有吉 ジュン(ありよし ジュン、1957年7月7日[2] - )は、主に1970年代後半期に活動した日本の元歌手、元タレント大阪府出身[1]。本名は池内 祥子[1]。所属していた芸能事務所は「エイプリル・ミュージック[3]→「コヒナタ企画」[4]

有吉 ジュン
出生名 池内 祥子[1]
生誕 (1957-07-07) 1957年7月7日(66歳)
出身地 日本の旗 日本 大阪府[1]
学歴 帝国学園高等学校
(現・大阪国際滝井高等学校卒業[1]
ジャンル 歌謡曲
ポップ・ミュージック
職業 歌手
タレント
活動期間 1970年代後半
レーベル CBS・ソニー
事務所 エイプリル・ミュージック → コヒナタ企画

来歴・人物 編集

サイズは身長161cm、B83cm、W59cm、H86cm(1977年当時)[1]

趣味はスキンダイビングオートバイ(1977年当時公表のもの)[5]

実家は運送屋[5]。中学2年生の時に西野バレエ団入団[6][5]、入団一年後に「西野ユニークメンバー」に選ばれ『全日本歌謡選手権』(読売テレビ制作・日本テレビ系列局)などにレギュラー出演[3]。帝国学園高等学校(現・大阪国際滝井高等学校)卒業[1][5]後、歌謡番組のアシスタントをしていたところをスカウトされ[1]、本格的に芸能界入り。1976年9月1日、シングル『涙があればいい』で歌手デビュー[1]

1979年8月MBSヤングタウン』(MBSラジオ)降板後の活動は不明。その後引退。

ディスコグラフィー 編集

シングル 編集

発売日 レーベル タイトル 作詞 作曲 編曲 備考
1976年9月1日 CBS・ソニー A 涙があればいい 千家和也 佐伯一郎 馬飼野康二
B ふたりの珈琲
1977年1月21日 A ランデブー 甲斐よしひろ 『ランデブー』は後に楽曲提供者の甲斐よしひろがセルフカバー2011年リリースのアルバム『ホームカミング KAI BOOTLEG SERIES Vol.1』に収録。
B メモリーグラス
1977年5月21日 A あげるものはなにもない 橋本淳 都倉俊一 馬飼野俊一
B 冒険
1977年11月21日 A 今日子の宵待草 穂口雄右 高田弘
B ピアノブルー
1978年9月21日 A 誘惑のスロットマシン 伊藤アキラ 佐瀬寿一 松任谷正隆
B 黄色いダンプ

出演 編集

テレビ 編集

テレビドラマ 編集

ラジオ 編集

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i 週刊現代 1977年5月5日号 p.60 - 63「龍虎“ごっつぁん”対談」
  2. ^ 週刊プレイボーイ 1977年6月28日号 巻頭グラフ
  3. ^ a b 明星 1976年10月号 p.130「9月のニューボイス」
  4. ^ 週刊プレイボーイ 1978年9月26日号 巻頭グラフ
  5. ^ a b c d 週刊テレビ番組(東京ポスト)1977年9月2日号 p.27「プロフィール」
  6. ^ 週刊ポスト 1977年6月3日号 p.5 - 7 グラビアページ
  7. ^ アサヒ芸能 1979年7月27日号 p.175