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江之子島(えのこじま)は、大阪府大阪市西区の地域名称。または町名。現行行政地名は江之子島一丁目から二丁目まで。2017年9月30日現在の人口は4,678人、世帯数は2,512世帯[1]郵便番号は〒550-0006。

江之子島
大阪西郵便局
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
西区
人口
2017年(平成29年)9月30日現在)
 • 合計 4,678人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
550-0006

目次

地理編集

百間堀川木津川江戸堀川に挟まれていた島で、東は百間堀川を挟んで京町堀・薩摩堀、南は木津川を挟んで松島、西は木津川を挟んで本田川口、北は江戸堀川を挟んで江戸堀に隣接していたが、現在は百間堀川と江戸堀川は埋め立てられている。

現在の町名では、東は新なにわ筋を挟んで江戸堀・京町堀・靱本町西本町、南は中央大通を挟んで立売堀、西は木津川を挟んで川口、北は土佐堀通を挟んで土佐堀に隣接し、本町通以北が1丁目、以南が2丁目となる。島だった元来の江之子島のうち、現在江之子島の町名となっているのは中央大通以北だけで、中央大通以南は立売堀6丁目の一部となっている。

河川編集

歴史編集

 
大阪府庁舎(2代目)
 
大阪市庁舎(初代)

もとは淀川の河口に形成された難波八十島(なにわのやそしま)のひとつで、名称の由来には「難波江の小島」からの転訛説と、「狗子島」「犬子島」からの転訛説がある。

江戸時代には百間堀川沿いが江之子島東之町、木津川沿いが江之子島西之町という町名で、江之子島西之町には船大工が多く居住していた。1767年明和4年)に江之子島下ノ鼻新築地が、1779年安永8年)に江之子島上ノ鼻新築地が浚渫によって築かれ、後者を江之子島西之町の薩摩屋善兵衛が落札した。善兵衛は翌1780年(安永9年)に江戸堀下ノ鼻新築地も落札し、両新築地を遊所として開発した。両新築地は崎吉町(さきよしちょう)という町名になり、江戸堀川には崎吉橋も架橋された。

1872年明治5年)の町名改編で、崎吉町の江之子島側および江之子島東之町・江之子島西之町の各北半分が江之子島上之町(えのこじまかみのちょう)という町名になった。1874年(明治7年)に大阪府庁舎(2代目)が江之子島上之町に、1893年(明治26年)に西区庁舎(3代目)が江之子島東之町に、市制特例廃止後の1899年(明治32年)に大阪市庁舎(初代)が江之子島上之町に置かれ、当時の江之子島は地方行政の中心地となっていた。なお、大阪市庁舎は1912年(明治45年)に堂島へ、大阪府庁舎は1926年大正15年)に大手前へ、西区庁舎は1934年昭和9年)に西長堀へ移転している。大阪府庁舎跡には1929年(昭和4年)に大阪府工業奨励館(現・大阪府立産業技術総合研究所)が置かれたが、こちらも1996年平成8年)に和泉市へ移転した。

1955年(昭和30年)に江戸堀川が、1964年(昭和39年)に百間堀川が埋め立てられて下船場と地続きになった。現在百間堀川跡は江之子島公園、大阪府津波・高潮ステーションなどに利用されている。1977年(昭和52年)に新なにわ筋・中央大通・木津川・土佐堀通に囲まれた範囲が江之子島1~2丁目となった。このように、現在江之子島の町名となっていても百間堀川跡 - 新なにわ筋間は下船場となる。翌1978年(昭和53年)には中央大通以南が立売堀6丁目の一部となった。

施設編集

交通編集

出身・ゆかりのある人物編集

江之子島東之町に居住していた[2]

脚注編集

  1. ^ 大阪市西区 人口
  2. ^ a b c 『人事興信録 第4版』い117頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年11月16日閲覧。

参考文献編集

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(1983年 角川書店)。

関連項目編集

外部リンク編集