若草の頃』(わかくさのころ、英語: Meet Me in St. Louis, 「セントルイスで会いましょう」の意)は、1944年アメリカ合衆国ミュージカル映画。監督はヴィンセント・ミネリ、出演はジュディ・ガーランドマーガレット・オブライエンなど。

若草の頃
Meet Me in St. Louis
監督 ヴィンセント・ミネリ
脚本 フレッド・F・フィンクルホフ英語版
アーヴィング・ブレッチャー英語版
原作 サリー・ベンソン英語版
Meet Me in St. Louis
製作 アーサー・フリード
出演者 ジュディ・ガーランド
音楽 ロジャー・イーデンス
ジョージ・ストール英語版
撮影 ジョージ・フォルシー英語版
編集 アルバート・アクスト英語版
製作会社 MGM
配給 アメリカ合衆国の旗 MGM/ロウズ
日本の旗 セントラル映画社
公開 アメリカ合衆国の旗 1944年11月28日
日本の旗 1951年3月10日
上映時間 113分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 1,885,000ドル[1]
興行収入 5,016,000ドル(北米配収)
1,550,000ドル(海外配収)[1]
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概要 編集

ザ・ニューヨーカー』誌に掲載され、後に小説『5135 Kensington 』となったサリー・ベンソンによる短編小説シリーズをアーヴィング・ブレッチャーとフレッド・F・フィンクルホフが映画化。1903年から1904年セントルイス万国博覧会を控えた時代のアメリカセントルイスを舞台に[2][3]、中流家庭のゆったりとした4つの季節の情景を、美しいカラー映像で描写したミュージカル映画。アメリカでは公開当時、戦争の暗い世相に疲れた人々の心の琴線に触れて大ヒット。現在でもミュージカル映画の枠を超えた、不朽の名作映画の一つに数えられている。

原題の「Meet Me in St. Louis (セントルイスで会いましょう)」は1904年セントルイス万博のテーマソングであり、その他の楽曲も1903年当時の流行歌が主に使われている。その一方でヒュー・マーティンとラルフ・ブレインによって新たに作られた3つのオリジナル曲は、いずれ劣らぬスタンダードナンバーとなった。「The boy next door 」、「The Trolley Song 」、「Have Yourself a Merry Little Christmas 」。特に「Have Yourself a Merry Little Christmas 」はクリスマスソングの定番として今なお歌い継がれている楽曲である。プロデューサーのアーサー・フリードが、映画使用曲のうち1曲を作曲し演奏もしている。

第17回アカデミー賞では4部門のノミネートし、受賞はなかったが、本作を含めた評価でマーガレット・オブライエンがこの年のAcademy Juvenile Award(子役賞)を受賞している。興行的にも『我が道を往く』に続き1944年および1945年の全米興行成績第2位を記録[4]。MGM社にとっても当時『風と共に去りぬ』に次ぐ高い利益をあげたヒット作となった。AFI's 100 Years of Musicalsの10位でもある。

この作品を期に、暖かい家族を描いてアメリカ人のノスタルジーを刺激する映画がブームとなった。日本にも輸入された代表的なものに20世紀フォックス製作の『ステート・フェア』(1945)がある。MGMもジュディ・ガーランドを再度主演に起用して『懐かしき夏の頃』(1949/日本ではビデオ公開)という懐古的作品を製作している。また本作の直接的な続編として『ニューヨークで逢いましょう(Meet Me in New York)』という作品も予定されていたが、こちらは企画倒れとなった。

ストーリー 編集

万国博を翌年に控え、皆が浮き足立っているような1903年夏のセントルイス。父アロンゾ(レオン・エイムズ)、母アンナ(メアリー・アスター)とローズ(ルシル・ブレマー)、エスター、アグネス、トゥーティの4人娘と長男ロン・ジュニア(ヘンリー・H・ダニエル・ジュニア)が暮らす中流階級のスミス一家。次女エスター(ジュディ・ガーランド)は隣家に住むジョン・トゥルーイット(トム・ドレイク)を想っていたが、彼は彼女に気付かない。ウォーレン・シェフィールド(ロバート・サリー)からのプロポーズを望む長女ローズは彼からの電話を待っていたのだが、ウォーレンは相変わらず煮え切らない。

大学進学で家を離れるロンを壮行するパーティでエスターはようやくジョンと知り合うことができ、全ての客が帰った後に2人きりになると、エスターはジョンに家中のガス灯を消す手伝いを頼み、2人はロマンチックな雰囲気になりかけたが、ジョンの無神経な言葉で台無しとなる。

ハロウィンの日、トゥーティ(マーガレット・オブライエン)は怪我をして帰宅し、ジョンにやられたと語る。隣家へ走ったエスターはジョンに殴りかかり、貶す。エスターが帰宅すると、実はトゥーティとアグネス(ジョーン・キャロル)が危険な悪ふざけをして警察に捕まりそうになったところをジョンに助けられたのだと反省することなく語る。真実を知ったエスターはすぐに隣家のジョンを訪ねて謝罪をし、2人は初めてのキスをする。

