稲葉正凱
稲葉 正凱(いなば まさよし、1906年(明治39年)1月14日[1] - 1963年(昭和38年)1月31日[1][2])は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。
稲葉正凱 いなば まさよし | |
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生年月日 | 1906年1月14日 |
没年月日 | 1963年1月31日(57歳没) |
所属政党 | 研究会 |
親族 |
祖父・松浦詮(貴族院議員) 祖父・前田利鬯(貴族院議員) 伯父・松浦厚(貴族院議員) 伯父・前田利嗣(貴族院議員) 叔父・佐竹義準(貴族院議員) 叔父・大隈信常(貴族院議員) 叔父・井上勝純(貴族院議員) 義父・松平保男(貴族院議員) 義兄・大村純毅(大村市長) 義弟・徳川慶光(貴族院議員) 従弟・大隈信幸(参議院議員) 従弟・井上勝英(貴族院議員) |
在任期間 | 1945年3月17日 - 1947年5月2日 |
経歴
編集子爵・稲葉正縄の二男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1919年(大正8年)4月21日、子爵を襲爵した[1][3][4]。
暁星中学校を卒業後、イギリスへ留学[5]。1930年(昭和5年)ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジを卒業した[2][3]。
1935年(昭和10年)外務省文化事業部嘱託となる[2]。以後、内閣情報局嘱託、大東亜省嘱託、国際学友会参与、バンコク在勤日泰文化会館事業部長などを務め、また、昭英建築事務所を経営した[2][3]。
1945年(昭和20年)3月17日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。墓所は青山霊園。
親族
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成』上巻、182-183頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』44頁。
- ^ a b c d e 『人事興信録』第14版 上、イ218頁。
- ^ 『官報』第2013号、大正8年4月22日。
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、274頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、53頁。
- ^ 『官報』第5454号、昭和20年3月23日。
- ^ 『人事信用調査録 105コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『人事興信録 初版(明36.4刊) 79コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 稲葉正縄 |
子爵 (淀)稲葉家第3代 1919年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |