嵐山カントリークラブ

嵐山カントリークラブ(らんざんカントークラブ)は、埼玉県比企郡嵐山町に広がるゴルフ場である。

嵐山カントリークラブ
嵐山カントリークラブ
嵐山カントリークラブの空中写真。
2009年4月28日撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
埼玉県比企郡嵐山町鎌形1146番地
座標: 北緯36度1分11.49秒 東経139度19分18.89秒 / 北緯36.0198583度 東経139.3219139度 / 36.0198583; 139.3219139
Nuvola apps kolf.svg 概要
開業 1962年昭和37年)10月21日
運営 メンバーシップコース
設計 小寺 酉二
運営者 株式会社嵐山カントリー倶楽部
トーナメント ・1984年 第49回 日本オープンゴルフ選手権競技大会
Nuvola apps kolf.svg コース

OUTコース INコース
HOLE PAR YARD HOLE PAR YARD
1 4 386 1 4 354
2 3 155 2 3 163
3 4 376 3 4 423
4 4 430 4 4 422
5 4 392 5 5 528
6 5 505 6 4 412
7 4 375 7 3 166
8 3 190 8 4 408
9 5 509 9 5 570
36 3318 36 3446

Nuvola apps kolf.svg その他
公式サイト 嵐山カントリークラブ
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概要編集

東京都江東区深川湾岸埋立地に、1952年昭和27年)に開場した「東雲ゴルフ場」(設計・井上誠一)は、銀座大手町から車で至近距離ということで人気があった[1]。だが、1955年(昭和30年)になり、東京湾岸道路計画が建設大臣河野一郎から発表された[1]。東雲ゴルフ場を廃止して、東京都へ返還することが決定された[1]。その代替のゴルフ場を計画することになった[1]

移転先が検討され、理事長の元東京都長官松井春生は、長野県北佐久郡御代田町に計画、後に「大浅間ゴルフクラブ」(設計・松井春生)を、1963年(昭和38年)に開場した[1]。常務理事・天野健雄は、難航したが現在地の菅谷村鎌形と隣接の共同山に決定した[1]1961年(昭和36年)9月、初代理事長には天野が就任した[1]。菅谷村鎌形は、秩父山地の麓で標高50〜70メートルの台地で、都幾川の上流には京都嵐山に似た渓流があることから「武蔵嵐山」と名付けられた[1]

コース設計は小寺酉二に依頼、1960年(昭和35年)11月23日、コースの工事が着工された。小寺の設計方針は、徹底した1グリーン主義で、ひとつのグリーンに高麗芝ベント芝を張り分けたコンビネーショングリーンの採用で話題になっていた[1]。だが、嵐山カントリークラブでは、経営陣は、2グリーンを主張して対立したが、小寺は2グリーンを承諾した[1]

1961年(昭和36年)12月3日、コースは完成し、18ホールは仮開場された[1]。正式開場されなかったのは、ヤーデージ不足の修正、グリーンの改造などに費やすること約1年間、翌1962年(昭和37年)10月21日、全ての工事が完成し、18ホールのゴルフ場が開場された[1]。コースからは、秩父連山を見渡せるロケーションの恵まれた場所にある林間コースである[2][3]

小寺は、兵庫県生にまれ、米国プリンストン大学留学中に赤星六郎からゴルフの指導を受け、アマチュア競技大会で活躍した。戦後、ゴルフ界の国際化に貢献し、コース設計家として才能を発揮し多くのコース設計に携わった[1][3]

所在地編集

〒355-0225 埼玉県比企郡嵐山町鎌形1146番地

コース情報編集

  • 開場日 - 1962年10月21日
  • 設計者 - 小寺 酉二
  • 面積 - 825,000m2(約24.9万坪)
  • コースタイプ - 林間コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,442ヤード、コースレート72.4
  • グリーン - 2グリーン、ベント、ニューベント
  • フェアウエイ - コーライ
  • ラフ - ノシバ
  • プレースタイル - 乗用カート(5人乗り)、キャディ付き
  • 練習場 - 24打席 200ヤード
  • 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日[4][5]

クラブ情報編集

ギャラリー編集

交通アクセス編集

競技開催実績編集

エピソード編集

  • 都幾川の上流を「武蔵嵐山」と名付けたのは、日比谷公園を設計した本多静六といわれていて、「嵐山カントリークラブ」も第1回の募集時は「武蔵嵐山カントリークラブ」と称していた[9]
  • 「嵐山カントリークラブ」の場所は、歴史の古い土地柄で、武将・悪源太義平(源義平)ゆかりの大蔵館、鎌倉時代の武将・畠山重忠の菅谷館などの遺跡がある[9]

脚注編集

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「嵐山カントリークラブ」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年2月9日閲覧
  2. ^ 「嵐山カントリークラブ」、嵐山カントリークラブの歴史、2020年8月5日閲覧
  3. ^ a b 「嵐山カントリークラブ」、ゴルフダイジェスト、2020年8月5日閲覧
  4. ^ 「嵐山カントリークラブ」、ゴルフダイジェスト、ゴルフ場詳細、2020年7月日閲覧
  5. ^ 「嵐山カントリークラブ」、ゴルフホトライン、2020年8月5日閲覧
  6. ^ 「嵐山カントリークラブ」、クラブハウスについて、2020年8月5日閲覧
  7. ^ 「嵐山カントリークラブ」、アクセス、2020年8月5日閲覧
  8. ^ 「日本オープンゴルフ選手権競技」、日本ゴルフ協会、2020年8月5日閲覧
  9. ^ a b 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「嵐山カントリークラブ」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年2月9日閲覧

関連文献編集

  • 『建築文化』、17[(5)](187) 、「嵐山カントリークラブ 天野太郎研究室」、東京 彰国社、1962年5月、2020年8月5日閲覧
  • 『週刊ダイヤモンド』、59(28);1971年7月3日号、「嵐山カントリークラブ 玉川力」、東京 ダイヤモンド社、1971年7月、2020年8月5日閲覧
  • 『嵐山の二十年』、嵐山町 (埼玉県) 、「嵐山カントリークラブ」、1983年、2020年8月5日閲覧
  • 『紺碧の空に打つ 嵐山カントリークラブ30年の歩み』、30年史編纂委員会編纂、ダイヤモンド社 (東京)、 1993年10月、2020年8月5日閲覧
  • 『月刊ゴルフマネジメント』、8月20(180)、「嵐山カントリークラブ」、東京 一季出版、1999年8月、2020年8月5日閲覧
  • 『ゴルフ場ガイド 東版』2006-2007、「嵐山カントリークラブ(埼玉県)」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2020年8月5日閲覧
  • 『月刊ゴルフマネジメント』、28 (通号 281)、「ゴルフ倶楽部を考える(第252回)嵐山カントリークラブの誕生」、井上勝純著、東京 一季出版、2007年4月、2020年8月5日閲覧
  • 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「嵐山カントリークラブ」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2020年8月5日閲覧
  • 『住宅建築現代の要求に応えながら、魅力を再現する』、嵐山カントリークラブ 埼玉県比企郡嵐山町 設計 天野太郎研究室建築思潮研究所編、東京 建築資料研究社、2017年2月、2020年8月5日閲覧

関連項目編集

外部リンク編集