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清和台(せいわだい)は、兵庫県川西市の地名。現行行政地名は清和台東一丁目から清和台東五丁目及び清和台西一丁目から清和台西五丁目。住居表示は実施済み。

清和台東
清和台東の位置(兵庫県内)
清和台東
清和台東
清和台の位置
北緯34度52分09秒 東経135度23分30秒 / 北緯34.86917度 東経135.39167度 / 34.86917; 135.39167
日本
都道府県 兵庫県
市町村 川西市
人口
(2023年(令和5年)6月30日現在)
 • 合計 6,277人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
660-0142[1]
市外局番 072[2]
清和台西
清和台西の位置(兵庫県内)
清和台西
清和台西
清和台の位置
北緯34度52分07秒 東経135度23分19秒 / 北緯34.86861度 東経135.38861度 / 34.86861; 135.38861
日本
都道府県 兵庫県
市町村 川西市
人口
(2023年(令和5年)6月30日現在)
 • 合計 5,348人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
660-0143[3]
市外局番 072[4]

歴史・概要 編集

地区の東端を猪名川が流れ、中東部に虫生川および虫生ダムがある。昭和後期に開発されたニュータウンである。地名の由来は、川西市を本拠地としていた清和源氏からとったとされる。[要出典]

進和不動産が開発業者となって、174haに総戸数約5,000戸・人口約2万人が居住するニュータウンを目指していた[5]

また、川西市の開発指導要綱の適用第1号となり、道路の整備や公共施設の建物の無償提供(行政センター・消防署・派出所・集会所など)、小中学校の敷地の原価での提供などが行われた[6]

当地区の中心部から開発当時の最寄り駅だった能勢電鉄多田駅まで約6.5㎞離れていた[7]。 。バス路線の開設が公共交通機関の確保のために必須であったため、開発業者の進和不動産が負担してニュータウンの北端部にバス営業所の施設を建設して阪急バスに無償提供[8]

1970年(昭和45年)4月1日から阪急バスを借り上げてチャーター便として運航を開始し、同年10月の阪急バス清和台営業所開設と同時に同社の杉生線が当地区を経由する路線に変更されて、正式に乗り入れを開始した[8]。 なお、この路線変更時には杉生線の起点も阪急池田駅前から川西能勢口駅前に変更された[9]

また、4階建ての集合住宅を建設して医療施設なども整備するなど、中心部の開発を先行して進め、施設整備とその運営の基盤を固める形で開発が進められた[10]

ニュータウンの中央部に[11]1978年(昭和53年)7月7日に開業した[12]「清和台センターモール」は[11]、奈良の唐招提寺をモチーフとした[12]寄棟造の[11]6棟の建物が[12]、寺院の境内を想起させる[11]鐘楼を持つ広場を取り囲むオープンモール形式で建設された[11]。 風の子地蔵や野外ステージも設置して、樹木の成長により、鎮守の森の様に施設全体を覆うことで、清和台ニュータウンの住民の精神的な安定や日本的な風景の再現を図ろうとした[11]。 これは、当時各地に建設されたニュータウンで宗教施設が完全に排除されたことにより、自殺者や精神異常者が多数出るなどの問題が生じていたことに対応したものであった[13]

地価 編集

調査基準日2023年(令和5年)1月1日時点での公示地価は、清和台東四丁目2番29号の地点で68,000円/m2[14]

歴史 編集


世帯数と人口 編集

2023年(令和5年)6月30日現在の世帯数と人口は以下の通り[21]

丁目 世帯数 人口
清和台東一丁目 468世帯 1,009人
清和台東二丁目 753世帯 1,600人
清和台東三丁目 162世帯 441人
清和台東四丁目 1,189世帯 2,647人
清和台東五丁目 262世帯 580人
清和台西一丁目 528世帯 1,220人
清和台西二丁目 427世帯 897人
清和台西三丁目 487世帯 1,093人
清和台西四丁目 531世帯 1,161人
清和台西五丁目 445世帯 977人
5,252世帯 11,625人

小・中学校 編集

市立小・中学校の通学区域は以下の通り[22]

丁目 街区 小学校 中学校
清和台東一丁目 全域 川西市立清和台小学校 川西市立清和台中学校
清和台東二丁目
清和台東三丁目
清和台東四丁目 川西私立清和台南小学校
清和台東五丁目
清和台西一丁目 川西市立清和台小学校
清和台西二丁目
清和台西三丁目 川西市立清和台南小学校
清和台西四丁目
清和台西五丁目

