山形村 (岩手県)

日本の岩手県九戸郡にあった村

山形村(やまがたむら)は、岩手県北部の九戸郡に存在したである。2006年(平成18年)3月6日に、旧・久慈市と合併して久慈市山形町となり消滅した。

やまがたむら
山形村
内間木洞
山形村旗 山形村章
山形村旗 山形村章
廃止日 2006年3月6日
廃止理由 新設合併
(旧)久慈市・山形村久慈市
現在の自治体 久慈市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
九戸郡
市町村コード 03504-1
面積 295.49 km2
総人口 3,121
推計人口、2006年3月1日)
隣接自治体 久慈市
岩手郡葛巻町
下閉伊郡岩泉町
九戸郡軽米町洋野町九戸村
村の木 しらかば
村の花 れんげつつじ
村の鳥 やまどり
山形村役場
所在地 028-8602
岩手県九戸郡山形村大字川井第8地割30番地
(久慈市山形町川井第8地割30番地)
旧山形村役場(久慈市役所山形総合支所となった後の2014年撮影)
旧山形村役場(久慈市役所山形総合支所となった後の2014年撮影)
座標 北緯40度08分54秒 東経141度34分18秒 / 北緯40.14833度 東経141.57153度 / 40.14833; 141.57153座標: 北緯40度08分54秒 東経141度34分18秒 / 北緯40.14833度 東経141.57153度 / 40.14833; 141.57153
山形村の県内位置図
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

歴史

編集

山形村は、沿岸と城下盛岡を結ぶ野田街道が通り、古くより沿岸の塩を内陸へ運ぶ「塩の道」として使われた。平庭高原の麓には、九戸政実の乱中に葛巻信祐と久慈氏の合戦で久慈直治軍300騎が待機した馬寄平や、合戦が行われた合戦場が地名として残り、戦には山形村からもその頭目が参加したといわれている。山形村は寛文4年までは盛岡藩に属し、以降は八戸藩久慈通に属した。当時は川井、霜畑、小国、繋、戸呂町、日野沢、荷軽部の各村があり、関村には盛岡藩と八戸藩の藩境として関番所が置かれていた。明治2年には宮古湾海戦で敗れた幕府軍脱走兵75人が盛岡に護送される途中、関村に滞在しその間に盛岡藩の役人100人、久慈代官所から30人の役人が関村に詰めたといわれている。

産業

編集

山形村の主な産物はマンガン、牛馬、漆、木炭などで、特に鉱業江戸時代から盛んであった。八戸藩の御手山となった金取鉄山や、繋鉄山、小国鉄山からは鉄を産出し、特に金取鉄山は二合吹きが多い中で安政期に四合吹き操業をして好成績を上げた。繋村の馬内金山、夏井の金山、深田金山、小国金山などからは金が産出し、周辺の河川では砂金の採取も行われた。近代にはマンガンの採掘が行われ、鉱床の数が岩手県下随一であった山形村には川井鉱山や小国鉱山など多数のマンガン鉱山が操業した。

沿革

編集

行政

編集
  • 村長:清水恭一(しみず きょういち・1999年5月1日就任)

交通

編集

鉄道

編集

村内を鉄道路線は通っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR東日本東北新幹線およびIGRいわて銀河鉄道いわて銀河鉄道線いわて沼宮内駅、あるいはJR東日本八戸線および三陸鉄道北リアス線久慈駅

バス

編集

道路

編集

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

編集

出身有名人

編集

脚注

編集
  1. ^ 法律第五十號」『官報』第3822号、内閣官報局、454頁、1896年3月30日https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2947101/4 

参考文献

編集
  • 山形村誌(岩手県久慈市)

関連項目

編集

外部リンク

編集