新谷陣屋
概要 編集
豊臣秀吉に仕えた甲府24万石を与えられた加藤光泰の嗣子で伊予大洲藩6万石の藩祖となった加藤貞泰は、関ヶ原の戦いでは東軍に属し島津軍と戦った。その後慶長15年(1610年)、美濃黒野藩4万石から伯耆米子藩6万石に移封された。大坂の陣では徳川方に属し、元和3年(1617年)に伊予大洲6万石の藩主となった。
寛永9年(1632年)、第2代藩主泰興の弟・直泰は幕府より1万石の分知の了承を得て、新谷藩が立藩した。寛永19年(1642年)、新谷の地に陣屋を構えた。江戸時代後期になると数々の災害に見舞われ、一時は宗家の大洲藩が藩政を見ることになったりした。
そういった苦難にもかかわらず新谷藩加藤氏は9代続き、泰令(やすのり)の代に明治維新を迎えた。廃藩置県後は新谷県庁舎として使用された[1]。
遺構 編集
遺構として、御殿麟風閣(愛媛県指定文化財)があり、また、陣屋のあった敷地は明治時代になると、幾つかに分けて売却され、金蔵がかろうじて現存している。現在陣屋のあった敷地は新谷小学校となっている。
所在地 編集
- 愛媛県大洲市新谷甲190
- 大洲市新谷町 - 地理院地図
- 新谷藩陣屋跡 - Google マップ
アクセス 編集
脚注 編集
外部リンク 編集
- 新谷藩陣屋跡 - 大洲市
座標: 北緯33度32分21.0秒 東経132度35分52.9秒 / 北緯33.539167度 東経132.598028度