逗子市
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ずしし 逗子市 | |||||
---|---|---|---|---|---|
![]() 披露山公園の展望 | |||||
| |||||
国 |
![]() | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 神奈川県 | ||||
市町村コード | 14208-5 | ||||
法人番号 |
1000020142085 ![]() | ||||
面積 |
17.28km2 | ||||
総人口 |
56,996人 [編集] (推計人口、2020年9月1日) | ||||
人口密度 | 3,298人/km2 | ||||
隣接自治体 | 横浜市、鎌倉市、横須賀市、三浦郡葉山町 | ||||
市の木 | ツバキ | ||||
市の花 | ほととぎす[1] | ||||
逗子市役所 | |||||
市長 | 桐ケ谷覚 | ||||
所在地 |
〒249-8686 神奈川県逗子市逗子五丁目2番16号 北緯35度17分44.2秒東経139度34分49.2秒座標: 北緯35度17分44.2秒 東経139度34分49.2秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | 市外局番:046、0467(小坪の一部) | ||||
ウィキプロジェクト |
概要編集
古都保存法の指定都市となっている。
市制30周年を記念して、1984年(昭和59年)4月15日に市の花(逗子市の市花を制定)をほととぎすにする[1]。ほととぎすを「市の鳥」と勘違いしている人もいるが、逗子市が制定したものは花のほととぎすであり、鳥のほととぎすではない(市の鳥を制定した実績はない)。
キャッチフレーズは「太陽が生まれたハーフマイルビーチ」。
また、逗子市役所では市政におけるICT(情報通信技術)活用に注力しており、2013年(平成25年)11月から議会に参加する議員、職員の全員がタブレット端末を利用して審議を行う「オールタブレット議会」を全国で初めて実現した。このことは、その後、自治体でタブレット端末が導入されるきっかけとなり、逗子市には全国からの視察団が相次だ。2020年には、ビッグデータや人工知能(AI)などICT活用で電気通信大学から協力を得る協定を結んだ[3]。
地理編集
三浦半島北西部、相模湾に面する都市で、湘南の一部とされることもある。北西に鎌倉市、南に三浦郡葉山町、東に横須賀市北部、北東で横浜市金沢区に接する。東京都区部や横浜のベッドタウンで、1965年(昭和40年)造成開始の披露山庭園住宅など、新興の高級住宅街が見られる。また鎌倉・葉山などとともに海水浴場のある観光都市でもある。
三浦丘陵の西側にあたるため山がちな地形だが、市内の標高は最高でも140 mほどと特に高い山はない。鎌倉市や葉山町とは尾根筋を境界としているが、山上にも宅地が造成されている。市域の大部分は東部の横須賀市境付近を源流とし、相模湾に注ぐ二級河川田越川の流域で、川沿いに平地が広がっている。
隣接している自治体・行政区編集
歴史編集
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行により、桜山村、逗子村、山野根村、沼間村、池子村、久木村、小坪村が合併して三浦郡田越村(たごえむら)が発足。
- 1889年(明治22年)6月16日 - 官設鉄道(後の横須賀線)開通、逗子駅開設。
- 1913年(大正2年)4月1日 - 田越村が町制を施行し、逗子町と改称。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 湘南電気鉄道(後の京浜急行電鉄)逗子線開業、湘南逗子駅(後の逗子・葉山駅)開設。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 横須賀市へ編入。
- 1947年(昭和22年) - 池子弾薬庫爆発。
- 1950年(昭和25年)7月1日 - 横須賀市より久木、小坪、山野根、新宿、逗子、桜山、池子、沼間の各地区(旧逗子町域)が分離独立し、三浦郡逗子町が再置される。
- 1952年(昭和27年)1月12日 - 小坪漁港が第1種漁港に指定される。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 横須賀線に東逗子駅開設。
- 1954年(昭和29年)4月15日 - 単独市制を施行し、逗子市となる。
- 1958年(昭和33年) - 披露山公園開場する。
- 1965年(昭和40年) - TBS興産により披露山庭園住宅の開発が始まる。
