黄金のバラ: Golden Rose)は、装飾品であり、カトリック教会教皇が伝統的に祝福するものである。黄金のバラは時折、敬意や愛情の証として贈られる。受領者には教会や聖地、王族や軍隊、政府も含まれてきた。

ジュゼッペ及びピエトロ・パオロ・スパーニャによる黄金のバラ。ローマで1818-19年頃に作成された。現在はウィーンホーフブルク宮殿にある。

重要性と象徴性編集

 
シエナのミヌッチオの黄金のバラ。ヨハネス22世からヌーシャテル伯のルドルフ3世に与えられたもの。

黄金のバラは四旬節の第4日曜日(「バラの主日」(en)としてもよく知られる)に祝福される。バラの主日には祭服の色が、悔悟の紫から、希望と喜びを象徴するバラ色(ローズピンク)に代えられる。四旬節のほとんどの期間を通じて、カトリック教徒は「祈り」「断食」「懺悔」そして、悪意による罪とそれがもたらす負の影響について黙想する。これは「バラの主日」はゴルゴタの丘におけるキリストの死を振り返る時節であり、その先にある(キリストの復活の)喜びと栄光の復活を迎える為である。 美しい黄金のバラはキリストの栄光の復活と威光の象徴とされる。(聖書中、救世主は次のように称えられている。「わたしはシャロンのばら、谷のゆりです。[1]」)

バラの香りについて、レオ13世は次のよう記している。「キリストに誠実に付き従うものたちによって広がる、主の甘い香りを表す (Pontificis Maximi Acta, Vol. VI, 104)」。また(そのバラの)茨と花びらの赤き色合いは、イエスの血にまみれた受難を示しているとした。

多くの教皇は黄金のバラを授ける際にその神秘的な意義について言及してきた。インノケンティウス3世は「レターレ[3]の日曜日(バラの主日)、この日によって、憎しみの後の愛、悲嘆の後の歓喜、空腹の後の満腹へと分け隔てられる。そう、黄金のバラはその色、香り、味わい、愛、喜びと満ち足りた状態によってそれを示すものだ」 とし、イザヤ書の第11章1節「エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び[4]」におけるその花と比較した。

現代のバラまでの歴史と発展編集

作品編集

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シクストゥス4世(在位 1471年-1484年)の時代よりも前は、黄金のバラは単純な構成をしており、純金で作られた単一の花でわずかに赤く染められたものだった。その後、この装飾品は神秘性を保ちながらも飾り付けられることとなり、金は染められずに、ルビーや貴重な宝石がバラの中心部や花弁に置かれるようになった。

シクストゥス4世は、単一のバラであったものを、茨の枝に多くの(10かそれ以上の)バラと葉がついたものに置き換えた。そのうちもっとも大きいバラは、周りを取り囲むもっと小さなバラのついた枝の頂上からはねたように飛び出したものであった。 主要となる大きなバラの中心には穴が開いていて、覆いのついた小さなティーカップのようになっており、その中にムスクバルサムがバラを祝福にするために教皇により注がれる。この装飾品全体は純金製である。この「シクストゥス風」のデザインはその装飾や大きさ、重さ、価値を多様に変化させながら維持されている。当初は高さが7.5センチメートル強ほどで小さく、教皇がサンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂からラテラノ宮殿までの行進の際、右手で大衆に祝福を与えるとき、左手で持ち運ぶことが容易であった。のちに、特に花瓶とその台座も装飾品の一部となったときは、強健な聖職者がそれらの装飾品を運ぶ必要があり、教皇の十字架英語版に先んじて行進で運ばれた。ヨーゼフ1世の妻であるアマーリア・ヴィルヘルミーネインノケンティウス11世から贈られたバラは9キログラムほどあり、高さが約45センチメートルあるものであった。そのバラは花束の形をしており、たくさん曲がりくねりながら一緒に茎の頂点まで到達する3つのねじれた枝が、大きなバラの花と葉の集まりを支えていた。

花瓶とその台座編集

黄金のバラを支える花瓶とその台座は様々な素材、重さ、形をしている。初期のころは金でできていたが、のちにしっかりとした銀メッキと金で作られるようになった。台座は三角柱、四角柱、八角柱のどれかの形で、様々な装飾品やレリーフで豪勢に装飾された。通例の署名に加え、作成者である教皇と祝福と授与者の紋章が台座に彫刻される。

