清水寺 (岐阜県富加町)

岐阜県富加町にある寺院
白華山から転送)

清水寺(きよみずでら)は岐阜県加茂郡富加町加治田にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は白華山。

清水寺
所在地 岐阜県加茂郡富加町加治田985-1番地
位置 北緯35度29分54.2秒 東経136度59分50.7秒 / 北緯35.498389度 東経136.997417度 / 35.498389; 136.997417座標: 北緯35度29分54.2秒 東経136度59分50.7秒 / 北緯35.498389度 東経136.997417度 / 35.498389; 136.997417
山号 白華山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 十一面観世音菩薩
創建年 大同3年(808年
開山 延鎮
開基 坂上田村麻呂
札所等 美濃三十三観音霊場第二十六番
法人番号 2200005006796
清水寺 (岐阜県富加町)の位置(岐阜県内)
清水寺 (岐阜県富加町)
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歴史 編集

加治田城がある加治田山の山麓にある。

開山・開基と寺号が、全国で唯一、京都音羽山清水寺と同じであり、歴史的な霊地として知られる古刹である。

寺所蔵の『白華山清水寺縁起』によれば、大同3年(808年)、京都東山の清水寺と同じく、延鎮が開山、坂上田村麻呂を開基として創建されたと伝わる。

伝承によれば、延鎮は行叡居士[1]の行先を求めて東の方へ行き、美濃国に入ると東の山に光が見えてきた。光を目指して進むと加治田村に辿り着き、白華山で行叡居士と再会することができた。延鎮は、坂上田村麻呂に願い出て寺を創建した。

これが加治田白華山清水寺であるという[2]。 創建の話などを見ても僧侶修験者の行場として有名な霊地であったことが分かる。

加治田村の旧家で平井家の始祖である平井信正は京都の出身で朝廷に宮内卿として仕えていたが、戦国時代に戦乱を避けて美濃の斎藤道三のもとに寄寓した。道山の末子の斎藤利治が平井信正を賓客として加治田の清水寺へ迎え、軍術から和歌・連歌・蹴鞠等を利治や加治田衆に伝えたことにより、加治田文化は大いに栄えた。

元は真言宗に属したが、江戸時代半ばに臨済宗妙心寺派に改宗し、加治田村の龍福寺の末寺となった。

平成元年(1989年)春、庫裡を整理していたところ、破損した軸が見つかった。それに加治田の清水寺の成り立ちが記されていた。

加治田の人々が京都の出版社に依頼し出版した『扇の伝』には、江戸時代の終頃に白華山清水寺にて「菊合わせの会」が行われた様子が記されている。

本尊は成人の日のみ開帳され、人形供養も同時に実施している。寺を管理している総代に依頼すれば文化財を拝観することができる。

境内 編集

清水寺へは県道から硯川と呼ばれる谷川に沿って上る。その参道の脇には厄除弘法や、疣取地蔵として知られる清水地蔵がある。

山門のすぐ前を流れる硯川に清水谷公園がある。流沿いに石段が続き、別世界に入るような霊地[3]となっている。清水谷公園の一角には、加治田村の出身で明治から昭和初期の児童文学の発展に貢献した木村小舟歌碑がある。

硯川を渡ると鎌倉時代の様式を取り入れた唐破風造りの優美な二階門が目に入る。岐阜県指定重要文化財の二天門である。四方を鎮め仏法を広める四天王の内の持国天増長天の二天を祀っており、左右の火燈窓から礼拝ができる。左が持国天で右が増長天で、それぞれ邪鬼を踏んで立っている。二天門前には、加治田城本丸への登山道や、梨割山登山道の入口がある。清水寺入口に昔からある石が存在する。その石には清水寺の文字がかかれている。入口は狭く守りやすいのは、加治田城砦の地形の跡でもある。

門を出ると急な坂となり、谷の流れは右に変わる。この坂を尾西坂と言う。愛知県尾西の信者によって登りやすく整備されたからである。周囲には老樹が茂っている。

少し登って行くと、左に高い勾配の急な石垣の一角が聳えている。右に弘法堂があり左に曲がると本堂前の平地に出る。寛文年間(1661~1673年)に再興された本堂である。そこには平安時代中期の作で本尊の十一面観世音菩薩坐像[4]と坂上田村麻呂像が安置されている。

脇侍の地蔵菩薩立像は日切地蔵と呼ばれている。日を切って願をかけると、その日までに成就すると言われている。信者は、その日その日のことを聞き届けてくださる御利益のある有難い仏像だと言われて本尊以上に親しまれている。延命地蔵の多くは童子の姿であるのに対し面長な成人的な姿である。室町時代の作で岐阜県の重要文化財に指定されている。

