葛塚町

日本の新潟県北蒲原郡にあった町

葛塚町(くずづかまち)は、かつて新潟県北蒲原郡にあった1955年3月31日合併によって消滅し、現在は新潟市北区の一部となっている。

くずづかまち
葛塚町
葛塚稲荷神社と葛塚町道路元標
葛塚稲荷神社と葛塚町道路元標
廃止日 1955年3月31日
廃止理由 新設合併
葛塚町木崎村岡方村豊栄町
現在の自治体 新潟市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方信越地方
北信越地方上信越地方
広域関東圏
都道府県 新潟県
北蒲原郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 10,293
推計人口、1955年3月30日)
隣接自治体 聖籠村佐々木村中浦村本田村神山村長浦村、木崎村
葛塚町役場
所在地 新潟県北蒲原郡葛塚町葛塚3297
座標 北緯37度54分59秒 東経139度13分07秒 / 北緯37.91628度 東経139.21869度 / 37.91628; 139.21869座標: 北緯37度54分59秒 東経139度13分07秒 / 北緯37.91628度 東経139.21869度 / 37.91628; 139.21869
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以下の記述は合併直前当時の旧葛塚町に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては北区 (新潟市)#葛塚地区などの記事を参照。

概要編集

江戸時代から定期市が開かれ、地域経済の中心として発展した在郷町の性格を持つ[1]

明治時代は新井郷川を利用した蒸気船により前身の葛塚村の頃から新潟-新発田間を中継する宿場町として栄えた。しかし、1912年大正元年)に新津駅 - 新発田駅間に鉄道が開通すると、人の流れは鉄道へシフトし停滞期に入る。その後、白新線が開通することにより発展することを期待されながら、昭和の大合併により1955年に消滅することになる。

町名の由来編集

新発田藩主の溝口のお殿様が福島潟上を渡っていた時に、葛が群生しておったため、葛塚と名づけられた、といわれている。

沿革編集

行政編集

歴代町長編集

学校編集

小学校編集

中学校編集

高等学校編集

交通編集

鉄道路線編集

現在は旧町域に黒山駅も設置されているが、当時は未開設。

道路編集

県道編集

  • 築地葛塚線(現新潟県道26号新発田豊栄線の一部)
  • 島見浜葛塚線(現新潟市道豊栄1-361号線・豊栄1-765号線の一部)
  • 葛塚新潟線(現新潟県道26号新発田豊栄線・新潟市道豊栄1-361号線の一部)
  • 葛塚水原線(現新潟県道26号新発田豊栄線・新潟市道豊栄1-361号線の一部)

脚注編集

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注釈

出典

  1. ^ 北区のお宝ものがたり 8.葛塚市とともに歩んできたまち (PDF) - 新潟市北区.2019年1月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『葛塚町報』 第15号 p.2-3 葛塚五十年史”. 葛塚町公民館 (1950年12月20日). 2016年1月20日閲覧。
  3. ^ 『広報とよさか』 第529号 p.13 ふるさととよさか今と昔 その1 豊栄市役所”. 豊栄市 (2004年5月15日). 2019年1月19日閲覧。
  4. ^ 『豊栄広報』 第216号 p.6-7”. 豊栄市 (1978年6月20日). 2015年12月21日閲覧。
  5. ^ 『広報とよさか』 第451号 p.2-3”. 豊栄市 (1997年12月15日). 2015年12月21日閲覧。

参考文献編集

  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

関連項目編集

外部リンク編集