松平頼元

江戸時代初期の大名。常陸額田藩初代藩主。従四位下・侍従、刑部大輔。徳川頼房の四男。守山松平家の祖

松平 頼元(まつだいら よりもと)は、江戸時代前期の大名常陸国額田藩初代藩主。

 
松平 頼元
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永6年7月14日1629年9月1日
死没 元禄6年4月28日1693年6月1日
改名 児麿(幼名)、頼元
別名 刑部(通称
戒名 粛山
官位 従四位下侍従刑部大輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱綱吉
常陸額田藩藩主
氏族 水戸徳川家守山松平家
父母 父:徳川頼房、母:勝
兄弟 頼重、通子、亀丸、万、棄、大姫
徳川光圀、菊、小良頼元頼隆頼利頼雄頼泰頼以、利津、房時、布里、
雑賀重義、犬、千、竹、梅、市、松、那阿
正室:嘉禰
側室:辻氏
胤、頼貞、幸、本多忠国頼愛、小三郎、長、耶々、久米、元、伊夜
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生涯

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寛永6年(1629年)7月14日、常陸国水戸藩初代藩主・徳川頼房の四男[1]として誕生した。母は佐々木政勝の娘・勝。童名は児麿[1]

正保3年(1646年)冬、従四位侍従刑部大輔となる[1]

寛文元年(1661年)9月26日、兄・光圀から常陸国額田2万石を与えられ[1]支藩の大名となった。和歌を好み、歌集「粛山集」を著している。また、一尾伊織に師事して茶道を学んだ。

元禄6年(1693年4月28日、死去した[1]。享年65[1]

同年6月、嫡子頼貞が跡を継いだ[1]

系譜

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 新井 1977, p. 103.

参考文献

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外部リンク

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