交通 編集

鉄道 編集

鉄道は通っていない。

バス 編集

1970年(昭和45年)4月1日から阪急バスを借り上げてチャーター便として運航を開始し、同年10月の阪急バス清和台営業所開設と同時に同社の杉生線が当地区を経由する路線に変更されて、正式に乗り入れを開始した[8]。 なお、この路線変更時には杉生線の起点も阪急池田駅前から川西能勢口駅前に変更された[9]。 そして、1976年(昭和51年)8月10日には川西能勢口駅西口に開設されたバスターミナルに乗り入れることになった[23]

阪急宝塚線川西能勢口駅JR宝塚線福知山線川西池田駅能勢電鉄妙見線平野駅から阪急バスが運行されている。

主な道路 編集

施設 編集

公園 編集

  • 清和台中央公園
花の名所づくり事業により、満天星つつじ約1,500本が植えられた[24]
  • トナリエ清和台[25]

脚注 編集

  1. ^ 兵庫県 川西市 清和台東の郵便番号 - 日本郵便”. 2023年8月8日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧(令和4年3月1日現在)” (PDF). 2023年8月8日閲覧。
  3. ^ 兵庫県 川西市 清和台西の郵便番号 - 日本郵便”. 2023年8月8日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧(令和4年3月1日現在)” (PDF). 2023年8月8日閲覧。
  5. ^ 福島毅 “川西市の宅地開発状況と今後の都市計画”. 宅地開発 1974年1月号 (日本宅地開発協会) (1974年1月).pp19
  6. ^ “新しい住宅環境が生まれるか 定住圏構想と住宅産業の対応”. 経済知識 1979年12月号 (新経済知識社) (1979年12月1日).pp21
  7. ^ 川西市史編集専門委員会 『かわにし 川西市史 第3巻』 川西市、1980年9月1日。pp579
  8. ^ a b c d e f 川西市史編集専門委員会 『かわにし 川西市史 第3巻』 川西市、1980年9月1日。pp580
  9. ^ a b 川西市史編集専門委員会 『かわにし 川西市史 第3巻』 川西市、1980年9月1日。pp581
  10. ^ “特集・橋本住宅祭シンポジウム 大都市圏の大規模開発に係わる住宅建設について”. 家とまちなみ 1981年2月号 (住宅生産振興財団) (1981年2月1日).pp21
  11. ^ a b c d e f g 狩野忠正 “作品作風 清和台センターモール 設計施工:竹中工務店”. 建築と社会 1978年9月号 (日本建築協会) (1978年9月1日).pp47
  12. ^ a b c 大塚融 “ニュータウンの神々”. 月刊アドバタイジング 1978年10月号 (電通) (1978年10月1日).pp42
  13. ^ 大塚融 “ニュータウンの神々”. 月刊アドバタイジング 1978年10月号 (電通) (1978年10月1日).pp40-41
  14. ^ 鑑定評価書”. 2023年5月6日閲覧。
  15. ^ “会員の動向”. ショッピングセンター 1990年8月号 (日本ショッピングセンター協会) (1990年8月1日).pp96
  16. ^ seiwadaigaiyouban.pdf”. 川西市. 2023年12月27日閲覧。
  17. ^ a b c 川西市史編集専門委員会 『かわにし 川西市史 第8巻 年表索引編』 川西市、1981年7月1日。pp141
  18. ^ a b c 川西市史編集専門委員会 『かわにし 川西市史 第8巻 年表索引編』 川西市、1981年7月1日。pp143
  19. ^ 川西市史編集室 『川西市30年のあゆみ』 川西市、1984年8月1日。pp80
  20. ^ a b 川西市史編集専門委員会 『かわにし 川西市史 第8巻 年表索引編』 川西市、1981年7月1日。pp144
  21. ^ 令和5年 町丁別人口集計表・推計人口”. 川西市. 2023年8月7日閲覧。
  22. ^ 小学校・中学校区の一覧と各校の連絡先”. 川西市. 2023年8月7日閲覧。
  23. ^ 川西市史編集室 『川西市30年のあゆみ』 川西市、1984年8月1日。pp90
  24. ^ 『環境白書 昭和56年度版』 兵庫県保健環境部環境局、1981年11月20日。pp236
  25. ^ トナリエ清和台|兵庫県川西市のショッピングセンター”. www.tonarie.jp. 2023年8月7日閲覧。

関連項目 編集