尾崎光子
尾崎 光子(おざき みつこ、1929年〈昭和4年〉7月28日 - 1987年〈昭和62年〉6月3日)は、日本の旧皇族。尾崎行雄の孫・尾崎行良の妻。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、光子女王(みつこじょおう)、お印は毬(まり)[2]であった。
尾崎 光子 (光子女王) | |
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伏見宮家 | |
1930年代撮影 | |
続柄 | 博義王第1王女子 |
身位 | 女王 →(皇籍離脱) |
敬称 | 殿下 →(皇籍離脱) |
お印 | 毬[1] |
出生 |
1929年7月28日 日本・東京府東京市麹町区紀尾井町、伏見宮邸 |
死去 |
1987年6月3日(57歳没) |
配偶者 | 尾崎行良 |
子女 | 1男2女 |
父親 | 博義王 |
母親 | 博義王妃朝子 |
伏見宮博恭王の孫にあたる。
生涯
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1929年(昭和4年)7月28日午後5時41分、伏見宮邸において博義王と同妃朝子の第1王女子として誕生[3]。御七夜の8月3日に「光子」と命名された[4]。
1947年(昭和22年)10月14日、伏見宮家当主で弟の伏見宮博明王が皇族の身分を離脱したため、光子女王も母・朝子妃や妹・章子女王と同様に皇室典範(昭和22年法律第3号)第13条により皇籍離脱した(昭和22年宮内府告示第16号)[5]。
皇籍離脱後は、尾崎行輝の二男でパイロットの尾崎行良と恋愛結婚し、子を生した。晩年は病に倒れ、治療を求めて夫ともに渡米したが、57歳で亡くなった。
家族
編集- 父:博義王
- 母:博義王妃朝子
- 兄弟:光子女王 - 伏見宮博明王 - 令子女王 - 章子女王
- 夫:尾崎行良 日本航空役員。尾崎行雄の孫であり、尾崎行輝の二男。熱烈な恋愛の末結婚した[6]。
- 長男:尾崎行和
- 長女:美佳子
- 次女:美奈子 坊城俊樹の妻。
市民協働による尾崎咢堂関係資料の整理・活用について木村弘樹、尾崎行雄を全国に発信する会、相模原市立博物館研究報告(27):40〜45,Mar.31.2019
栄典
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[7]
系譜
編集光子女王 | 父: 博義王 |
祖父: 博恭王(伏見宮) |
曾祖父: 貞愛親王(伏見宮) |
曾祖母: 河野千代子 | |||
祖母: 経子 |
曾祖父: 徳川慶喜 | ||
曾祖母: 新村信 | |||
母: 朝子 |
祖父: 一条実輝 |
曾祖父: 四条隆謌 | |
曾祖母: 四条春子[注釈 1] | |||
祖母: 一条悦子 |
曾祖父: 細川護久 | ||
曾祖母: 宏姫[注釈 2] |
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 伏見博明『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』中央公論新社、2022年1月26日。ISBN 978-4120054952。