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田中未知

田中 未知(たなか みち、1945年昭和20年〉1月10日[1] - )は、日本作曲家、楽器作家、映画監督著作家寺山修司を長年にわたり公私にわたって支えた人物[3]、およびカルメン・マキのヒット曲『時には母のない子のように』の作曲家などとして知られる[3]東京都出身[2]東京都立千歳高等学校卒業[1]

田中 未知
(たなか みち)
生誕 (1945-01-10) 1945年1月10日(73歳)[1]
出身地 日本の旗 日本 東京都[2]
ジャンル 作曲、楽器作家
活動期間 1968年 -
共同作業者 寺山修司
公式サイト Flying Questions
田中 未知
職業 映画監督
ジャンル 実験映画
活動期間 1977年 -
所属劇団 天井桟敷
主な作品
『記憶のカタログ』『FACE』
田中 未知
職業 著作家
代表作 『質問』『空の歩き方』『寺山修司と生きて』
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目次

経歴編集

昭和期の劇団「天井桟敷」の初期メンバーとして入団[4]。初公演「青森県のせむし男」(1967年[5]〈昭和42年〉)から劇団の一員として活動しており、制作と照明を担当していた[2]

天井桟敷の旗揚げ公演の資金作りのため、寺山を囲む会費制のサロンの会が開催され、そのコーナーの一環として、田中が寺山の詩に曲をつけ、ギターで披露した。その内の1曲が『時には母のない子のように』であり[6]1968年(昭和43年)にカルメン・マキの曲として発表され、作曲家としてのデビュー作となった[7]。後には同じくカルメン・マキの『山羊にひかれて』『だいせんじがけだらなよさ』、日吉ミミの『人の一生かくれんぼ』など、寺山作詞・田中作曲による楽曲も多く製作したほか、山谷初男荒井沙知ら多くのアルバム[2]、寺山監督による映画『迷宮譚』『蝶服記録』『ローラ』などの映画音楽も手掛けた[4][7]

1974年(昭和49年)には、日常の道具を楽器に変える「幻想楽器展」、文字に音を与える「言語楽器展」など、楽器作家としても活動した[7]1977年(昭和52年)以降、『記憶のカタログ』『FACE』など、16mmフィルム実験映画の監督も務めた[7]

1986年(昭和61年)に渋谷西武百貨店で開催されたイベント『テラヤマ・ワールド』のプロデュースを最後に、周囲にほとんど行き先を告げることなく日本を離れ[8][9]オランダにわたった[3][7]。以降は創作活動から離れて、畑を耕して暮らし、夏にはヨーロッパの山々でのキャンプ生活を送り[8]オリンポス山ピレネー山脈アルプス山脈ノールカップなどを回った[7]。その距離は自動車の走行距離に換算すると、地球7周半に達する[7]

著作家としての主な著書には『質問』『空の歩き方』『寺山修司と生きて』などがある[4]。『質問』は、「何々は好きですか?」「何々したことはありますか?」など、365個の質問のみで構成された書であり、「質問」をテーマとして本書に挑んだことから、田中は自身を「質問家」とも称している[10]。初版は730ページと分厚く、真っ白の装丁が古書マニアに人気で、捜している人も多い[11]2004年平成16年)には東京都丸の内でのイベント「コトバメッセ」で、この「質問」1つ1つが街中にばらまかれ、気に入った質問に自身の答を記入して投稿する企画も開催された[12]

2018年(平成30年)時点においても、オランダのフリースラント州に在住であり、日本にはほとんど帰国しない生活を送り続けている[9]

寺山修司に関する業績編集

寺山修司の存命時は、田中の主な仕事は寺山の秘書兼マネージャーであった[7]。特に1969年(昭和44年)に寺山が離婚した後は、公私に渡るパートナーとして寺山を支え続けた[3]。寺山の最期を看取り[8][13]、寺山の告別式では喪主も務めた[2]

寺山の没後は、田中個人の創作活動の傍ら、寺山の制作でありながら寺山存命時には公開に至らなかった映画の上映に尽力し、同1983年には『草迷宮』、翌1984年(昭和59年)には『さらば箱舟』の公開を実現させた[3][7]

寺山の蔵書や遺愛の品は、寺山の母から売って金に換えるよう求められながらも、それらを買い取って死守した[3]。それらは後に1986年(昭和61年)の東京の渋谷西武百貨店で開催された、田中プロデュースによる『テラヤマ・ワールド』で展示された後、青森県三沢市寺山修司記念館に収められた[3]。若手の役者による寺山作品にも頻繁に通った[3]