装飾の価値編集

 
バチカン図書館にある黄金のバラ

バラの価値はそのときどきの教皇の気前のよさや、その時代の経済状況によって異なる。イエズス会士であったバルダサーリ神父によると (De Rosa Mediana, p.190)、1650年ごろに与えられたバラは、おおよそ13,943ドル[5]と言われる。アレクサンデル7世によって贈られた二つのバラはおおよそのところ、それぞれ22,308ドル[6]と33,462ドル[7]の価値があった。クレメンス9世フランス王妃に贈ったバラはおおよそ33,462ドルで、3.6キログラム(8ポンド)の重さの金で作られていた。このバラを作った職人の技術はとびぬけて優れており、その職人は8,366ドル[8]を報酬として得た。計39,039ドル[9]の費用をかけてインノケンティウス9世は、3.8キログラム(8.5ポンド)ほどの金を使ったたくさんのサファイアで飾られたバラを作った。19世紀には55,770ドル[10]以上の費用がかかるバラは少なくなかった。[11]

起源編集

バラを与えるという習慣は、古代にカトリックの統治の印である金の鍵が聖ペトロの告解によりもたらされた例に倣ったものであり、この慣習はグレゴリウス2世あるいはグレゴリウス3世に依ってはじめられたとされる。 この黄金のバラと金の鍵の関連についてはある類推が存在する。二つはともに有名なカトリック教徒としての教皇により祝福され授けられた純金を用いて作られていること。また、バラにはムスクバルサムが含まれ、鍵は聖ペテロの司教座(教皇の祭壇)に収められていることから、どちらも聖遺物容器(聖骨箱)を連想させることである。

黄金のバラの習慣ができた正確な日時は不明であり、シャルルマーニュの時代より前とも、12世紀終わりに起源をもつとも言われているが、レオ9世(在位:1049年 - 1054年)が黄金のバラは古代からの習慣であると述べているので、1050年よりは前に起源をもつと確実視されている。

(今も行われている)伝統的な慣習は教皇がアヴィニョンに移された頃に始まったもので、教皇の宮廷英語版において、もっとも相応しい君主・諸侯に与えられた。この慣習は教皇権がローマに戻った後も続けられ、厳粛な儀式において教皇からバラを受け取った貴族は、教皇の住む宮殿から居住地まで枢機卿団に同伴されるものだった。17世紀の初頭からは、黄金のバラは王妃、王族の女性、傑出した貴族にのみ贈られるようになり、皇帝や諸王(君主)、その他王族の男性には祝福された剣と帽子英語版がより適した贈り物として贈られるようになった。しかしながら、相応しいカトリックの皇帝や君主、あるいは有力な王族の男性がバラの主日にローマにいた場合、バラも一緒に受け取るものであった。

ローマの外に住む人に黄金のバラを運んで授ける任務は、教皇によってレターレと呼ばれる枢機卿の使節、教皇庁使節英語版教皇庁公使英語版教皇特使英語版に与えられた。1895年には、「黄金のバラの使者」や「黄金のバラの保持者」と呼ばれる王室のメンバーに与えられる新しい役割(世襲ではない)が制度化され、教皇公邸管理部英語版の階級にあたる、外套と短剣に携わる秘密侍従に割り当てられたが、いまはもう存在しない。

バラの祝福編集

 
ベネディクト16世からアメリカの無原罪の御宿りバシリカ(en)に贈られた黄金のバラ

最古のバラは祝福を与えられていなかった。それよりもむしろ、祝福は儀式をより厳粛なものにし受取人の大きな威厳を引きだすために導入された。ペトラ枢機卿の記録 (Comment. in Constit. Apostolicas, III, 2, col. 1) によると、インノケンティウス4世が最初に祝福を与えたとされる。これには他の主張もあり、インノケンティウス3世アレクサンデル3世レオ9世などが始まりだったとの説もある。別の説では、1951年にレオ9世がフランケンバンベルクの女子修道院に恩恵を施したもので、祝福されるように黄金のバラを与え、毎年のバラの主日に運ばせた、とテオフィル・レイノー[12]は主張した (De rosa mediana a pontifice consecrata, IV, 413)。また、ベネディクトゥス14世は祝福の儀式は14世紀または15世紀の始め頃にはじまったものと宣言しているし、カタラヌス英語版[13]は初期のバラたちにはムスクバルサムが塗られていたが、祈祷者による香や聖水を伴う祝福はもっと古くからのもので、ユリウス2世が教皇を務めていた時期よりも以前のいつかだろうと考えていた。

