置戸駅

かつて北海道常呂郡置戸町にあった北海道ちほく高原鉄道の駅
置戸森林鉄道から転送)

置戸駅(おけとえき)は、北海道常呂郡置戸町字置戸にあった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線廃駅)である。国鉄JR北海道池北線時代の電報略号オケ事務管理コードは▲120501[7]

置戸駅
駅舎(2005年8月)
おけと
Oketo
小利別 (15.9 km)
(4.4 km) 豊住
所在地 北海道常呂郡置戸町字置戸
北緯43度40分37.23秒 東経143度35分23.22秒 / 北緯43.6770083度 東経143.5897833度 / 43.6770083; 143.5897833
所属事業者 北海道ちほく高原鉄道
所属路線 ふるさと銀河線
キロ程 109.4 km(池田起点)
電報略号 オケ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1911年大正10年)9月25日[1]
廃止年月日 2006年平成18年)4月21日
備考 ふるさと銀河線廃線に伴い廃駅
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JR北海道当時の駅舎(ホーム側より撮影、1989年3月)
発車時刻待ちの北見行CR75-3(置戸、1998年7月3日)
1977年、国鉄池北線時代の置戸駅と周囲1km範囲。右上が北見方面。標高約220m、周囲の山々と300m程高低差のある谷筋に、木材搬出を主目的として作られた駅で、山を越えた北隣の石北本線留辺蘂駅と似ている。駅裏正面から池田側に北見営林局置戸営林署管轄の広大なストックヤード(土場)が広がる。その周囲には沢山の木工場が建てられており、駅裏は殆んど全て木材関係の施設が占めている。相対式ホーム2面2線と駅舎横の北見側に貨物ホームと引込み線、駅裏側に3本の留置線、そこからヤードの池田側へ2本の貨物積卸線が伸びる。かつてはもう一本ヤードの中央に伸びていたが、既に撤去されて軌道跡が小道状になっている。その積卸線と本線との間に建家があるが、置戸-陸別間にある池北峠越え用の補機用機関車の車庫で、以前はそのすぐ北見寄りに転車台があったが、撤去され埋められて殆んど痕跡が無くなっている[2]
かつてはこのヤードの南西端へ置戸森林鉄道が接続し、西方の常呂川上流、現在の鹿の子ダムよりさらに上流にある支流の上ホロカトコロナイ川や、勝山から南西に分かれる支流の仁居常呂川上流から、勝山に設けられた中継地を介して、木材を運び込んでいた[3][4][注釈 1]。写真左下に見える踏切よりも川寄り、本線の常呂川鉄橋手前に窪んでカーブして行く跡と本線の短い鉄橋が残っているが、軌道はそこを潜り抜けて、川を渡らずに旧道に沿って山裾を回り込みながら勝山へ向かっていた[2][5][6]国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

歴史 編集

駅構造 編集

  • 相対式ホーム2面2線の地上駅。鉄骨造2階建てで、コミュニティーセンターと合築になっている[10]
  • 社員配置駅(駅長と助役)。平日日中のみ営業。改札業務はしなかった。廃止前1ヶ月程度の期間は土日祝も営業していた。
  • 廃止後は観光案内所で北海道北見バス回数券・定期券を発売し、バスは駅前には乗り入れている[12]
  • この駅での夜間停泊は設定されていなかった。国鉄時代末期の1986年11月1日改正では、当駅に23時前に到着する列車があった。ふるさと銀河線になってからも、23時10分過ぎ → 22時台後半に当駅止まりがあり、到着後北見駅まで回送列車であったが、2000年4月1日の改正で北見発が21時台に繰り上がり、22時台に当駅始発・北見行きという運用に見直された。

駅名の由来 編集

所在地名より。アイヌ語の「オ・ケトゥ・ウン・ナイ[13]」(川尻に・獣皮を乾かすその張り枠・ある・,川)に由来するとされる[14]

駅廃止後 編集

駅事務室が置戸町歯科診療所へ改修されたほか[15]、2012年(平成24年)10月25日には駅の吹き抜けの開放的な空間を生かして町民有志が運営する置戸ぽっぽ絵画館が開設された[16][17]。ホームや線路・碑などはそのまま残されている。

