神雷龍之助
神雷 龍之助(じんらい りゅうのすけ、1926年3月27日 - 1984年11月6日[1])は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋に所属した元大相撲力士。本名は海津 正道(かいづ まさみち)。現在の茨城県神栖市出身。168cm、109kg。最高位は西十両12枚目。得意技は右四つ、寄り。
経歴
編集1941年5月場所に初土俵。1953年1月場所に十両昇進。十両は計13場所務め、十両下位で2場所連続で4勝11敗と大敗した1956年9月場所限りで廃業した。 廃業後は滋賀県大津市で相撲料理店「ちゃんこ神雷」を経営した。
主な成績
編集- 通算成績:217勝253敗 勝率.462
- 十両成績:79勝116敗 勝率.405
- 現役在位:42場所
- 十両在位:13場所
場所別成績
編集春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1941年 (昭和16年) |
x | x | (前相撲) | x | ||
1942年 (昭和17年) |
(番付外) | x | (前相撲) | x | ||
1943年 (昭和18年) |
西序ノ口18枚目 2–6 |
x | 東序ノ口7枚目 6–2 |
x | ||
1944年 (昭和19年) |
西序二段29枚目 5–3 |
x | 西三段目45枚目 3–2 |
西三段目22枚目 1–4 |
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1945年 (昭和20年) |
x | x | 東三段目32枚目 0–5 |
東序二段7枚目 3–2 |
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1946年 (昭和21年) |
x | x | 国技館修理 のため中止 |
東三段目19枚目 4–3 |
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1947年 (昭和22年) |
x | x | 西三段目9枚目 3–2 |
東幕下27枚目 4–2 |
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1948年 (昭和23年) |
x | x | 東幕下13枚目 3–3 |
東幕下13枚目 2–4 |
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1949年 (昭和24年) |
東幕下19枚目 3–9 |
x | 東幕下27枚目 5–10 |
東三段目4枚目 9–6 |
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1950年 (昭和25年) |
東幕下22枚目 6–9 |
x | 東幕下25枚目 5–10 |
東三段目4枚目 6–9 |
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1951年 (昭和26年) |
西三段目7枚目 9–6 |
x | 東三段目2枚目 12–3 |
東幕下16枚目 7–8 |
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1952年 (昭和27年) |
西幕下18枚目 9–6 |
x | 東幕下12枚目 8–7 |
東幕下6枚目 10–5 |
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1953年 (昭和28年) |
西十両16枚目 9–6 |
西十両13枚目 5–10 |
東十両18枚目 7–8 |
東十両19枚目 1–14 |
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1954年 (昭和29年) |
東幕下5枚目 3–5 |
東幕下7枚目 5–3 |
西幕下3枚目 5–3 |
東張出十両22枚目 8–7 |
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1955年 (昭和30年) |
東十両16枚目 8–7 |
西十両15枚目 5–10 |
西十両18枚目 6–9 |
西十両21枚目 9–6 |
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1956年 (昭和31年) |
西十両12枚目 5–10 |
東十両18枚目 8–7 |
東十両16枚目 4–11 |
西十両23枚目 引退 4–11–0 |
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各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
編集- 海津(かいづ)1941年5月場所 - 1942年5月場所
- 東崎(あずまざき)1943年1月場所 - 1944年11月場所
- 東浪(あずまなみ)1945年6月場所
- 東崎(あずまざき)1945年11月場所 - 1947年6月場所
- 常陸崎(ひたちざき)1947年11月場所 - 1949年5月場所
- 海津(かいづ)1949年10月場所 - 1951年5月場所
- 神雷 龍之助(じんらい りゅうのすけ)1951年9月場所 - 1956年9月場所
参考文献
編集- 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
出典
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 神雷 龍之助 - 相撲レファレンス