- 1967年(昭和42年) - 小坪湾(逗子マリーナ)埋め立て工事開始。
- 1996年(平成8年) - 池子米軍家族住宅への入居開始。
- 2000年(平成12年)1月19日 - 古都保存法の指定都市となる[4]。
- 2019年(令和元年)10月25日 - 産学官連携で起業支援や企業誘致に取り組む「platform ZUSHI BIZ」設立[5]。
市名の由来編集
逗子という地名は、もとは現在の逗子駅南側一帯の町丁(1889年までの逗子村)のもので、これが横須賀線の駅名に採用され、さらに逗子村を含む7村が合併した田越村が町制に移行するにあたり、町名に採用されたもの。
「逗子」の由来に関しては諸説ある。「三浦厨子城」(内容不詳)より、延命寺の延命地蔵尊(伝行基作)を安置する「厨子」より、役人である図師の住まいがあったことにちなむ、道が交差する交通の要衝「辻」(つじ)が転訛したなどが挙げられ、はっきりしていない[6]。
なお、戦国時代頃には「豆師」「豆子」「図師」「厨子」などの字が当てられており。「逗子」の字が使われるようになったのは江戸時代からであるという[7]。
日本の市町村をアルファベット順に並べると、当市(Zushi)が最後になる。
人口編集
逗子市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 逗子市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 逗子市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
逗子市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
地域編集
逗子市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。住居表示実施前の町名等欄で下線がある町名はその全部、それ以外はその一部であり、その町名の末尾に数字がある場合には丁目を表す。なお、町名欄に※印があるものについては、その町の区域の一部に住居表示未実施の区域があることを示す。
町名 | 町名の読み | 町区域設定年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
逗子一丁目 | ずし | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字逗子、大字山野根 | |
逗子二丁目 | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字逗子、大字山野根、大字桜山 | ||
逗子三丁目 | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字逗子、大字桜山 | ||
逗子四丁目 | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字逗子、大字桜山 | ||
逗子五丁目 | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字逗子、大字桜山 | ||
逗子六丁目 | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字逗子、大字新宿 | ||
逗子七丁目 | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字逗子 | ||
桜山 | さくらやま | 1950年7月1日 | 未実施 | ||
桜山一丁目 | さくらやま | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字桜山、大字逗子、大字池子 | |
桜山二丁目 | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字桜山 | ||
桜山三丁目 | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字桜山 | ||
桜山四丁目 | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 大字桜山、大字沼間 | ||
桜山五丁目※ | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 大字桜山、大字沼間 | ||
1992年2月1日 | 桜山5 | ||||
桜山六丁目※ | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 大字桜山 | ||
