尚 金福王(しょう きんぷくおう、1398年洪武31年) - 1453年5月26日景泰4年4月18日))は、琉球王国第一尚氏王統・第5代国王(在位1450年 - 1453年)。第4代琉球国王。神号は君志(きみし)。尚巴志王の五男で、尚忠王の弟。

尚金福王
琉球国王
在位 1450年-1453年

全名 尚金福
神号 君志
居城 首里城
出生 1398年
死去 1453年5月26日
王世子 尚志魯
配偶者 不明
子女 尚志魯
家名 第一尚氏
王朝 第一尚氏王統
父親 尚巴志王
母親 不明
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概要 編集

1451年からの冊封使を迎えるため、国場川安里川の河口の湾に散在する島の一つであり浮島と呼ばれていた小さな港の那覇を貿易港として整備した。中国人懐機に命じ、那覇から沖縄本島の安里川側までの間に「長虹堤」と呼ばれる長さ1kmに及ぶ堤道を建設させ、首里との道を繋いだ。

1453年に尚金福王が56歳で薨去すると、息子の志魯と弟の布里が王位をめぐって内乱(志魯・布里の乱)が起きた。

系譜 編集