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経歴編集

ゲーム制作者・実業家編集

小学生の時、大流行したインベーダーゲームに始まり、ゲーム好きが高じて、高校時代はゲームソフト作りに熱中。1年の時、広島のゲーム製作会社と契約。2年時にアメリカの高校に編入して1年後の1989年に卒業し、大阪府立大学工学部への入学と同時にコンパイル大阪開発室長に就任した。1993年大学3年24歳の時、大学のあった堺市のマンションで「ユークス」を創業し、大学卒業までに約20本の作品を開発。卒業後はPlayStationの立体表現を活かそうとプロレスゲームを開発し、1995年に製作したPlayStation用ゲームソフト『新日本プロレスリング闘魂烈伝』はトミーから発売されてシリーズ化され、累計販売100万本の大ヒットとなった。

初めて自社ブランドで製作した『封神領域エルツヴァーユ』は国内では不発だったが、海外から引き合いが多かったことで、最初からアメリカをターゲットにソフトを製作。『WWF SmackDown!』はアメリカで200万本を超える大ヒットとなってシリーズ化され、これまでのシリーズ累計では3000万本を軽く超えていると見られる。日本では『エキサイティングプロレス』と題して発売され、シリーズ化された。この作品のモデルとなった全米最大のプロレス団体WWF(現WWE)の日本普及にも力を入れ、テレビ放送や2002年にはWWFの8年ぶりの日本興行を横浜アリーナで実現させた。2001年、ナスダック・ジャパン(現ヘラクレス)に上場。

2005年には、経営不振に陥った日本最大手のプロレスリング団体『新日本プロレス』をホワイトナイトアントニオ猪木から全株式の51.5%の株を購入し、子会社化してオーナーとなった。東京スポーツやプロレス雑誌のインタビューにもたびたび登場して同社の再建に向けた情熱を語っていたが、2012年1月にブシロードに全株式を売却し、プロレス興行からは撤退している。

レーシングドライバー編集

モータースポーツにも力を入れ全日本プロドリフト選手権熊久保信重を中心とする「チームユークス」(チームオレンジ)として参戦しPS2向け公式ゲームも発売している。また自らもハンドルを握り、鈴鹿クラブマンレースで優勝し、アルテッツァシリーズにステップアップ。その後、山田英二と組んでスーパー耐久ST3に日産・フェアレディZで参戦し2005年シリーズチャンピオン獲得。2007年は森脇基恭監督のもと、全日本スポーツカー耐久選手権(ジャパンルマンシリーズ)に参戦し、優勝1回シリーズランキング2位。

2010年10月には岡山国際サーキットで開かれた世界ツーリングカー選手権(WTCC)日本ラウンドにスポット参戦(マシンはシボレー・ラセッティ)。1イベント2レース制で争われるWTCCの第1レースで、プライベーターで競われるインディペンデントクラス最上位となりクラス優勝を飾った。日本人がWTCCでクラス優勝したのは史上初[1]

2011年度はWTCC・インディペンデントクラスにシボレー・クルーズでフル参戦を果たしている。

脚注編集

外部リンク編集