林愛作

林 愛作(はやし あいさく、1873年明治6年)10月12日 - 1951年昭和26年)2月10日)は元帝国ホテル支配人、元甲子園ホテル支配人。

来歴編集

群馬県出身。10代で単身渡米、マウントモーハン校を経てウィスコンシン大学で学び[1]、1897年ニューヨーク山中商会に入社[2]。審美眼の高さと才気を認められ、美術商としてニューヨーク社交界で活躍する。

1909年 渋沢栄一の依頼で帝国ホテル支配人に着任。業績の悪化していたホテルを、設備投資と進取的アイデアで、経営を立て直し利益を上げた。帝国ホテル新館設立にあたり、山中商会時代の顧客で面識のあったフランク・ロイド・ライトに設計を打診し、1916年正式にライトと契約を結ぶ。1922年4月新館に隣接する初代帝国ホテルの火災により総支配人を引責辞任。

1930年甲子園ホテルを計画、支配人となる。戦時中は香港ホテルの支配人などを務めた。

生涯編集

  • 1873年、群馬県に生まれる。父は村長を務める地元の名士であったが、破産により一家離散。11歳頃に東京に出て、母方の叔父の煙草屋で働く。
  • 1890年頃、横浜に出て働きながら旅費をためる。
  • 1892年頃、貨物船で米国へ渡り[3]、サンフランシスコの教会やハイスクールで学ぶ。
  • 1897年頃、ニューヨークに出て、美術商店山中商会に入社。ニューヨーク社交界で日本の美術品を紹介する中でフランク・ロイド・ライトと出会う。
  • 1908年9月、日本のお雇い外国人であったアーネスト・フェノロサがロンドンで客死すると、仏教徒だった彼の遺骨を日本の寺に埋葬するため尽力する。この頃、業績が悪化した帝国ホテルを立て直すため渋沢栄一大倉喜八郎らが新支配人が探しており、林愛作に白羽の矢がたつ。[3]
  • 1909年8月18日、支配人として着任。帝国ホテル支配人としては7代目、日本人の帝国ホテル支配人としては3人目の支配人となる。
  • 1909年~ホテルの設備に投資、室内装飾を改善する。
  • 1910年、ホテルの伝票を刷新し、経理状況を明確にする一方、築地の支店を廃止する。ビリヤード室や大宴会場を改修、ホテル内郵便局の設置、従業員のための共済会を設立、外国人観光客向け日本紹介雑誌を帝国ホテルで発行、広告の強化などを行う。
  • 1911年、レストランで提供するパンをホテル内の厨房で焼くためのかまどを設置。ホテル内で洗濯を行うため自営ランドリーを設置。
  • 1911~1912年頃から帝国ホテル新館の設立の計画を具体的に始め、下田菊太郎へ新館の設計依頼をする。
  • 1912年、ジャパン・ツーリスト・ビューロー(日本交通公社JTBの前身)の理事に就任。
  • 1913年、下田菊太郎への新館設計を有耶無耶にし、フランク・ロイド・ライトへの依頼を具体化。
  • 1914年、東京ゴルフ倶楽部を設立、理事に就任。
  • 1915年、しょうゆを使った料理について、シェフ・内海藤太郎と意見が対立し、内海は辞職。
  • 1916年、シカゴでライトと新館設計の契約書を交わす。
  • 1917年、ライトにより林愛作邸(朋来居)が設計、竣工する。日本の桜について勉強する『桜の会』を発足、理事に就任する。フェノロサ『東亜美術史綱』発行、刊行の費用をすべて負担。
  • 1918年、帝国ホテルの新館用地取得のめどが立ち、工事が開始される。
  • 1919年、小田原ホテルを計画するが途中で頓挫となる。帝国ホテル別館(1906年建設)が火事で全焼する。
  • 1920年、ライトの設計により帝国ホテル別館が建設される。新館(ライト館)の工事が開始される。
  • 1921年、新館(ライト館)の予算・工期が大幅にオーバーし、窮地に立たされるがライトを擁護し続ける。
  • 1922年4月16日、帝国ホテル初代館が失火により全焼。隣接する工事中の新館(ライト館)は無事。4月20日重役会で支配人を辞職する。[1]
  • 1926年、英国の桜研究者コリングウッド・イングラムの来日案内をする。
  • 1927年、帝国ホテルが東京会館の経営を引き継ぐことになり、弟・林英策が東京会館支配人になる。
  • 1927年頃~、阪神電鉄関西の実業家に呼ばれて甲子園ホテルの計画を始める。甲子園ホテルの設計をライトの弟子・遠藤新へ設計依頼をする。
  • 1930年、甲子園ホテル竣工、支配人に着任する。[4]
  • 1931年、甲子園ホテル支配人を辞任。
  • 1932年、商店「朋来舎」を立ち上げる。
  • 1942年、香港に渡り、香港ホテルの支配人となる。
  • 1946年、アメリカのライトに手紙を出し、何度かやりとりをする。
  • 1947年、敗戦後の日本の状況を知ったライトから、マッカーサー経由で手紙と250ドルの小切手が贈られる。[5]
  • 1951年2月10日死去 享年78才。

脚注編集

  1. ^ a b 帝国ホテル (1990年). 帝国ホテル百年史. 帝国ホテル. 
  2. ^ 桑村常之助 (1911年). 財界の実力. 金桜堂. 
  3. ^ a b 帝国ホテルの120年. 帝国ホテル. (2010). 
  4. ^ 甲子園ホテル物語. 東方出版. (2009). 
  5. ^ 帝国ホテル ライト館の幻影―孤高の建築家 遠藤新の生涯. 廣済堂出版. (1997). 

関連項目編集

外部リンク編集