桜山七丁目※ | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 大字桜山 | ||
桜山八丁目※ | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 大字桜山 | ||
桜山九丁目※ | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 大字桜山 | ||
沼間一丁目※ | ぬまま | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 大字沼間 | |
沼間二丁目※ | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 大字沼間 | ||
沼間三丁目※ | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 大字沼間 | ||
沼間四丁目※ | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 大字沼間 | ||
1990年2月1日 | 沼間4 | ||||
沼間五丁目※ | 年月日 | 1989年3月1日 | 沼間5 | ||
沼間六丁目※ | 年月日 | 1990年2月1日 | 沼間6 | ||
池子 | いけご | 1950年7月1日 | 未実施 | ||
池子一丁目 | いけご | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 大字池子、大字桜山、大字逗子 | |
池子二丁目 | 1966年5月1日 | 1966年5月1日 | 大字池子 | ||
池子三丁目※ | 1973年5月1日 | 1973年5月1日 | |||
池子四丁目 | 年月日 | 未実施 | |||
山の根一丁目 | やまのね | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字山野根、大字逗子 | |
山の根二丁目 | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字山野根 | ||
山の根三丁目 | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字山野根、大字逗子 | ||
久木 | ひさぎ | 1950年7月1日 | 未実施 | ||
久木一丁目 | ひさぎ | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字久木、大字逗子 | |
久木二丁目※ | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字久木 | ||
久木三丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字久木 | ||
久木四丁目※ | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字久木 | ||
1991年2月1日 | 久木4 | ||||
久木五丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字久木 | ||
久木六丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字久木 | ||
1974年3月1日 | 大字久木 | ||||
久木七丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字久木 | ||
1991年2月1日 | 久木7 | ||||
久木八丁目※ | 1974年3月1日 | 1974年3月1日 | 大字久木 | ||
久木九丁目※ | 1974年3月1日 | 1991年2月1日 | 久木9 | ||
小坪一丁目※ | こつぼ | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字小坪、大字新宿、大字久木 | |
1974年3月1日 | 大字久木 | ||||
小坪二丁目 | 1967年5月1日 | 1974年3月1日 | 小坪2 | ||
小坪三丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字小坪 | ||
1993年2月1日 | 小坪3、小坪4、新宿4、新宿5 | ||||
小坪四丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字小坪 | ||
1993年2月1日 | 小坪4 | ||||