日本を離れた後、1999年(平成11年)5月4日に東京で開かれた寺山の十七回忌には、オランダから帰国して参列した[14]。この十七回忌には、寺山にまつわるイベントや出版が集中する中、田中の『質問』も復刊された[15]2005年(平成17年)5月4日の二十三回忌にもやはりオランダから参列し、寺山との仕事や寺山の言葉を整理しており、若い世代に残すことを目指していると明かした[16]

同2005年、寺山の著作権の継承者より、寺山の著作権の一部を田中の権利として承認された[7]2008年(平成20年)11月には、オランダの自宅で20年余り保管していた寺山の未発表の写真が、写真集『写真屋・寺山修司』として発刊され、東京で写真展が開催された[17]

寺山の書の復刊として、同2008年に『寺山修司未発表歌集 月蝕書簡』[18]2014年(平成26年)には『秋たちぬ──寺山修司未発表詩集』も手掛けた[4][19]。『秋たちぬ』に際しては、オランダと日本を往来する中、スマートフォンを操作してばかりの日本の若者たちを見たことなどで、彼ら彼女らが言葉を失っていると痛感し、寺山の残した言葉によって、再び若者たちが言葉と向き合うきっかけになってほしい、との思いがあったという[19]

寺山の没後30年を迎えた2013年(平成25年)6月には、寺山の未発表分を含む資料約5千件が、彼の母校である早稲田大学演劇博物館に、田中により寄託された[20][21]。寺山の資料の散逸を防ぐために、田中が長年にわたって私財を投じて収集・保管を続けたものである[22]。これを記念して同2013年12月、早稲田大学の大隈記念タワーにて、これらの数々の資料を展示する「いまだ知られざる寺山修司―わが時、その始まり」が開催された[23]

2014年11月には東京都で、寺山作品および寺山と田中の共同作業について探る、田中の企画によるイベント「田中未知 PRESENTS 寺山修司を 歌う 読む 語る」が開催された[24]

2018年(平成30年)3月には、田中の『質問』が復刻されると共に、寺山の没後35年記念を記念して東京で開催されたイベント「寺山修司不思議書店」において、『質問』作中の質問に寺山が答える様子を収めた短編映画『質問』が初上映された[25][26]

田中の著書『寺山修司と生きて』には、寺山を支えることを生き甲斐とした田中の、波乱に満ちた生涯が詳しく書かれている[3]

評価編集

長年にわたって寺山の業績を様々に伝えた田中の業績は、宇都宮大学教授である守安敏久からも高く評価されている[3]。2013年に田中により早稲田の演劇博物館に委託された資料群は、同博物館の館長である岡室美奈子から「創作活動の実態や、寺山の性格や交友関係もわかる、非常に貴重な資料[21]」「寺山の創作の過程もわかり、今後の寺山研究には欠かせない[20]」と評価され、「寺山の全仕事・全人生を網羅するほど充実した資料[22]」「今後の寺山研究に決定的な影響を与える[22]」との声もある。

2015年(平成27年)11月21日のテレビ番組『ノンフィクションW 暗黒のアイドル、寺山修司の彼方へ。「月蝕歌劇団」30年の挑戦』(WOWOW)で、寺山を最も知る女優としてナレーターを務めた高橋ひとみは「寺山を伝え続けるという使命に一生を捧げた人として、本当にすごい」と感嘆した[27]

『寺山修司と生きて』の冒頭には、寺山から田中へ贈られた「未知、きみは固有名詞じゃない。ぼくとの共通名詞である。一緒につくった一つの存在です[28]」との言葉が記されている[8]

