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経歴編集

父は石原進[2]。予科練出身のパイロットで、航空自衛隊のテストパイロットだったが、千秋が5歳の時に飛行機事故で死去した[3]。1979年成城大学文芸学部国文学科卒業。1983年同大学院博士課程後期中退(文学修士)。1983年東横学園女子短期大学助教授、93年成城大学文芸学部教授、2003年早稲田大学教育・総合科学学術院教授。専門は日本近代文学研究[4]

ちくま学芸文庫高田瑞穂『新釈現代文』解説で[5]で、やり通した参考書が『新釈現代文』と『古文研究法』だったことを回想している。一年間の浪人を経て、成城大学の二期試験に合格・進学[6]

大学院時代は東郷克美に師事[7]

2007年4月から「産経新聞」の文芸時評を担当。2018年『漱石と日本の近代』でやまなし文学賞受賞[8]

著書編集

単著編集

  • 『反転する漱石』(青土社、1997年、増補新版2016年)
  • 『秘伝 中学入試国語読解法』(新潮社<新潮選書>、1999年)
  • 『漱石の記号学』(講談社選書メチエ、1999年)
  • 『教養としての大学受験国語』(ちくま新書、2000年)
  • 『小説入門のための高校入試国語』(NHKブックス、2002年)
  • 『大学受験のための小説講義』(ちくま新書、2002年)
  • 『テクストはまちがわない』(筑摩書房、2004年)
  • 『漱石と三人の読者』(講談社現代新書、2004年)
  • 『評論入門のための高校入試国語』(NHKブックス、2005年)
  • 『『こころ』大人になれなかった先生』(みすず書房、2005年)
    • 増補『『こころ』で読みなおす漱石文学 大人になれなかった先生』(朝日文庫、2013年)
  • 『国語教科書の思想』(ちくま新書、2005年)
  • Jポップの作詞術』(NHK出版 生活人新書、2005年)
  • 『学生と読む『三四郎』』(新潮選書、2006年)
  • 『大学生の論文執筆法』(ちくま新書、2006年)
  • 『百年前の私たち』(講談社現代新書、2007年)
  • 『未来形の読書術』(ちくまプリマー新書、2007年)
  • 『秘伝 大学受験の国語力』(新潮選書、2007年)
  • 『謎とき 村上春樹』(光文社新書、2007年)
  • 『中学入試国語のルール』(講談社現代新書、2008年)
  • 『ケータイ小説は文学か』(ちくまプリマー新書、2008年)
  • 『受験国語が君を救う!』(河出書房新社、2009年)
  • 『国語教科書の中の「日本」』(ちくま新書、2009年)
  • 『名作の書き出し 漱石から春樹まで』(光文社新書、2009年)
  • 『読者はどこにいるのか 書物の中の私たち』(河出ブックス、2009年)
  • 『あの作家の隠れた名作』(PHP新書、2009年)
  • 『漱石はどう読まれてきたか』(新潮選書、2010年) 
  • 『近代という教養 文学が背負った課題』(筑摩選書、2013年)
  • 『教養として読む現代文学』(朝日選書、2013年)
  • 『打倒! センター試験の現代文』(ちくまプリマ-新書、2014年)
  • 『なぜ『三四郎』は悲恋に終わるのか 「誤配」で読み解く近代文学』(集英社新書、2015年)
  • 『生き延びるための作文教室』(河出書房新社、2015年)
  • 『漱石激読』(小森陽一との対談、河出ブックス、2017年)
  • 『漱石と日本の近代』(新潮選書(上下)、2017年)

共編著編集

  • 夏目漱石 3』(有精堂 1985.7)
  • 『夏目漱石 反転するテクスト』(有精堂出版 1990.4)
  • 『読むための理論』(世織書房 1992.3)
  • (小森陽一)共編『漱石を語る』1-2(翰林書房 1998)
  • 『夏目漱石『こころ』をどう読むか』(責任編集・河出書房新社 2014.5)
  • 『夏目漱石『三四郎』をどう読むか』(責任編集・河出書房新社 2014.10)
  • 『生まれて来た以上は、生きねばならぬ 漱石珠玉の言葉』(編集、新潮文庫、2017.2)
  • 『夏目漱石『坊っちゃん』をどう読むか』(責任編集・河出書房新社 2017.5) 

解説編集

  • 夏目漱石『漱石自筆原稿 心』(岩波書店、1993年)
  • 津島佑子『寵児』(講談社文芸文庫、2000年)
  • 高木幹夫『自分の子どもは自分で守れ』(講談社文庫、2002年)
  • 小柴昌俊『心に夢のタマゴを持とう』(講談社文庫、2002年)
  • 内田百閒『百鬼園先生言行録』(内田百閒集成7、ちくま文庫、2003年)
  • 佐江衆一『リンゴの唄、僕らの出発』(講談社文庫、2005年)
  • 佐藤賢一『ジャンヌ・ダルクまたはロメ』(講談社文庫、2006年)
  • 若林幹夫『増補 地図の想像力』(河出文庫、2009年)
  • 高田瑞穂『新釈 現代文』(ちくま学芸文庫、2009年)
  • 夏目漱石『硝子戸の中』(新潮文庫、2011年)
  • 夏目漱石『それから』(集英社文庫、2013年)
  • 小林秀雄『直観を磨くもの 小林秀雄対話集』(新潮文庫、2013年)
  • 夏目漱石『社会と自分 漱石自選講演集』(ちくま学芸文庫、2014年)
  • 高田瑞穂『現代文読解の根底』(ちくま学芸文庫、2014年)

