鮮于(せんう)は、漢姓の一つ。朝鮮・中国では珍しい二字姓である。

中国の姓 編集

鮮于
各種表記
繁体字 鮮于
簡体字 鲜于
拼音 Xiānyú
注音符号 ㄒㄧㄢㄩˊ
ラテン字 Hsianyu
広東語発音: Sin1jyu4
上海語発音: Sie1yu1
台湾語白話字 Sian-î, Sian-û
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鮮于(せんう)は、中華圏の姓。『百家姓』の437番目。

珍しい姓である。2020年の中華人民共和国の統計では人数順の上位14位の複姓に入っておらず[1]台湾の2018年の統計では860番目に多い姓で、24人がいる[2]

由来 編集

武王箕子朝鮮に封じ、その庶子の仲が于の地を采邑としたため、朝鮮と于から鮮于を氏としたという[3]

ほかに丁零にも鮮于姓があった。五胡十六国時代に趙王を名乗った鮮于乞や、定州丁零の鮮于台陽などの名が史書に見える。

著名な人物 編集

朝鮮の姓 編集

ソヌ
各種表記
ハングル 선우
漢字 鮮于
発音: ソヌ
日本語読み: せんう
ローマ字 Sŏnu
英語表記: Seonu ,Sunwoo, Seonwoo, Sonu, Sunoo, Sunwou, Seonwu, Sonwu
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鮮于(せんう、ソヌ、: 선우)は、朝鮮人の姓の一つである。朝鮮・中国では珍しい二字姓である。

著名な人物 編集

氏族 編集

本貫太原鮮于氏が大宗である。平壌鮮于氏というのがあるともいうが詳細は不明。『太原鮮于氏世譜』によれば高麗文宗の時代に中書注書の鮮于靖が始祖である。鮮于氏は清州韓氏幸州奇氏と共に箕子朝鮮に起源をもつ。『清州韓氏世譜』によれば箕子の第48代孫に友諒、友誠、友平の3兄弟がおり、それぞれ鮮于氏、箕(奇)氏、韓氏の祖先となった。または、箕子が箕子朝鮮を立てた後、長男・松を荘恵王に封じて、次男・仲を于山国に封じてその子孫が朝鮮の鮮と于山国の于を取って、姓とし、箕子の出身地中国山西省太原市を貫郷とした。いずれにしろ、始祖を鮮于靖、中始祖鮮于浹とし、現在に続いている。李氏朝鮮時代に4人の文科及第者を輩出した。

氏族(地域) 創始者 人数(2015年)[4]
金安鮮于氏 9
岐原鮮于氏 9
大元鮮于氏 57
水原鮮于氏 8
安城鮮于氏 12
定州鮮于氏 5
清州鮮于氏 10
忠州鮮于氏 16
太原鮮于氏 箕子朝鮮に起源をもつ、高麗文宗時代の鮮于靖 3,329
太宗鮮于氏 16
太川鮮于氏 25
太村鮮于氏 6
太平鮮于氏 15

人口と割合 編集

1930年度、日本統治下で行われた国勢調査によれば当時1226所帯中770世帯が平安北道に、258世帯が平安南道に分布していた。現在韓国地域に住む(下記の表参照)鮮于氏は大多数が関西地方(関西とは平安道黄海道)から南下して来た人々である。朝鮮戦争前後に共産主義に反対し、逃れてきた人も多い。

年度 人口 世帯数 順位 割合
1960年
1985年 756世帯 274姓中131位
2000年 3,560人
2015年 3,588人[4]

出典 編集

脚注 編集

  1. ^ 《二〇二〇年全国姓名报告》发布_部门政务_中国政府网”. www.gov.cn (2021年2月8日). 2023年1月19日閲覧。
  2. ^ 全國姓名統計分析”. 中華民国内政部. p. 290 (2018年10月). 2023年1月19日閲覧。
  3. ^ 元和姓纂』 下平二仙・鮮于https://archive.org/stream/06065090.cn#page/n6/mode/2up。"箕子封於朝鮮、支子仲食采於于。子孫因合鮮于為氏。"。 
  4. ^ a b KOSIS”. kosis.kr. 2022年11月21日閲覧。

関連項目 編集