湯神社(ゆじんじゃ)は、愛媛県松山市冠山にある神社式内社で、旧社格県社。神紋は「亀甲に花菱」。

湯神社

拝殿
所在地 愛媛県松山市道後湯之町4-10
位置 北緯33度51分4.68秒 東経132度47分13.46秒 / 北緯33.8513000度 東経132.7870722度 / 33.8513000; 132.7870722 (湯神社)座標: 北緯33度51分4.68秒 東経132度47分13.46秒 / 北緯33.8513000度 東経132.7870722度 / 33.8513000; 132.7870722 (湯神社)
主祭神 大己貴命
少彦名命
社格 式内社(小)
県社
創建 湯神社
(伝)景行天皇年間
出雲崗神社
(伝)孝霊天皇年間
本殿の様式 流造
別名 湯月大明神・四社大明神・西宮
例祭 10月6日
主な神事 初子祭(1月第2日曜)
湯祈祷祭(3月19日-21日
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相殿に式内社の出雲崗神社(いずものおかじんじゃ)を祀る。別称として、「湯月大明神」・4柱の神を祀るため「四社大明神」・伊佐爾波神社の西にあるため「西宮」とも呼ばれる。

概要 編集

 
入り口の注連縄

松山市市街地の東部、道後温泉近くの冠山山頂に鎮座する。

社名は道後温泉によるもので、古くは道後温泉の起源地である鷺谷(現 松山市道後鷺谷町)に鎮座していた。

祭神 編集

主祭神
  • 大己貴命 (おおなむちのみこと) - 大国主命の異称
  • 少彦名命 (すくなびこなのみこと)
『伊予国風土記』逸文には、この2神の道後温泉に関する伝承が記載されている(「道後温泉#歴史」を参照)。
相殿神(出雲崗神社祭神)

歴史 編集

湯神社は、景行天皇が皇后・八坂入姫命とともに当地に行幸した際、道後温泉の守護神として、鷺谷の大禅寺の前に創建されたと伝えられる。鷺谷は、鷺が痛めた足を温泉に浸して治療していたとされる場所で、道後温泉発見の起源地である。また、鷺は道後温泉のシンボルにもなっている。舒明天皇行幸に際し、社殿が新築された。

また、現社地の冠山(出雲崗)には出雲崗神社が鎮座していた。孝霊天皇の創建で、素盞嗚尊・稲田姫命・大山積命茅野姫命の四柱の神を祀り、四所大明神とも称していた。

延喜式神名帳』には、湯神社は「伊予国温泉郡 湯神社」、出雲崗神社は「伊予国温泉郡 出雲崗神社」として記載され、ともに式内社に列している。

大永年間、地震で温泉が埋没し、湯神社の社殿も大破した。そのため、河野通直により湯神社は出雲崗神社に合祀され、湯月大明神、四社大明神などと称された。

元禄年間、社号を湯神社・出雲崗神社に復した。

宝永4年(1707年)、地震により出湯が停止した際、湯神社で出湯の祈祷が行われ、再び現在のように温泉が出たという。宝永5年(1708年)、湯神社はその功により、相殿から境内別社となった。

明治4年(1871年)、湯神社に出雲崗神社を合祀する現在の形式となった。参道前の社号碑は、出雲大社の第82代出雲国造千家尊統の書である(伊佐爾波神社も同じ)。

摂末社 編集

 
中嶋神社
  • 三穂社
  • 八幡若宮社
    • 祭神:大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、仁徳天皇
  • 児守社
    • 祭神:神大市姫命(かむおおいちひめ)、鎭疫神河野通広
    • 古くは松山城東麓にあったが、松山城築城の際に湯神社の末社・河野霊神に合祀された。河野霊神は時宗の開祖一遍 が父・河野通広を祀るために建立したもの。遊行上人が巡教した際には必ず参拝を行い、その都度領主は社殿を造営整備したとされる。鎮疫神は、安政6年に悪病流行につき鎮疫のために勧請された。
  • 中嶋神社

主な祭事 編集


現地情報 編集

所在地
交通アクセス
周辺

参考文献 編集

  • 『日本歴史地名大系 愛媛県の地名』(平凡社)松山市 湯神社項

外部リンク 編集