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鏡山部屋

日本の相撲部屋

歴史編集

伊勢ノ海部屋所属の横綱柏戸は、1969年(昭和44年)7月場所限りで現役を引退して年寄・7代鏡山を襲名し、それと同時に伊勢ノ海部屋から分家独立して鏡山部屋を創設した。以降、幕内・小沼蔵玉錦などといった関取を輩出した。1982年12月に当時の伊勢ノ海部屋の師匠である10代伊勢ノ海(元幕内・柏戸)が亡くなった際には、7代鏡山は11代伊勢ノ海を襲名して伊勢ノ海部屋を継承することを打診されたものの、7代鏡山はそれを固辞して引き続き鏡山部屋を運営していくことを選択している。その後、蔵前国技館最後の場所となった1984年9月場所において、所属力士の多賀竜が幕内最高優勝を果たした。

1996年(平成8年)12月に7代鏡山が逝去し、それに伴い、鏡山部屋の部屋付き親方である9代勝ノ浦(元関脇・多賀竜)が8代鏡山を襲名して鏡山部屋を継承した。2013年1月場所においてモンゴル出身の鏡桜が新十両へ昇進し、8代鏡山が部屋を継承してからは初となる関取が誕生した。現在は所属力士が2人というごく小規模な部屋となっている。

2019年9月16日に同じ時津風一門の14代井筒(元関脇・逆鉾)が急逝した際は[1]、井筒が師匠の井筒部屋が部屋付き親方が不在だったため、日本相撲協会が9月17日の緊急理事会にて『大相撲令和元年9月場所千秋楽までは井筒部屋所属力士を一時的に鏡山部屋預かり(形式上は井筒部屋所属とする)とし、場所後に井筒部屋の今後について協議する』ことを決めたため[2]、横綱・鶴竜力三郎を含む力士3名を一時的に預かった。9月場所終了後井筒部屋は消滅し、同じ時津風一門の陸奥部屋に転籍となったため、鶴竜を含む力士3名と床山1名は陸奥部屋所属となった。

所在地編集

師匠編集

  • 7代:鏡山 剛(かがみやま つよし、第47代横綱・柏戸・山形
  • 8代:鏡山 昇司(かがみやま しょうじ、関脇・多賀竜・茨城

力士編集

現役の関取経験力士編集

幕内編集

関脇
  • 多賀竜昇司(茨城)7代弟子
前頭

十両編集

所属編集

年寄
  • 勝ノ浦利郎(かつのうら としろう、前2・起利錦)

旧・鏡山部屋編集

江戸時代からの伝統を有し、明治・大正時代にも大きな勢力を持っていた雷部屋は、1927年(昭和2年)に親方が亡くなった後は一気に衰退した。その後、雷部屋の弟子を引き取った8代白玉(元関脇・玉椿)も間もなく亡くなってしまい、力士たちは四散してしまった。その中で同じ雷系列の八角部屋(旧・八角部屋)や中川部屋を引き継いだ武蔵川部屋(旧・武蔵川部屋)の力士たちをまとめる形で、1933年(昭和8年)から5代鏡山(元幕下金木山)が力士たちを引き取って鏡山部屋を設立した。

5代鏡山は雷部屋最後の弟子の中から番神山を、中川部屋からの三熊山を幕内力士に育て上げた。しかし、新十両入りを決めた信濃川が徴兵先から帰還しないうちに、1945年(昭和20年)に5代鏡山が亡くなったために鏡山部屋は閉鎖され、所属力士は伊勢ヶ濱部屋(旧・伊勢ヶ濱部屋)へ移籍した。信濃川も戦後に帰還してからは伊勢ヶ濱部屋に所属した。

脚注編集

  1. ^ "元関脇逆鉾、井筒親方が死去 58歳すい臓がんか". ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 2018-09-17. Retrieved 2018-09-17.
  2. ^ "鏡山部屋の一時預かりに 師匠急逝の井筒部屋力士ら". 産経ニュース. 産業経済新聞社. 2018-09-17. Retrieved 2018-09-17.

外部リンク編集