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東京都立八柱霊園

千葉県松戸市田中新田にある東京都立の霊園

概要編集

本霊園は1935年(昭和10年)に東京市が東方墓地として開設した。都市計画法に基づく都市施設名称は、東京都市計画墓園第5号八柱墓園として、東京都市計画区域外ながらも1944年都市計画決定されている。面積は105ヘクタール(約1平方キロメートル東京ドーム約20個分の面積に相当する。

周辺一帯は起伏に富んだ地形となっており、霊園も小高い丘とその谷間に造られている。なだらかな丘は芝生でおおわれ、谷間にはフランス風の幾何学模様の庭園がある。

700mの参道の両側にはケヤキ並木を有し、長方形の敷地の半分が墓所、残りは園路、植え込み地、広場などの公園になっている。ほかに宝塔形の給水塔噴水などがあり美しい景観を誇る。

近隣住民や霊園周辺に存在する松戸市立の小中学校の遠足マラソン大会、ウォーキングコースとして人気があり、都区内近郊の公園としても親しまれている。

都立霊園は通常、申込時に一定要件を満たした東京都在住者に利用が限られるが、この霊園については立地に対する配慮として松戸市民に対しても特例で利用枠が割り当てられている。園内には西條八十嘉納治五郎松山恵子などといった著名人の墓もある。

歴史編集

平成30年度 東京都立八柱霊園使用者募集編集

  • 申込資格:①申込者本人が、申込期間満了日(平成30年7月2-17日)において、都内又は松戸市内に一定年数以上継続して居住しておりそれを住民票で証明できること、②現在守っている遺骨がある者、③申込者からみて、親族(6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族)である者。

埋葬されている主な著名人編集

アクセス編集

関連項目編集

脚注編集

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  1. ^ さな子の死後、当初は知人たちによって東京都台東区にある東京都立谷中霊園(当時は東京市営谷中墓地)に土葬されたが、生前懇意にしていた小田切謙明の妻豊次が、縁者のないさな子が無縁仏となることを考え、小田切家の菩提寺である山梨県甲府市朝日5丁目の清運寺分骨した。その後、豊次の恐れた通り1950年(昭和25年)に谷中霊園の遺骨はすべて八柱霊園の無縁塚に葬られた。

外部リンク編集