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歩兵第125連隊(ほへいだい125れんたい、歩兵第百二十五聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

歩兵第125連隊
創設 1940年
廃止 1945年
所属組織 大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
人員 約四千名
所在地 樺太 上敷香
編成地 旭川
通称号/略称 要2232
上級単位 第57師団 - 第88師団
最終位置 樺太
主な戦歴 第二次世界大戦
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目次

沿革編集

4月 - 樺太上敷香に移駐、同地にいた歩兵第25連隊と交代して、国境方面の警備にあたる。
8月7日 - 対ソ連対策のため第88師団の会合に出席していた連隊長が帰還。
8月8日 - 連隊長より各部隊長へソ連軍越境の際は対戦するよう命令。ソ連対日宣戦布告はこの日の午後11時であり、防衛体制構築にぎりぎり間に合った。
8月9日 - ソ連軍国境付近で砲撃開始。この日は雨で視界が悪かったこともあり、両軍ともに動きが鈍かった。  
8月11日 - 日ソ中立条約を無視し北緯50度の国境を越え侵攻してきたソ連軍と戦闘になる。ソ連軍は既に5月7日にはドイツに対してベルリン攻防戦で勝利し、ドイツ側を降伏文書へ署名させ欧州の戦闘がほぼ終了していたため対日戦線へシベリア鉄道で精鋭部隊と大量の物資を送り込んできていた。日本側は各陣地に陣取り防衛戦を開始。特に連隊主力は八方山陣地地下内に砲兵力を隠避し、砲火力によってソ連軍と戦った。ソ連側は最後まで八方山陣地内に主力がいたことに気づかず、停戦後陣地内から出てきた日本兵の人数を見て驚いたと後に語っている。
8月14日 - 第一大隊が第一大隊長小林貞治少佐の指揮下、古屯に進出。大隊長小林貞治少佐は築城の講習を受けに旭川に出張していたが帰還したばかりであった。
8月16日 - 第一大隊は、戦車も擁するソ連軍2個連隊規模の南下を必死に押し止めたが徐々に押され、第一機関銃中隊長濱田富士隆中尉がソ連軍背後に迂回しようとするが戦死。大隊長小林貞治少佐は八方山陣地から古屯へ行く途中、頭に銃弾が当たり戦死、大隊副官岩見三郎少尉、大隊付医官岡村夏樹軍医大尉も戦死[1]。第一大隊はほぼ壊滅した。この時のソ連軍南下阻止によってソ連軍の北海道上陸計画を遅延させ、数万人と推定される樺太引揚げ者の時間を稼いだ。もし脱出できなければ、シベリア等で強制労働につかされた可能性が指摘されている。
8月18日 - 停戦 ソ連軍は第一大隊の頑強な抵抗に一個連隊程の戦力と推定していたが一個大隊に過ぎなかった事を知り驚いている。

歴代連隊長編集

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
芳村覚司 1945.8.1 -
小林与喜三 1944.10.16 -

脚注編集

参考文献編集

  • 池田一秀編『大日本帝国軍隊』研秀出版、1981年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。

関連項目編集