監修編集

  • 『教科書で出会った名詩一〇〇』(新潮文庫、2014年)
  • 『教科書で出会った名句・名歌三〇〇』(新潮文庫、2015年)
  • 『教科書で出会った古文・漢文一〇〇』(新潮文庫、2017年)

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ 『文藝年鑑2007』
  2. ^ 日本海軍航空隊
  3. ^ 『みすず』2018年1・2月号「2017年読書アンケート」68p
  4. ^ researchmap - 石原千秋 http://researchmap.jp/read0044380/
  5. ^ 高田瑞穂『新釈現代文』 ちくま学芸文庫 p.252
  6. ^ 石原千秋『教養としての大学受験国語』に、「二浪を覚悟したとき、新聞広告で成城大学の二期試験が三月にあることを知った」(299頁)、「発表の日、僕の受験番号はなかった。すぐ帰ろうとしたが、まわりを見ると、掲示板を見て立ちつくしている。『あんなふうにするものなんだ』とか『あんなにできても落ちるんだ』とか呟きながら掲示板を見ていると、夕方の光線の加減で末尾の『七』が『三』に変わったのだ。『いまのうちだ!』僕は大慌てで受験票を合格書類と取り替えた」(299-300頁)とある。
  7. ^ 石原千秋『反転する漱石』(1997年)に、「大学院生時代からあたたかく見守って下さっている東郷克美先生に私の漱石論をまとめて読んでいただけるのは大きな喜びである」(386頁)とある。あるいは、石原千秋『百年前の私たち』に、「この連載をはじめたとき、恩師の東郷克美先生が『連載、好調なスタートだね』と声をかけてくださった」(268頁)とある。
  8. ^ 山梨県立文学館 - やまなし文学賞 過去の受賞作 http://www.bungakukan.pref.yamanashi.jp/prize/%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%B3%9E%E9%81%8E%E5%8E%BB%E5%8F%97%E8%B3%9E%E4%BD%9C.pdf
  9. ^ 学校法人成城学園企画広報部編『sful 成城だより』vol.5(2015年7月)「対談 石原千秋×荻上チキ『文学を通して世界を見るその目はここで鍛えられた』」(10-13頁)に、「石原 荻上君が僕の講義を受けたのは2年生の演習からだったかな」、「荻上 僕は石原先生に、体系を学ぶと世界の見え方が違うことを教わって、齢20にして勉強は面白いんだと目覚めました」(12頁)とある。
  10. ^ 石原千秋『漱石と日本の近代(下)』に、「成城大学時代の私の恩師の一人・明治四十年生まれの坂本浩は、昭和四年に熊本の第五高等学校を卒業して東京帝国大学の文学部国文学科に進学したまさに小川三四郎のような人で、近代文学研究の草分け的存在だった」(166頁)とある。
  11. ^ 石原千秋『学生と読む『三四郎』』に、「その昔、深作健太という名の学生が(彼はもう『公人』だから、名前を言ってもいいだろう)、僕の演習の授業で横光利一の『上海』のレポートを書いたことがある。しかし、何度読んでもヘンなのである。[…]僕にはそれがまったく理解できなかったから、黙って九十点を付けた」、「その後彼は僕のゼミに来て、一度も論文指導を受けずに『悦びの王権』というタイトルの谷崎潤一郎『細雪』論を書いた。[…]個性的な文体で、みごとな完成度を示していた。卒業論文の試問では、副査の教員が『修士論文としても十分通用する』と感嘆の声をあげた。その経験から、『僕には天才は育てられないし、評価もできない。だから、ただそっとしておくのがよい』という教訓を得た」(110頁)とある。
  12. ^ 石原千秋『教養としての大学受験国語』に、「僕が大学受験をした昭和四十九年から五十年頃には、後に大学で僕自身の恩師の一人となる高田瑞穂先生の『新釈 現代文』(新塔社)という本が、大学受験国語参考書の定番だった」(8頁)とある。あるいは、石原千秋『生き延びるための作文教室』に、「高田瑞穂先生。実は、ぼくの大学時代のゼミの先生である」(21頁)とある。
  13. ^ 石原千秋『教養としての大学受験国語』に、「もう三十年も前のことになるが、東京の西のはずれにある狛江という小さな町の中学校で、僕は詩人の牟礼慶子に『国語』を教わる幸運に恵まれた」(298頁)とある。あるいは、石原千秋『生き延びるための作文教室』に、「ぼくが作文が得意だと自覚したというか、文章を書くのが好きになったのは中学二年生の時だった。その頃ベストセラーだった北杜夫の『どくとるマンボウ』シリーズに凝っていたので、そっくりな文章で作文を書いていた。北杜夫のように上品なユーモアではなく、無理に笑わせようとしてすべっていたと思うが、国語の谷田慶子先生(詩人の牟礼慶子です)がとても面白がってくれた」(15頁)とある。

外部リンク編集