利用状況 編集

乗車人員の推移は以下のとおりであった。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日
平均
1965年(昭和40年) 249,300 683 [18]
1970年(昭和45年) 204,144 559
1975年(昭和50年) 193,026 527
1980年(昭和55年) 155,927 427
1981年(昭和56年) 139,727 383
1982年(昭和57年) 138,910 375
1983年(昭和58年) 127,450 348
1984年(昭和59年) 126,054 345
1985年(昭和60年) 119,877 328

駅周辺 編集

置戸町の中心駅。町の機能がほぼそろっている。

置戸森林鉄道 編集

  • 1920年大正9年):置戸森林鉄道敷設工事着工[19]
  • 1921年(大正10年)
    • 不明:中里に貯木場(中置戸土場)設置[19]
    • 8月:幹線(置戸駅-中置戸-二股(現・勝山))16.6km竣工[19]
    • 11月:二股より仁居常呂支線 9.6km、士居常呂支線 11.8km 各線延長[19]
    • 11月15日:森林鉄道輸送開始[19]
  • 1922年 - 1925年:仁居常呂支線 25.1km、士居常呂支線 24.9km 各線延長[19]
  • 1923年(大正12年):置戸貯木場(駅土場)設置[19]
  • 1925年(大正14年):駅土場へ引込線200m敷設[19][注釈 2]
  • 1929年昭和4年):士居常呂支線 4.0km延長[19]
  • 1931年(昭和6年):中置戸土場閉鎖、置戸駅土場に集約[19]。常呂川本流線新設[19]
  • 1961年(昭和36年):廃止、軌道撤去[19]

隣の駅 編集

北海道ちほく高原鉄道
ふるさと銀河線
小利別駅 - 置戸駅 - 豊住駅


小利別と置戸間の釧北峠(現・池北峠)に、1916年(大正5年)から1931年(昭和6年)まで釧北信号場が置かれていた。また、同一地点に戦後まもない頃(時期不詳)から1957年(昭和32年)まで釧北仮乗降場が置かれていた。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 写真中央に勝山(二股)中継所、右上方向が置戸駅、写真右上隅近くに中里の中置戸土場跡。
  2. ^ 距離は 昭和5年版 全国専用線一覧 による。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、894頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b 1948年撮影航空写真 USA-R351-54(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  3. ^ 5万分の1地形図 1955年測量「小利別」
  4. ^ 1947年撮影航空写真 USA-M592-99(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  5. ^ 置戸町史
  6. ^ 5万分の1地形図 1954年測量「留辺蘂」
  7. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、237頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  8. ^ 『官報』1911年09月21日 鉄道院告示第71号(国立国会図書館)
  9. ^ 置戸町史 上巻 昭和60年8月発行 P732。
  10. ^ a b c “置戸駅が新装”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1996年12月16日) 
  11. ^ 鉄道ジャーナル』第31巻第3号、鉄道ジャーナル社、1997年3月、98頁。 
  12. ^ “発信2012 ふるさと銀河線 廃止その後 上 代替バス 重い地元負担 減便も”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2012年4月24日)
  13. ^ アイヌ語ラテン翻字: o-ketu-un-nay
  14. ^ アイヌ語地名リスト エン~オニシ P21-30P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
  15. ^ “旧ふるさと銀河線置戸駅 町歯科診療所の移転進む スペース広がり車いすにも対応 4月オープン予定”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2007年1月20日)
  16. ^ “旧置戸駅舎に絵画館 町民有志が運営 全国「無名画家」寄贈の100点展示”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2012年10月25日)
  17. ^ “旧置戸駅舎にオープン ぽっぽ絵画館 作家の力作 多彩に集結 セレモニーに50人 画家、寄贈者が解説も”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2012年10月26日)
  18. ^ 置戸町史編纂委員会『置戸町史 下巻 (戦後編)』置戸町、1987年12月、533頁。doi:10.11501/9571967 
  19. ^ a b c d e f g h i j k l 置戸町史編纂委員会『置戸町史 上巻 (戦前編)』置戸町、1985年8月、552-565頁。doi:10.11501/9571510 

参考資料 編集

  • 置戸町史 上下巻 昭和60,62年発行

関連項目 編集