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諏訪神社(すわじんじゃ)は、千葉県流山市駒木にある神社。通称は「駒木のお諏訪さま」。旧社格村社

諏訪神社
諏訪神社 拝殿
拝殿
所在地 千葉県流山市駒木657番地
位置 北緯35度52分6.86秒
東経139度56分7.30秒
主祭神 健御名方富命
社格村社
創建 大同2年(807年
本殿の様式 権現造
例祭 8月23日
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目次

祭神編集

歴史編集

利根川水系(利根川東遷事業前は鬼怒川水系)と現江戸川水系(同事業前は太日川渡良瀬川水系)の分水嶺にあたる台地上にある。境内には「諏訪神社遺跡」が存在しており、縄文時代後期から人が居住していたことがわかっている。

社伝によると大同2年(807年)に、天武天皇皇子高市皇子の後裔である高階氏の一部が移住し、この地を永住の地と定め、当地開発の守護神として、信州諏訪大社から分祀・創建されたとされる。また、それより以前、景行天皇の御代には既に祀社があったとされる。高市皇子と三輪高市麻呂の縁を示すこの神社の社伝は、大和国大神神社(大国主)や筑紫国宗像大社(宗像大神)とのかかわりも指摘される。

その後、平安時代末期の武将・源義家(八幡太郎)1039年-1106年)が後三年の役奥州に向かう際に立ち寄り、付近で軍馬の調達をした。戦勝後の帰路、諏訪神社に立ち寄って献馬をしたという伝承がある。諏訪神社付近一帯は馬の産地であり、のちに江戸幕府が軍馬牧場の小金牧として指定したが、その先史を伝えるとされる(諏訪神社の境内には「神馬の像」および「馬を連れた源義家像」の2体の青銅像が置かれている。また、千葉県道278号柏流山線をはさんで向かい南東側には「鞍掛」の地名が残るが、これは源義家が献馬の際に乗馬の鞍を掛けたことが由来という)。

『下総旧事考』の地図、『房総叢書』収録の『小金紀行』には、境内の杉の大木にある洞から湧く清水の記述がある。

明治以降、周囲に点在する神社が諏訪神社境内に遷されることが続き、多くの摂末社を抱えることとなった。付近の宮司が不在の神社での祭礼の際には、諏訪神社の宮司が派遣されることも少なくなく、一帯の中核の神社として今に至っている。敷地は約一万坪、境内の配置は第一鳥居・第二鳥居・随神門・第三鳥居・瑞垣門(神門)・摂末社と社殿であり、また鬱蒼とした大樹が茂る森を残している。

摂末社編集

  • 姫宮神社
創建時期不詳。元々は現諏訪神社の東側に隣接する字姫宮の、千葉県道279号豊四季停車場高田原線沿道にあったとされる。明治時代中期に引越しが行われ、諏訪神社境内に同居することとなった。もともとは、字姫宮の一帯までが連続して境内とされ、その西側に諏訪神社が、東側に姫宮神社が祀られていたものとみられている。
  • 雷神社
創建時期不詳。元々は現諏訪神社の北側に隣接する駒木字堂台にあったとされる。明治時代中期に引越しが行われ、諏訪神社境内に同居することとなった。祭神は別雷神で、本社は京都上加茂神社(賀茂別雷神社)。並びの脇社に天神社があるが、別雷神は菅原道真の霊とされている。
  • 天神社
創建は1462年とされる。元々は現諏訪神社の北側に隣接する駒木字中台にあったとされる。1985年に引越しが行われ、諏訪神社境内に同居することとなった。祭神は菅原道真。並びの脇社に菅原道真の化身を祭神とする雷神社が置かれている。
  • 国魂神社
創建は1887年とされる。元々は現諏訪神社の南東側に隣接する豊四季字鞍掛にあった。1952年に引越しが行われ、諏訪神社境内に同居することとなった。別名「道灌さま」。
  • 稲荷神社
創建年代不詳。いわゆる稲荷神社の系列で、祭神は古くは農耕神でありその後産業一般の神となった宇迦之御魂神
  • 恵比寿神社
創建年代不詳。祭神は恵比寿で、水蛭子(ひるこ)信仰に基づく。
  • 招魂之社
創建は1949年。戦没者の慰霊を目的としたものではあるが、第二次世界大戦における氏子の戦没者をとむらうために敗戦後に建立されたものであり、国家神道・靖国信仰系の招魂社とは由来が異なる。
  • 大鳥神社
創建年代不詳。祭神は日本武尊弟橘媛

主な祭事編集

拝礼の詞編集

 かけまくもかしこき  諏訪の大神  はらえたまえ  きよめたまえ  まもりたまえ  さきはえたまえ

現地情報編集

所在地
  • 千葉県流山市駒木657番地
交通アクセス

参考文献編集

  • 「おすわさま」諏訪神社々務所・篇

関連項目編集

外部リンク編集