座標: 北緯35度25分31秒 東経139度37分44秒 / 北緯35.425264度 東経139.628967度 / 35.425264; 139.628967

根岸住宅地区(ねぎしじゅうたくちく 英語: Naval Housing Annex Negishi)は、神奈川県横浜市中区南区磯子区に位置する在日アメリカ海軍住宅専用施設(米軍住宅)。2004年平成16年)に日本への返還が日米間で合意され、2019年令和元年)11月15日には日米合同委員会が共同使用で合意した[1]

根岸森林公園から見た根岸住宅地区(丘の上。2009年)

2014年(平成26年)6月には域内の学校教会が閉鎖され、2015年(平成27年)12月に全住民が退去。国有地民有地が入り組むため跡地利用が課題となっている[2]

横浜市立大学医学部の移転候補地になっている[3]

総面積は429,259 m2、そのうち国有が272,756 m2 (63.5%)、市有が273 m2 (0.1%)、民有が156,231 m2 (36.4%) である。

概要 編集

1947年昭和22年)にアメリカ陸軍工兵隊により住宅が建設され、「X住宅地区」と命名される。当初は米陸軍の管轄であったが、その後に米海軍の管轄となり名称も「根岸住宅地区」となる。アメリカ軍関係者からは通称でNegishi Heightsと呼ばれていた。

住宅385戸の他、消防署、教会、小学校保育園、独身兵士宿舎、レストランプール診療所などが存在[4][5]。当住宅地区の住居番号は500から始まっているが、これは1から499までの住居番号が1982年(昭和57年)に返還された「横浜海浜住宅地区」(横浜市中区本牧)に存在していたためである。

慢性的な住宅不足から、逗子市と横浜市にまたがる池子住宅地区へ数百戸の住宅を建設する条件で、根岸地区の返還が合意された。さらに2015年(平成27年)12月には当地区居住者(消防などの部隊を除く、米海軍関係者とその家族)[6]の退去が完了しており[注 1]、返還の実現に向けて大きく前進することとなった[6][7]

日本人の居住問題 編集

2世帯7人の日本人が周りを根岸住宅地区に囲まれて居住している(2015年2月時点)。防衛省によれば、米軍施設内で日本人が生活している例は他に無い[8][9]

2013年(平成25年)12月20日、居住者のうち2名が、長年にわたり陸の孤島での日常生活を強いられてきたとして国に慰謝料など約1億1千500万円の賠償を求め横浜地方裁判所に提訴した[8][9]。外出・帰宅時には米軍施設のゲートで通行証を提示しなければならない、利用できる宅配便タクシーが制限されるなどの制約があり、イラク戦争の際は仕事の後、深夜まで帰宅できないこともあった[7][8][9]。その後、住宅地区側の1か所を除き3か所のゲートが閉鎖されており[10]、中に住む人がさらに通行困難な状況下にある[8][9]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 池子住宅地区の住宅は完成していないが、一時的に民間のマンションに移住するなどして退去が完了した[7]

出典 編集

関連項目 編集

  • 米軍住宅
  • 本牧 - 1982(昭和57)年3月31日の接収地返還まで、米軍横浜海浜住宅地区 (Yokohama Beach Dependent Housing - Area)があった。
  • 新山下 - かつて「見晴らしトンネル」の交差点付近に在日米軍独身将校宿舎である「ベイサイド・コート」があった。
  • 池子住宅地区及び海軍補助施設 - 横浜市金沢区と逗子市にまたがる在日米軍施設で、住宅や運動場などが立地している。前述の返還合意により、当地区からも多くの住人が移住している。
  • 横浜市内のその他の米軍関連施設
    • 深谷通信所(送信施設) - かつては横浜市泉区に所在する在日米海軍の基地であったが、2014年6月に同施設を含めた土地全体が日本へ返還された。
    • 上瀬谷通信施設(受信施設) - かつては横浜市瀬谷区旭区に所在する在日米海軍の基地であったが、2015年6月に同施設を含めた土地全体が日本へ返還された。
    • 鶴見貯油施設 - 在日米海軍の貯油施設。
    • 横浜ノース・ドック - 在日米陸軍及び海軍の港湾施設。横浜港の瑞穂埠頭内に所在。

外部リンク 編集