学部百年史』498頁。
  11. ^ a b 日本細菌学雑誌』第67巻第2号、224頁。『新潟大学医学部七十五年史 下巻』103頁。
  12. ^ 新潟大学医学部百年史』60頁。
  13. ^ 日本細菌学雑誌』第67巻第2号、224頁。『恙虫病研究夜話』奥付。
  14. ^ 新潟日報』2011年11月30日付朝刊、25面。
  15. ^ 宮村定男先生を偲ぶ 新潟ペニシリンと感染症 update』13・15・17・20・27・35頁。『日本細菌学雑誌』第67巻第2号、225頁。『恙虫病研究夜話』奥付。
  16. ^ 新潟大学二十五年史 部局編』556-557頁。『新潟大学五十年史 部局編』424頁。『新潟大学医学部七十五年史 下巻』101-102頁。『新潟大学医学部百年史』182頁。
  17. ^ 日本細菌学雑誌』第67巻第2号、224頁。『新潟大学二十五年史 部局編』535頁。
  18. ^ 「叙位・叙勲」『官報』号外第53号、5頁、大蔵省印刷局、1988年4月30日。
  19. ^ 「叙位・叙勲」『官報』第5708号、9頁、国立印刷局、2011年12月27日。
  20. ^ 現代 物故者事典 2009〜2011』603頁。『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』579頁。

参考文献

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  • 『宮村定男先生を偲ぶ 新潟ペニシリンと感染症 update』山本達男・新潟大学医学部細菌学教室同窓会[編]、新潟大学大学院医歯学総合研究科国際感染医学講座細菌学分野、2011年。
  • 宮村定男先生を偲んで」『日本細菌学雑誌』第67巻第2号、223-225頁、山本達男[著]、日本細菌学会、2012年。
  • 「宮村定男」『日本近現代 医学人名事典 別冊 1868-2019 増補』163頁、泉孝英[編]、医学書院、2021年。
  • 「宮村定男」『現代 物故者事典 2009〜2011』603頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2012年。
  • 「宮村定男」『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』579頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2020年。
  • 「宮村定男氏」『新潟日報』2011年11月30日付朝刊、25面、新潟日報社、2011年。
  • 「著者略歴」『恙虫病研究夜話』奥付、宮村定男[著]、考古堂書店、1988年。
  • 『新潟大学二十五年史 部局編』新潟大学二十五年史編集委員会[編]、新潟大学二十五年史刊行委員会、1980年。
  • 『新潟大学五十年史 部局編』新潟大学五十年史編集委員会[編]、新潟大学五十年史刊行委員会、2000年。
  • 『新潟大學醫學部五十年史』新潟大学医学部五十周年記念会[編]、新潟大学医学部五十周年記念会、1962年。
  • 『新潟大学医学部七十五年史 下巻』新潟大学医学部創立七十五周年記念事業期成会・新潟大学医学部学士会[編]、新潟大学医学部創立七十五周年記念事業期成会・新潟大学医学部学士会、1994年。
  • 『新潟大学医学部百年史』新潟大学医学部創立100周年記念事業準備会・新潟大学医学部学士会[編]、新潟大学医学部創立100周年記念事業準備会・新潟大学医学部学士会、2010年。

関連文献

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  • 「宮村定男儀」『新潟日報』2011年11月30日付朝刊、22面、新潟日報社、2011年。
  • 「大学紛争の思い出」『新大広報』第133号、7-8頁、宮村定男[著]、新潟大学学生部学生課、1999年。
  • 十代医学部長 宮村定男教授 (PDF) 」『新潟大学医学部百周年記念アルバム』97頁、新潟大学医学部創立100周年記念事業準備会・新潟大学医学部学士会[編]、新潟大学医学部創立100周年記念事業準備会・新潟大学医学部学士会、2010年。
  • 水友会員 奥利根に参集 (PDF) 」『青山同窓会會報』第8号、5面、水野清之助[著]、青山同窓会、1969年。
  • 岡田正雄君逝く (PDF) 」『青山同窓会會報』第38号、2面、宮村定男[著]、青山同窓会、1984年。
  • 青山三九会 (PDF) 」『青山同窓会會報』第55号、4面、福山健[著]、青山同窓会、1992年。
  • 青山三九会 (PDF) 」『青山同窓会會報』第70号、7面、池田藤三[著]、青山同窓会、2000年。
学職
前回
小川透
日本細菌学会中部支部総会会長
第4回:1967年10月
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前回
桑原章吾
日本化学療法学会東日本支部総会会長
第22回:1975年9月
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日本細菌学会総会会長
第53回:1980年4月
次回
武谷健二
前回
井出道雄
日本染色体検査学会会長
第11回:1993年
次回
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