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有馬純文

有馬 純文(ありま すみあき、慶応4年1月3日1868年1月27日) - 昭和8年(1933年1月5日)は、明治時代から大正時代華族丸岡藩有馬道純の長男。子爵正三位勲四等。妻は相馬充胤の娘花子。子に有馬純尚山名晴彦山名義鶴の娘京子の婿)、克子(北条雋八妻)。

経歴編集

廃藩置県とともに家族と上京し学習院に入学。1882年(明治15年)、嘉納治五郎講道館を開設すると3番目の入門者となる。農科大学を卒業。1896年(明治29年)近衛騎兵連隊に入隊、1898年(明治31年)陸軍騎兵少尉となる。高等農学校講師、大日本農会農芸委員を歴任。1900年(明治33年)東宮侍従となる。父の死去に伴い、1903年(明治36年)6月19日に子爵を叙爵した[1]1908年(明治41年)皇太子(のちの大正天皇)の韓国訪問に随行した。1910年(明治43年)東久邇宮宮内事務官となる。墓所は谷中墓地

脚注編集

  1. ^ 『官報』第5989号、明治36年6月20日。


日本の爵位
先代:
有馬道純
子爵
丸岡有馬家第2代
1903年 - 1933年
次代:
有馬純尚