空挺兵(くうていへい、英語: paratrooper)は、空挺部隊に属する兵士のこと。パラシュートグライダーなどによるエアボーン戦術を実施する能力を備えている。このために厳しい訓練を行っており、また空中投下可能な装備を有することから、エアボーン戦術を用いない作戦でも、即応・空輸可能な精鋭軽歩兵部隊として投入される事もある。[1]

1944年9月、マーケット・ガーデン作戦で降下する連合軍第1空挺軍

なお「空挺」とは「空中挺進」の略語であり[2]、また挺進については「挺身」と書く場合もある[3]

空挺降下

編集

パラシュートによる戦闘降下には3つの形態がある[4]。このうち、1930年代から空挺部隊の標準的パラシュート技術とされているのが自動開傘索方式で、主力部隊の展開に用いられる[4]。これに対し、主力部隊に先行して降下する降下誘導部隊 (Pathfinderや、少人数で隠密潜入を行う特殊部隊では、高高度降下低高度開傘(HALOおよび高高度降下高高度開傘(HAHO方式による自由降下を行う[3][4]

陸上自衛隊第1空挺団が自動開傘索方式で降下する場合、2014年以降は、新しく国内開発した13式空挺傘を使用する[3]。これは重量15キログラムの主傘と7キログラムの予備傘から構成されており、主傘を背負い、予備傘を腹部側に取り付ける形となる[3]背嚢は一般隊員用とは異なる形状のものが採用されており、降下中は脚の間に吊り下げておいて、着地後に背負って行動する[3]。また89式5.56mm小銃も折曲銃床式のものが支給され、降下時には布製のケースに収納する[3]。これに加えて、カールグスタフ無反動砲や吊下げ嚢を携行する場合もあるが、これらは降下中は体から離して吊り下げておくことで、人体に過度の着地衝撃がかからないようにしている[5]。なお、このように背嚢に加えて主傘・予備傘を装着するため、空挺兵は横幅より前後幅のほうが大きくなり、また降下前の点検等動作のためのスペースも必要となるという特性があり、輸送機に搭乗する場合は配慮を要する[6]。例えば航空自衛隊C-1輸送機の場合、一般兵であれば60名が搭乗可能であるのに対し、空挺兵であれば45名に減少し、また特に貨物室長を決定する際には空挺兵の特性が考慮された[6]

一方、自由降下を行う場合は操縦性能に優れた自由降下傘を使用するほか[注 1]、4,000メートル以上という高高度から降下するため、高度が人に与える影響に対処するための特別な装備を使用する[4][3]。例えばHAHOでは高高度を長く滑空するため、酸素吸入を行うことが多い[4]。これに対し、HALOでは速やかに高度を下げるため酸素の所要量が少ないかわり、自由落下時に激しい風を受けるため、保温への配慮が必要となる[4]。陸上自衛隊での標準的な降下手順としては、HAHOの場合は高度2,000メートル以上の地点で開傘し、パラシュートを操縦しながら約10キロメートルを滑空するのに対して、HALOの場合は跳び出し後約60秒間は自由落下し、高度約1,000メートル地点で開傘して、パラシュートを操縦しながら目標地点に着地する[3]

空挺部隊

編集

第二次世界大戦の終結までに空挺部隊を保有したことのある国は限られていたが、大戦後には飛躍的に普及した[7][注 2]。また輸送機空中投下技術の進歩、そしてヘリボーン戦術の登場によって、空挺部隊の戦力や選択肢も飛躍的に向上した[7]

各国の空挺部隊は、その国の国防方針や用兵思想に基づいて編成・運用されており、一様ではない[9]第1挺進集団帝国陸軍)と第1空挺団陸上自衛隊)の両方で勤務した田中賢一陸士52期。陸軍少佐陸将補)は、空中機動作戦による迅速な展開を重視する「即応型」、装甲部隊との連携を重視する「重戦力型」、対戦車戦闘の重点形成や戦線の間隙の閉塞・翼側の援護などに用いる「限定戦術任務型」といったタイプに分類し、それぞれアメリカ陸軍ソビエト連邦軍西ドイツ陸軍を例とした[9]

各国の空挺部隊

編集

独立軍種である場合

編集

空挺兵の先駆者であるソビエト連邦軍では、空挺兵を地上軍などと同格の、独立した軍種として扱っていた[10]ソビエト連邦の崩壊後の独立国家共同体(CIS)諸国でも、同様の体制を踏襲している場合が多い。

空軍に所属している場合

編集

世界で初めて大規模なエアボーン作戦を実施したドイツ国防軍では、輸送機との連携の観点もあって、空挺兵(降下猟兵)は空軍の所属とされていた[11]。また中国人民解放軍でも、空挺兵(空降兵)は空軍の所属とされている[12]

陸・海軍に所属している場合

編集

多くの場合、空挺兵は陸軍海軍陸戦隊などの陸戦を所掌する軍種において、特殊技能の一つとして扱われている。

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 自動開傘索方式で降下する場合、大部隊で降下することが前提となっているため、操縦性が高いと空挺兵同士が空中で衝突する恐れが出てくる[4]
  2. ^ 田中賢一ソビエト連邦ドイツ国日本アメリカ合衆国イギリスフランスイタリアポーランドの8か国を挙げているが[7]、その他にも、ペルーは1939年に、アルゼンチンは1944年に、ブラジルは1945年に、それぞれ小規模ながら空挺部隊を設立して、ペルーの空挺部隊は1941年に勃発した対エクアドル戦争において実戦投入されている[8]

出典

編集
  1. ^ Wragg, David W. (1973). A Dictionary of Aviation (first ed.). Osprey. p. 209. ISBN 9780850451634 
  2. ^ 空挺」『精選版 日本国語大辞典』https://kotobank.jp/word/%E7%A9%BA%E6%8C%BAコトバンクより2022年6月4日閲覧 
  3. ^ a b c d e f g h 臼井 2017.
  4. ^ a b c d e f g McNab & Fowler 2003, pp. 329–337.
  5. ^ 田中 1986, pp. 154–165.
  6. ^ a b 油井, 河東 & 熊谷 1972.
  7. ^ a b c 田中 1986, pp. 46–55.
  8. ^ Theotokis 2020, pp. 137–139.
  9. ^ a b 田中 1986, pp. 114–118.
  10. ^ 田中 1986, pp. 127–132.
  11. ^ 田中 1986, pp. 24–35.
  12. ^ 田中 1986, pp. 152–153.

参考文献

編集

関連項目

編集