高田丈資

日本の将棋棋士

高田 丈資(たかだ たけし、1937年4月12日 - 1979年6月1日)は、将棋棋士荒巻三之九段門下。棋士番号は94。茨城県行方郡潮来町(現:潮来市)の生まれ。

 高田丈資 七段
名前 高田丈資
生年月日 (1937-04-12) 1937年4月12日
没年月日 (1979-06-01) 1979年6月1日(42歳没)
プロ入り年月日 1966年4月1日(28歳)
棋士番号 94
出身地 茨城県行方郡潮来町(現・潮来市
師匠 荒巻三之九段
弟子 石川陽生
段位 七段
棋士DB 高田丈資
順位戦最高クラス C級1組
2017年8月25日現在
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棋歴 編集

奨励会三段のときに、第9回(1965年度)古豪新鋭戦で4回戦まで勝ち進んでいる(4回戦で米長邦雄に敗れる)。1966年4月、28歳11ヶ月にしてプロ入り(四段)。

プロ1年目の第21期(1966年度)C級2組順位戦は、5勝7敗で負け越す。その中で、中原誠桐山清澄に敗れている(中原は12戦全勝で初昇級、桐山は10勝2敗・3位で昇級できず)。

2年目に第22期(1967年度)C級2組順位戦で9勝3敗・2位の成績を収め、C級1組へ昇級(五段昇段)。以降、B級2組へ昇級することはなかった。

第1回(1972年度後期)早指し将棋選手権で本戦2回戦に進出(中原名人(三冠)に敗れる)。同棋戦ではその後も活躍しており、第4回(1974年度前期)では本戦3回戦進出(桐山に敗れる)。第5回(1974年度後期)では早指しを得意とする加藤一二三(元十段)を予選で破り、本戦では2回戦まで進出。第10回(1977年度前期)では本戦1回戦進出。第11回1977年度後期)では本戦2回戦進出(中原名人(四冠)に敗れる)。第12回(1978年度)では本戦で森安秀光らを破り4回戦進出(有吉道夫(元棋聖)に敗れる)。

1977年、石川陽生を弟子に取る。

現役のまま、1979年に心不全のため[1]42歳で死去した。

棋風 編集

  • 振り飛車党で積極的な指し方をし、攻め・受け、ともに力強い棋風である。
  • 相手が振り飛車で来た場合、相振り飛車にすることもあったが、居飛車にすることの方が多かった。

人物 編集

  • 早指し棋戦を得意とし、東京12チャンネル(当時)の早指し将棋選手権に何度も登場、豪快な棋風から「行方(なめかた)の荒武者」などと司会の島田良夫アナウンサーに紹介された[2]

昇段履歴 編集

主な成績 編集

在籍クラス 編集

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦 (出典)竜王戦
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1966 21 C213
1967 22 C209
1968 23 C113
1969 24 C109
1970 25 C106
1971 26 C108
1972 27 C110
1973 28 C116
1974 29 C106
1975 30 C111
1976 主催者移行問題により中止
1977 36 C105
1978 37 C119
1979 38 C201
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

脚注 編集

  1. ^ 平成10年版「将棋年鑑」
  2. ^ 「将棋世界」1972年12月号など

関連項目 編集

外部リンク 編集