小坪五丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字小坪 | ||
1993年2月1日 | 小坪5 | ||||
小坪六丁目 | 1967年5月1日 | 1967年5月1日 | 大字小坪 | ||
小坪七丁目※ | 1967年5月1日 | 1976年3月1日 | 小坪7 | ||
新宿一丁目 | しんじゅく | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字新宿、大字逗子 | |
新宿二丁目 | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字新宿、大字逗子 | ||
新宿三丁目 | 1965年5月1日 | 1965年5月1日 | 大字新宿、大字逗子、大字久木 | ||
新宿四丁目 | 年月日 | 1993年2月1日 | 新宿4 | ||
新宿五丁目 | 年月日 | 1993年2月1日 | 新宿5 |
行政編集
歴代町長編集
1950年に横須賀市から分離独立した逗子町の町長。1943年に横須賀市に吸収される以前の逗子町の町長は「逗子町#行政」を参照。
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 荒井友三郎 | 1950年(昭和25年) 7月24日 | 1953年(昭和28年) 7月27日 | 早雲山道了山別院に滞在中、土砂崩れにより在職中死去[10] |
2 | 2 | 山田俊介 | 1953年(昭和28年) 9月13日 | 1954年(昭和29年)4月15日 | 内務官僚、第42代青森県知事、満州国警務総局長[11]、第35代福岡県知事 |
歴代市長編集
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 山田俊介 | 1954年(昭和29年)4月15日 | 1957年(昭和32年)9月12日 | 市制施行に伴い市長に就任。 |
2 | 1957年(昭和32年)9月13日 | 1961年(昭和36年)9月12日 | |||
3 | 1961年(昭和36年)9月13日 | 1965年(昭和40年)9月12日 | |||
4 | 1965年(昭和40年)9月13日 | 1969年(昭和44年)7月1日 | 在職中死去。 | ||
5 | 2 | 高橋鯛蔵 | 1969年(昭和44年)8月17日 | 1973年(昭和48年)8月16日 | |
6 | 3 | 三島虎好 | 1973年(昭和48年)8月17日 | 1977年(昭和52年)8月16日 | |
7 | 1977年(昭和52年)8月17日 | 1981年(昭和56年)8月16日 | |||
8 | 1981年(昭和56年)8月17日 | 1984年(昭和59年)10月6日 | 池子問題において池子米軍住宅建設を条件付きで受け入れ辞職。 | ||
9 | 4 | 富野暉一郎 | 1984年(昭和59年)11月11日 | 1987年(昭和62年)8月28日 | 住宅建設反対派。池子問題で当時建設容認派多数の市議会と対立して辞職。 |
10 | 1987年(昭和62年)10月12日 | 1988年(昭和63年)11月10日 | |||
11 | 1988年(昭和63年)11月11日 | 1992年(平成4年)11月10日 | |||
12 | 5 | 澤光代 | 1992年(平成4年)11月11日 | 1994年(平成6年)11月30日 | 池子米軍住宅建設の白紙撤回要求を断念、条件付き合意後辞職。住宅建設反対派。 |
13 | 6 | 平井義男 | 1994年(平成6年)12月25日 | 1998年(平成10年)12月24日 | 住宅建設容認派。 |
14 | 7 | 長島一由 | 1998年(平成10年)12月25日 | 2002年(平成14年)12月24日 | |
15 | 2002年(平成14年)12月25日 | 2003年(平成15年)8月24日 | 米軍住宅追加建設問題で、市民の信を問うため辞職。 | ||
16 | 2003年(平成15年)9月14日 | 2006年(平成18年)12月24日 | |||
17 | 8 | 平井竜一 | 2006年(平成18年)12月25日 | 2010年(平成22年)12月24日 | |
18 | 2010年(平成22年)12月25日 | 2014年(平成26年)12月24日 | |||
19 | 2014年(平成26年)12月25日 | 2018年(平成30年)12月24日 | |||
20 | 9 | 桐ケ谷覚 | 2018年(平成30年)12月25日 | 現職 |
立法編集
市議会編集
産業編集
姉妹都市・提携都市編集
国内編集
海外編集
公共施設編集
教育編集