脚注編集

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  1. ^ a b c 日外アソシエーツ 2002, p. 472
  2. ^ a b c d e 齋藤 2007, p. 18
  3. ^ a b c d e f g h i j 守安 2015, pp. 4-7
  4. ^ a b c d 『寺山修司展 ひとりぼっちのあなたに』記念シンポジウム「寺山修司の現場」(神奈川近代文学館パンフレット、2018年)
  5. ^ 『寺山修司』 太陽編集部編、平凡社〈コロナ・ブックス〉、1997年7月15日、32頁。ISBN 978-4-582-63325-2
  6. ^ 浅見恭弘 (2001年1月21日). “うた物語 名曲を訪ねて 時には母のない子のように 異形の母子愛、率直”. 読売新聞 東京朝刊 (読売新聞社): p. 4 
  7. ^ a b c d e f g h i j 田中 2007, p. 390
  8. ^ a b c d 久田恵 (2007年6月17日). “書評 寺山修司と生きて 田中未知著 鬼才の不在を納得するまでの20年余”. 朝日新聞 東京朝刊 (朝日新聞社): p. 13 
  9. ^ a b 稲泉 2018, pp. 64-67
  10. ^ 梅森妙 (2018年2月19日). ““問いかけ”だけで構成された伝説の書『質問』を知っていますか? 編集担当者に聞いた『質問』の楽しみ方”. 文春オンライン (文藝春秋): p. 1. http://bunshun.jp/articles/-/6134 2018年10月9日閲覧。 
  11. ^ 松浦弥太郎「SUNDAY・LIBRARY 本のある日々 彼のことをふと思うとき あの香ばしいかおりを思い出す」、『サンデー毎日』第97巻第15号、毎日新聞社2018年3月18日、 104頁、 NCID AN10176044
  12. ^ 梅森 2018, p. 2.
  13. ^ 田中 2007, p. 371.
  14. ^ “今も慕われ続けて 寺山修司の十七回忌”. 朝日新聞 東京夕刊: p. 9. (1999年5月8日) 
  15. ^ 山内則史 (2000年8月14日). “時代超え「寺山修司」再び 没後17年 イベント・出版、相次ぐ人気”. 読売新聞 東京夕刊: p. 11 
  16. ^ “寺山ファンら、23回忌に200人”. 朝日新聞 東京夕刊: p. 10. (2005年5月12日) 
  17. ^ 古賀太 (2008年11月18日). “寺山修司、写真も奇才 未発表含む150点公開”. 朝日新聞 東京朝刊: p. 31 
  18. ^ 河合真帆 (2008年2月6日). “寺山修司の未発表歌集、28日刊行へ”. 朝日新聞 東京夕刊: p. 12 
  19. ^ a b 山内則史 (2014年11月6日). “寺山修司の未発表詩集 若者に届ける生の言葉 編者の田中未知さん”. 読売新聞 東京朝刊: p. 27 
  20. ^ a b “チャイム 寺山修司の自筆原稿など約5000件、報道陣に公開”. 産経新聞 東京朝刊 (産業経済新聞社): p. 31. (2013年6月14日) 
  21. ^ a b “寺山修司 未発表稿など数千点 元秘書 早大演劇博物館に寄託”. 北海道新聞 全道朝刊 (北海道新聞社): p. 34. (2013年6月14日) 
  22. ^ a b c “寺山修司未発表資料群の寄託と共同研究開始について 演劇博物館に自筆ノート・演出メモなど数千点”. ニュース キャンパスの「今」を切り取る (早稲田大学). (2013年7月11日). https://www.waseda.jp/top/news/6477 2018年10月10日閲覧。 
  23. ^ “未公開資料を大公開! 寺山修司展が開催”. ニュースウォーカー (KADOKAWA). (2013年12月2日). https://news.walkerplus.com/article/42859/ 2018年10月9日閲覧。 
  24. ^ ““寺山修司と生きた”田中未知が贈る二日間”. webDICE (アップリンク). (2014年11月10日). http://www.webdice.jp/topics/detail/4466/ 2018年10月9日閲覧。 
  25. ^ “「寺山修司不思議書店」蔵書1000冊以上を公開、「あゝ、荒野」絶版本販売も”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2018年3月21日). https://natalie.mu/stage/news/274413 2018年10月9日閲覧。 
  26. ^ “寺山修司の蔵書千冊超を公開する『不思議書店』田中未知&祖父江慎も登壇”. CINRA.NET (CINRA). (2018年3月15日). https://www.cinra.net/news/20180315-terayamashuji 2018年10月9日閲覧。 
  27. ^ “ノンフィクションW 暗黒のアイドル、寺山修司の彼方へ。「月蝕歌劇団」30年の挑戦~』高橋ひとみにインタビュー!”. エンタステージ (ナノ・アソシエーション). (2015年11月20日). http://enterstage.jp/interview/2015/11/003828.html 2018年10月9日閲覧。 
  28. ^ 久田 2007, p. 13より引用。

参考文献編集

外部リンク編集