赤化(せっか、せきか)は、国の体制を社会主義国になること、または人の思想社会主義共産主義になること[1]

由来編集

フランス革命時、ブルボン朝に反対した急進派の市民軍は王国政府が掲げた戒厳令旗である赤旗を奪い、逆にそれを革命の象徴とした。それを機に赤旗進歩主義革新の象徴とされるようになり、次第に社会主義共産主義の象徴とされるようになっていった[2]

そして、その事から社会主義化・共産主義化の事を「赤化」と呼ぶようになったという。

歴史編集

 
ベトコン兵士の像

ロシアは世界で初めて社会主義国となり、国名もソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)と改めた。社会主義は次第に勢力を広げ、第二次世界大戦が終わった頃にはアメリカを中心とする資本主義民主主義諸国(西側)とソ連を中心とする社会主義共産主義諸国(東側)に分かれ、どちらが勝つかとにらみ合う東西冷戦の構造が出来上がっていた[3]

冷戦中、資本主義陣営に入るか社会主義陣営に入るかで世界中の国々が揺れた。朝鮮半島に、ドイツ西分断された。中国では共産党が天下を取った。朝鮮では東西冷戦の代理戦争である朝鮮戦争が始まった。

かつて枢軸国であったハンガリールーマニアブルガリア戦後ソ連に占領されて赤化し、ポーランドチェコスロバキアユーゴスラビアアルバニアなどの東欧諸国も次々に赤化していった。

赤化を最も警戒していたのはアメリカ合衆国であった。そこでアメリカはその名の通り社会主義を封じ込める封じ込め政策を行なった。つまり、これ以上社会主義が広まらないように反共国家に軍事援助を行ったのである[4]

一方その頃、冷戦の影響はアジアにも及んでいた。ヨーロッパの冷戦は鉄のカーテンと揶揄されたが、アジアでは竹のカーテンと呼ばれた。アメリカは中国や北朝鮮を警戒していたが、中でも危険視していたのがベトナムであった。当時のベトナムは共産主義北ベトナム反共主義南ベトナムに分かれた分断国家であった。

もしベトナムが赤化すれば、周辺のラオスカンボジアまで赤化しかねない。そのためアメリカは南ベトナムを援助し、韓国オーストラリアタイフィリピンニュージーランドなどの反共諸国と共にベトナム包囲網を作り上げた。だがしかし、南ベトナム国内で左翼ゲリラベトコンが暗躍。そこでアメリカはベトコンを支援している北ベトナムそのものを崩壊させるべく北爆を開始。ついにベトナム戦争が始まった。当初はアメリカ軍が優勢だったものの、ソ連中国北朝鮮の援助もあって次第に北ベトナム軍が優勢になっていき、ベトコンのゲリラ戦も相まって1973年3月29日、ついに米軍はベトナムから撤退した[5]

アメリカはなんとか撤退できたものの、2年後の1975年サイゴン陥落で南ベトナムは崩壊。ベトナム完全赤化した。また、ラオスパテート・ラーオによって赤化し、カンボジアクメール・ルージュによって赤化したのであった。

こうして社会主義共産主義勢力は確実に勢力を拡大させていった。しかし、それも長くは続かなかった。1989年にはベルリンの壁崩壊によって東西ドイツが統一され、東欧革命東欧諸国も次々に民主化した。そして1991年には東側諸国の盟主であったソ連崩壊し、冷戦社会主義共産主義)の敗北に終わった。国家経済統制し、言論の自由を認めない体制は一般民衆の活力を奪い貧困を産み、不満を膨張させて自滅したのである。そして、北朝鮮の個人崇拝など社会主義国の悲惨な実態も明らかになってきた[6]

現在の社会主義国は、中国北朝鮮ベトナムラオスキューバの5ヶ国のみとなっている[7]

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ 赤化(せっか)の意味”. goo国語辞書. 2021年12月11日閲覧。
  2. ^ たかかいのシンボル、赤旗の由来は?”. 日本共産党 (2008年7月27日). 2021年12月11日閲覧。
  3. ^ 社会主義というカルトに占領された戦後”. 小林よしのり (2015年3月29日). 2021年12月11日閲覧。
  4. ^ ( ^ω^)ブーンで学ぶ世界史「ブーンで現代史」4ページ”. ◆ImMEukpfHw (2007年10月13日). 2021年12月11日閲覧。
  5. ^ ( ^ω^)ブーンで学ぶ世界史「ブーンで現代史」8ページ”. ◆ImMEukpfHw (2007年10月13日). 2021年12月11日閲覧。
  6. ^ 社会主義というカルトに占領された戦後”. 小林よしのり (2015年3月29日). 2021年12月11日閲覧。
  7. ^ 世界のすべての共産主義国のリスト”. Greelane.com (2020年4月11日). 2021年12月11日閲覧。