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沖宿町(おきじゅくまち)は、茨城県土浦市町名五中地区(上大津地区)に属する。郵便番号は300-0023[2]。町界町名整理事業および住居表示整備事業は未実施である[4]

沖宿町
沖宿港
沖宿港
沖宿町の位置(茨城県内)
沖宿町
沖宿町
沖宿町の位置
北緯36度07分05秒 東経140度13分35秒 / 北緯36.11806度 東経140.22639度 / 36.11806; 140.22639
日本の旗 日本
都道府県 茨城県
市町村 土浦市
地区 五中地区
人口
2022年令和4年)1月1日現在)[1]
 • 合計 756人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
300-0023[2]
市外局番 029[3]
ナンバープレート 土浦

地理 編集

土浦市の東部に位置する。南を霞ヶ浦に接しており、東をかすみがうら市に接している。

歴史 編集

年表 編集

  • 江戸時代以前は新治郡沖宿村であった。中世、ここは荘園であり、大津郷南野荘に属していた。
  • 江戸時代は常に土浦城主の所領となる。(土浦藩領)
  • 1888年明治22年) - 田村、手野村、白鳥村、菅谷村、神立村と合併し、上大津村が成立。上大津村大字沖宿となる。[5]
  • 1954年昭和29年) - 上大津村は土浦市に編入合併、土浦市沖宿町となる。[6]
  • 1970年(昭和40年代)ごろから、国の減反政策などの影響を受けて、稲作が行われていた田で、新たに蓮根栽培が始まった。沖宿や近隣の田村、手野などで、蓮根栽培が盛んに行われるようになり、土浦市は日本一の蓮根の産地となった。
  • 1990年平成2年) - 当町の北部台地で、ニュータウン開発が始まる。
  • 1998年(平成10年) - ニュータウン開発は進み、当町の一部から新しい町名「おおつ野」が誕生し町域の一部が分離。
  • 2005年(平成17年)4月 - 町内に、霞ヶ浦の水質浄化を目的とした、研究施設の茨城県霞ヶ浦環境科学センターが開設される[7]

ゆかりのある人物 編集

 
市指定史跡の小田治朝の墓
安村江痴
江戸時代から明治時代の当町の人物。土浦藩医であった。晩年は当町に診療所を開設。墓所は市指定史跡[8]
小田治朝
常陸小田氏9代当主、当町に菩提寺の海蔵寺を建立したと伝わる。墓所も当町にあり、市指定史跡である。

民話 編集

当町内の鹿島神社に、源義経が兄頼朝に鎌倉を追われ、奥州へ下る際に匿ってもらったお礼として、青葉の笛を奉納したという伝説がある。

世帯数と人口 編集

2022年(令和4年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
沖宿町 258世帯 756人

小・中学校の学区 編集

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]

番地 小学校 中学校
全域 土浦市立上大津東小学校 土浦市立土浦第五中学校

施設 編集

 
茨城県霞ケ浦環境科学センター

交通 編集

道路 編集

寺社・文化財 編集

主な町内の寺社 編集

文化財 編集

  • 大般若波羅密多経(県指定・海蔵寺所蔵)[10]
  • 木造阿弥陀如来坐像(県指定・海蔵寺所蔵)
  • 小田治朝の墓(市指定)
  • 安村江痴の墓(市指定)

脚注 編集

  1. ^ a b 土浦市地区別人口及び世帯数一覧(常住人口)”. 土浦市 (2022年1月1日). 2022年2月3日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2022年2月3日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2022年2月3日閲覧。
  4. ^ 土浦市町名一覧”. 土浦市. 2019年3月11日閲覧。
  5. ^ 土浦町内誌. 土浦市教育委員会 
  6. ^ 土浦市史. 土浦市史刊行会. (1975年11月3日) 
  7. ^ 発行物 - 茨城県霞ケ浦環境科学センター”. www.pref.ibaraki.jp. 2019年3月13日閲覧。
  8. ^ 図説 土浦の歴史. 土浦市教育委員会 
  9. ^ 土浦市立小・中学校及び義務教育学校通学区域”. 土浦市. 2022年2月3日閲覧。
  10. ^ 土浦の文化財. 土浦市教育委員会