高等学校編集
中学校編集
小学校編集
交通編集
鉄道路線編集
東日本旅客鉄道(JR東日本)横須賀線が北西から東へ、京浜急行電鉄逗子線が北東から中央部へと走り、それぞれ逗子市内には2駅、計4駅がある。市の代表駅は市の中心部にある逗子駅および逗子・葉山駅。
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 横須賀線
- 逗子駅 - 東逗子駅
- 逗子線
- 神武寺駅 - 逗子・葉山駅
バス路線編集
道路編集
海岸沿いと谷筋に沿って幹線道路が延びている。他の市町とは基本的にトンネルで連絡するが、山上に住宅団地が造成されているため住宅地の区画道路が市境となっている箇所も見られる。幹線道路を含め、大半の道路が2車線以下である。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事編集
国指定文化財[16]編集
重要文化財編集
- 五輪塔
- 石造五輪塔で「乾元二年(寛元2年、1244年)癸卯七月八日」の刻銘がある。池子の東昌寺(池子2丁目8-33)に所在。1935年に「石造五輪塔一基」として重要美術品等に認定[17]。1953年8月29日に「高養寺五輪塔」として重要文化財指定[18]、1977年6月27日に「五輪塔」へ名称変更[19]。
史跡編集
県指定文化財[20]編集
- 絹本着色大威徳明王像(絵画、神武寺:沼間2丁目1402)
- 絹本着色千手観音像(絵画、神武寺:沼間2丁目1402)
- 銅鐘(応永十年銘)(工芸、海宝院:沼間2丁目12-15)
- 木造阿弥陀如来立像(彫刻、光照寺:沼間2丁目20-17)
- 薬師堂(建造物、神武寺:沼間2丁目1402)
- 五霊神社の大イチョウとその周辺の樹木(天然記念物、五霊神社:沼間3丁目10-34)
- 鐙摺(あぶずり)の不整合を示す露頭(天然記念物、桜山9丁目2405-21)
- 逗子市池子遺跡群出土品(考古資料:池子遺跡群資料館)
景勝十選[21]編集
その他編集
関連人物編集
出身人物編集
人物はほぼ50音順。
- 愛甲猛(元プロ野球選手、実業家)
- 藍田美豊(少女隊メンバー)
- 有川治男(美術史家)
- 飯島彰己(実業家、第11代三井物産社長、日本銀行参与、日本経団連副会長)
- 石原伸晃(衆議院議員。行政改革担当大臣兼規制改革担当大臣、国土交通大臣、自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長、環境大臣、経済再生担当大臣)
- 石原良純(タレント。石原慎太郎の次男)
- 石原宏高(衆議院議員、環境副大臣。外務大臣政務官、沖縄・北方対策担当副大臣。石原慎太郎の三男)
- 石原延啓(画家。石原慎太郎の四男)
- 石渡省吾(イチノイーヴォーカル&ギター)
- 伊奈祐介(将棋棋士)
- iri(シンガーソングライター)
- 大野済也(アナウンサー、岐阜県各務原市育ち)
- 小此木八郎(衆議院議員、自由民主党国会対策委員長代理。経済産業副大臣、国家公安委員会委員長兼防災担当大臣)
- 小山田春樹(京都市会議員、元日本テレビアナウンサー、フリーアナウンサー)
- 鎌田奈緒子(セーリング選手)
- 川地民夫(俳優)
- 北村麗(アナウンサー)
- 北村隆二(サッカー選手)
- キマグレン(歌手)
- 國廣喜和武(元ポッカサッポロフード&ビバレッジ社長)
- 小島慎也(チェスプレーヤー)
- 小林至(元プロ野球選手、福岡ソフトバンクホークス海外担当兼中長期戦略担当部長)
- 坂元亮介(俳優、日本舞踊家)
- 三遊亭右女助 (3代目)(落語家)
- 重松理(ユナイテッドアローズ代表取締役社長)
- シャンティ・スナイダー(歌手、作詞家)
- 新藤宗幸(政治学者)
- 逗子三兄弟(歌手)
- 鈴木陸三(サザビーリーグ創業者・初代代表取締役社長、スズキヤ取締役会長)
- 高木完(ヒップホップミュージシャン)
- 高橋正治(国文学者)
- 武川雅寛(ミュージシャン、ムーンライダーズのバイオリン、トランペット担当)
- 竹腰美代子(美容研究家、香淳皇后の体操講師)
- 常磐津松尾太夫 (三代目)(常磐津節太夫)
- 土屋守章(経営学者)
- 中村宗弘(日本画家。中村岳陵の孫)
- 辺見マリ(歌手、女優。京都府京都市育ち)
- 宮沢明子(ピアニスト)
- 森田浩康(アナウンサー)
- 諸角敬(建築家)
- 山際淳司(作家、『江夏の21球』筆者)
- 山内美郷(エッセイスト)
- 山田華(ソプラノ歌手、山田姉妹)
- 山田麗(ソプラノ歌手・女優、山田姉妹)
- 吉野万理子(小説家、脚本家)
- 米山香織(プロレスラー)
- 陵あきの(元宝塚歌劇団宙組の娘役。宝塚歌劇団76期生。中村岳陵の孫)
- 和田城功(プロレスラー)
- 和地孝(元テルモ会長兼CEO)