本堂から右に目を向けると絶壁が聳え立ち、一条の滝があり白華山の滝と呼ばれている。京都音羽山清水寺にも「音羽山の滝」が流れているのと同じく、白華山清水寺にも白華山の滝が大岩より流れ、清水池をなし、清水寺公園を通り、加治田城下町へ絶える事ない水が豊かな城下町(宿場町)となっている。

その右脇に秋葉三尺坊の堂があり、狂俳の奉納額が何枚も掲げられている。

明治30年(1897年)10月、大野喜月が俳人の吾足斎の没後46年にあたり、清水寺境内に自然石を持って建てた吾足斎之碑がある。

境内の奥に坂道の林道があり、その脇には稲荷大明神が祭られている。

  • 「春は花 秋は月かげ 清水の いつも絶えせぬ 滝の白糸」詠歌がある。
  • 平井信正の碑がある。
  • 中村敬一の頌徳碑がある。

管理・維持 編集

  • 加治田の地域住民が主体となって見回りと維持管理を行い、 龍福寺の僧も地域住民と同じく管理を行っている。
  • 旧加治田村の加治田衆の子孫も現代まで管理・維持を交代で行っている。
  • 富加町も歴史的価値を重視して保護を行っている。

文化財 編集

重要文化財(国指定) 編集

  • 木造十一面観音坐像[5][6]

岐阜県指定重要文化財 編集

  • 二天門[7]
  • 木造地蔵菩薩立像[8]

富加町指定文化財 編集

  • 毘沙門天[9]
  • 木造持国天立像[9]
  • 木造増長天立像[9]

交通・アクセス 編集

外部リンク 編集

参考文献 編集

  • 青柳恵介 監修『白洲正子十一面観音の旅 京都・近江・若狭・信州・美濃篇』平凡社〈別冊太陽 太陽の地図帖〉、2010年7月。ISBN 978-4-582-94530-0 
  • 久野健『仏像集成』 2巻、学生社、1992年1月。ISBN 4-311-55002-2 
  • 富加町文化財審議会 編「(1)清水寺」『とみかの文化財』富加町教育委員会、2010年3月31日、15-20頁。 NCID BB02913628 (2000部限定)
  • 平凡社地方資料センター 編「清水寺」『日本歴史地名大系』 21(岐阜県の地名)、平凡社、1989年7月。ISBN 4-582-49021-2 
  • 守屋靖裕 編著『飛騨・美濃の信仰と造形 古代・中世の遺産 特別展』岐阜県博物館〈展覧会図録〉、2012年9月。全国書誌番号:22171505 
  • 吉岡勲 監修「清水寺」『岐阜県百寺』郷土出版社、1987年5月、154-155頁。全国書誌番号:87045692 
  • 『富加町史 上巻 (史料編)』 第二部 記錄の部 三 社寺記録 解説 二 清水寺縁起 p759 富加町史編集委員会 1980年
  • 『富加町史 上巻 (史料編)』 第二部 記錄の部 四 金石文と棟札 三三四 清水寺 p819~p825 富加町史編集委員会 1975年
  • 『富加町史 下巻 (通史編)』 第六章 近代 第五節 社会と文化 白華山清水寺 p558~p561 富加町史編集委員会 1980年
  • 『白華山 清水寺』(お寺発行の小冊子)、1992年
  • 『岐阜県百寺』 清水寺 p154~p155 郷土出版社 1987年
  • 『美濃国加茂郡誌』 第七章 宗教 第二節 寺院 【加治田清水寺】 p771 岐阜県加茂郡役所 大正10年

脚注 編集

  1. ^ 京都清水寺の草創に関わりのある老仙人
  2. ^ 近年[いつ?]この寺から見つかった縁起書によれば、大和の僧の延鎮が観音の奇瑞に逢い、坂上田村麻呂の後援を受けて開創されたのが当寺であるという。
  3. ^ 「ぶらり・ぎふ散歩」『毎日新聞』、[要ページ番号]。「境内の滝の水が参道脇の硯川(すずりがわ)を流れ、美しい風景を演出する」
  4. ^ 国の重要文化財
  5. ^ 木造十一面観音坐像”. 国指定文化財データベース. 文化庁. 2024年3月18日閲覧。
  6. ^ 1925年大正14年)に当時の古社寺保存法に基づき旧国宝(現行法の重要文化財に相当)に指定、一般公開はされていない)はかつては秘仏で3年に1度の開帳であった。現在、毎年「成人の日」の午前中に開帳。
  7. ^ 清水寺二天門”. 岐阜県. 2024年3月18日閲覧。
  8. ^ 木造地蔵菩薩立像”. 愛知県. 2024年3月18日閲覧。
  9. ^ a b c 富加町の重要文化財” (PDF). 富加町 (2015年4月1日). 2024年3月18日閲覧。