季節が過ぎ、ようやく2人が恋人らしくなった頃、エスターの父ジョンに突然ニューヨークへの転勤話が持ち上がり、一家は引越しをすることになってしまう。一家はひどく落胆し、特にローズとエスターは恋愛、友情、学業の計画が全て台無しになることを恐れる。エスターはさらに万国博覧会に行くことができなくなることを残念がる。

クリスマス・イヴに舞踏会が催される。エスターは、ジョンが仕立て屋の閉店時間までに間に合わずにタキシードを受け取れず、エスターを舞踏会に連れて行けなくなったことに落ち込む。そんなエスターを祖父(ハリー・ダヴェンポート)が代わりに舞踏会に連れて行くこととなる。会場でエスターは初めて会ったルシル・バラッド(ジューン・ロックハート)をローズのライバルと思い込み、偽のダンス・カードを渡そうとする。しかし、ルシルがロンに興味を示したため、ルシルに渡そうとしたカードではなく自分のカードを渡し、エスターは偽のカードに記入した器量の悪いパートナーと踊らなくてはならなくなる。祖父に助けられたエスターは、なんとかタキシードを手に入れて現れたジョンに喜び、その後2人はずっと一緒に踊り続ける。その後ジョンはエスターにプロポーズをし、エスターはこれを受け入れる。

エスターが帰宅するとトゥーティはまだ起きていた。エスターの歌う『Have Yourself a Merry Little Christmas 』でトゥーティは心をさらけ出し、数日後に控えた転居への落胆から階下に下りて寒い冬の夜に外に出ると、昼間皆で作成した家族の雪だるまを次々と壊していく。父は2階の窓からこれを見ていた。

父は転居が家族に多大な影響を及ぼすことをようやく悟ると、転居を取りやめにする。そこにウォーレンが突然やって来て、ローズにプロポーズしてそのまま出て行き、これが家族の前で2人の結婚が明らかになった初めての瞬間となる。こうして家族全員が万国博覧会に行くことができるようになる。

万国博覧会での夜、スミス一家と将来の婿や子どもたちの恋人を含み、会場中央にあるグランド・ラグーンに無数の光が灯されるのを皆で眺める。

キャスト 編集

※括弧内は日本語吹替(初回放送1975年6月9日『月曜ロードショー』)

音楽 編集

クレジットには出ていないが、アソシエイト・プロデューサーでもあるロジャー・イーデンスが音楽を担当。コンラッド・サリンジャーの楽団をジョージ・ストールが指揮した。いくつかの曲はセントルイス万国博覧会の使用曲またはその時代の曲を用い、それ以外はこの映画のために作曲された。

受賞歴 編集

アカデミー賞の撮影賞作曲賞歌曲賞(ラルフ・ブレイン、ヒュー・マーティンによる『The Trolley Song 』)、脚色賞にノミネートされ、『若草の頃』を含むいくつかの映画に出演したマーガレット・オブライエンがアカデミー子役賞を受賞。

1994年アメリカ議会図書館により重要文化映画とみなされ、アメリカ国立フィルム登録簿に認定された。

アメリカン・フィルム・インスティチュートミュージカル映画ベストで『若草の頃』を第10位に、アメリカ映画主題歌ベスト100で『The Trolley Song 』を第26位に、『Have Yourself a Merry Little Christmas 』を第76位に位置付けした。

派生作品 編集

1993年9月にカナダオンタリオ州アマーストバーグにあったボブロ・アマースト・パークに、閉園するまでこの映画で使用された19世紀ヴィンテージメリーゴーラウンドが展示されていた。解体され、一般の収集家に売却された。

他の作品への登場 編集

  • 2005年、『幸せのポートレート』 - エスターとジョンのダンス・シーン、エスター(ジュディ・ガーランド)が歌う『Have Yourself A Merry Little Christmas 』のシーンが登場。

備考 編集

  • 監督のヴィンセント・ミネリと主演のジュディ・ガーランドはこの作品がきっかけで1945年に結婚した。
  • DVDの音声解説で当時66歳のマーガレット・オブライエンが出演している。
  • この映画が出るまで、テクニカラーは照明が無いと上手く映らないと思われていたが、この映画のハロウィーンシーンがきっかけで暗い場面の撮影がされるようになった。
  • 四姉妹のうち三女のアグネスは、この映画の原作の雑誌短編小説を書いたサリー・ベンソン自身がモデルであり、彼女の少女時代の実体験が本作の題材となっている。なお原作では結末が映画とは違い、一家は本当にニューヨークへ引越してしまうため、セントルイス万国博を見ることはできない。

出典 編集

  1. ^ a b The Eddie Mannix Ledger, Los Angeles: Margaret Herrick Library, Center for Motion Picture Study 
  2. ^ Variety film review; November 1, 1944, page 10.
  3. ^ Harrison's Reports film review; November 4, 1944, page 178.
  4. ^ http://www.ldsfilm.com/misc/lds_Top5_boxoffice.html Viewed 2011 Dec 19.

外部リンク 編集