- 宮田莉朋(レーシングドライバー)
- Lick-g (ラッパー)
在住者編集
逗子に在住した人物(既に移住した人物、故人も含む)
- 阿部義晴(ミュージシャン、ユニコーン)
- 石田博英(元内閣官房長官)[22]
- 石原慎太郎(元東京都知事、政治家、作家。逗子海岸には『太陽の季節』を記念したオブジェがある)[22]
- 石原裕次郎(俳優、歌手。兵庫県神戸市生まれ)
- 上野ひとみ(タレント、おさかなマイスター)
- 江刺昭子(評伝作家、女性史研究家)[23]
- 岡田武史(元サッカー日本代表監督)
- 岡本雨(作家、編集者)
- 尾崎行雄(政治家、披露山の風雲閣を住まいとした。)
- 小田和正(歌手)
- 折原みと(少女漫画家、恋愛小説家)
- 川端康成(ノーベル文学賞日本人初の受賞者作家、文化勲章受章、鎌倉市名誉市民)
1972年4月16日(72歳没) 日本・神奈川県逗子市小坪
逗子マリーナの仕事用マンションの一室にて死去
- 釜屋忠道(海軍中将)
- 上泉徳弥(海軍中将)
- 川西實三(元日本赤十字社社長)[22]
- 菊池福治郎(政治家、池子に在住した。)
- 久世隆一郎(スバルテクニカインターナショナル初代社長)
- 国木田独歩(小説家、詩人)
- 小林與三次(元自治省事務次官、元読売新聞社社主)[22]
- 正力松太郎(元読売新聞社社主)[22]
- 鈴木英人(イラストレーター)
- 反町隆史(俳優)
- 田中秀太(元プロ野球選手、逗子シニア・小倉シニア出身)
- 辻嘉六(実業家)
- 徳富蘆花(『不如帰』『自然と人生』などの作者)
- 徳富蘇峰(思想家、評論家)
- 長島一由(政治家、元逗子市長、元衆議院議員、映画監督)
- なかにし礼(小説家、作詞家)
- 新田恵利(タレント、歌手)
- 林京子(小説家)
- 福井勇(政治家)[22]
- 伏見広綱(源頼朝の右筆)
- 藤森成吉(小説家、劇作家)
- 松嶋菜々子(女優)
- 村上格一(海軍大将、新宿に在住した)
- 三田一也(海軍中佐、警備救難監、海上保安庁次長、Y委員会のメンバー)
- みのもんた(タレント、かつて久木に在住)
- 稔(プロレスラー)
- 安井英二(元内務大臣、元国家公安委員会委員長)[22]
- 矢野義明(作曲家)
- 山下亀三郎(実業家。桜山に在住し、その家はのちに石原一家が移住。)
- 山田俊介(内務官僚、政治家)[22]
- 和歌山静子(挿絵画家、絵本作家)
- 脇村義太郎(東京大学名誉教授)[22]
ゆかりの人物編集
脚注編集
- ^ a b 1984年(昭和59年)4月15日、逗子市告示第17号「逗子市の市の花」
- ^ 朝日新聞社「好書好日」2019年4月3日配信:長年続く「湘南はどこからどこまで?」論争に増淵敏之教授が終止符をうつ!(2020年12月6日閲覧)における、『「湘南」の誕生 音楽とポップ・カルチャーが果たした役割』(リットーミュージック)著者である増淵敏之法政大学大学院政策創造研究科教授インタビューによる。
- ^ 「神奈川県逗子市、電通大とデータ活用などで包括協定」日本経済新聞ニュースサイト(2020年11月4日)2020年12月6日閲覧
- ^ 同日、政令第4号
- ^ 「神奈川県逗子市、官民連携のプラットフォーム設立」日本経済新聞ニュースサイト(2019年10月25日)2020年12月6日閲覧
- ^ 逗子市立図書館レファレンス事例詳細「地名「逗子」の由来」
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- ^ 平成30年12月16日執行 逗子市長選挙候補者名簿
- ^ a b 歴代逗子市長、副市長(助役)及び収入役
- ^ 誰か昭和を想わざる 昭和ラプソディ 昭和28年(7月~9月)<神奈川・箱根>早雲山で山津波、10人死亡
- ^ 山田俊介追悼録編集委員会『山田俊介追悼録』昭和46年12月20日発行
- ^ 逗子市公式サイト>伊香保町との姉妹都市交流について
- ^ 逗子市公式サイト>国際友好都市 (ナザレ市)
- ^ ポルトガル大使館>二国間関係
- ^ 逗子市役所「池子の森自然公園」
- ^ 逗子市役所「逗子市内所在の重要文化財指定物件」
- ^ 同年、文部省告示第202号
- ^ 同年10月2日、文化財保護委員会告示第75号
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- ^ 逗子市役所「逗子市内所在の重要文化財指定物件」
- ^ 逗子市役所「逗子景勝十選」
- ^ a b c d e f g h i 逗子市編集『池子の森』(ぎょうせい発行 1993年2月20日発行)p.75
- ^ 『逗子は燃えた、そして 池子住民訴訟ノート』インパクト出版会 1990年12月25日発行