現在は、教皇が毎年バラを祝福するが、いつも新しい別のバラを用意するわけではなく、古いバラは授与されるまでそのまま使い続けられる。

元々は(アヴィニョン捕囚以前は)、教皇がいた宮殿の(広いホールのような)聖具室で祝福されていたが、厳粛なミサとバラの寄贈ではサンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ聖堂(この聖堂はインノケンティウス3世に天のエルサレムとも称された)が使われた。祝福に続いて、厳粛なミサ曲が歌われる。これはどちらも教皇自身、もしくは首席の司祭枢機卿によって行われる。前者の場合、バラは豪華な金の刺繍の入ったバラ色の絹のヴェールの中に置かれ、後者の場合、跪くときまたは、入祭、回心の祈り、聖体奉挙[14]のときと、『主を讃えよ[15]』を歌うとき、教皇の手に抱えられる。手の中のバラと教皇はラテラノ宮殿へと祈りながら列を組んで戻り、ローマ長官は手綱を持って教皇の馬を導き、下馬を補助する。到着次第、教皇はこれらの行為の報酬と敬意の証としてバラを長官に渡す。1305年より前、バラは皇帝の戴冠式を除いてローマ外の人物には与えられていなかったが、アヴィニョンに仮の居を定めていた間(1305年 - 1375年)はローマの教会や聖堂を訪れることは出来なかったため、自らの宮殿にある彼らの教会堂で、バラの祝福を含む多くの宗教的な儀式が行われた(これがアカペラの起源である)。この慣習はローマに帰還した後にも続けられることとなった(シクストゥス5世は除く)。

現在のバラの祝福は、教皇の礼拝所英語版[16]の聖具室 (camera dei parimenti) で厳粛なミサと共に行われる。バラは灯されたろうそくと共にテーブルに置かれ、アルバとバラ色のストラにカッパ、美しく尊いミトラを被った教皇が、定型の唱和の短句と韻文の祈りとともに典礼を始める。 この祈りの中でもバラを信仰の証とし、イザヤ書(11:1)を引用している。

"O God! by Whose word and power all things have been created, by Whose will all things are directed, ...(中略)... as the fruit of good works, may unite in giving forth the perfume of the ointment of that flower sprung from the root of Jesse and which is the mystical flower of the field and lily of the valleys, and remain happy without end in eternal glory together with all the saints."

—Golden Rose - New Advent,the Catholic Encyclopedia

祈りが終わると、教皇は(助祭枢機卿に手渡される)お香振り香炉に入れ、バルサム、次にムスクの順で焚く。その後、バルサムと粉末状のムスクを重要なバラの中心(に作られている)の小さなカップに注ぐ。次に、バラを焚いて振り、煙を撒き散らす。これは聖水と共に行われる。その後、バラは部屋付きのもっとも若い聖職者に渡されて、教皇の前から教会堂へと運ばれ、教会堂の十字架の下に置かれた祭壇の、豊かに刺繍されたシルクのベールの上に置かれる。首席司祭枢機卿によるミサ曲が歌われる間はその場所に置かれたままであり、ミサが終わった後、バラは行列により教皇の下から聖具室に運ばれ(それに相応しい)立派な人々に授けられるまで専用の場所で慎重に保管される。

受領者編集

 
スケルベンフーフェルの聖マリア聖堂の黄金のバラ

黄金のバラは人物(男女及び夫婦)及び、国(州)や教会に授与された。

16世紀まで、黄金のバラは通常、君主などの貴族の男性に送られていたが、16世紀以降は貴族の女性や、夫人に送られることが一般的になった。 最後の男性への授与は、1759年にヴェネツィアのドージェであったフランチェスコ・ロレダン英語版に送られた。 最後の女性かつ貴族への授与は、1956年のルクセンブルク大公シャルロットへ送られたものであった。

黄金のバラが授与された主要な教会では、サン・ピエトロ大聖堂(5輪のバラ)、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂(4輪のバラ)[17]サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂(2輪のバラ)などが挙げられる[18]

パウロ6世より、全ての黄金のバラの授与は教会に対して行われている。また、ベネディクト16世の授与は全てマリア聖堂へのものであった。

受領者[19] 教皇 受領者の種別 受領者の地域 その他
1096 フルク4世 (アンジュー伯)英語版 ウルバヌス2世 男性 フランス [20]
1148 アルフォンソ7世 (カスティーリャ王) エウゲニウス3世 男性 スペイン
1163 ルイ7世 (フランス王) アレクサンデル3世 男性 フランス
1182 ウィリアム1世 (スコットランド王) ルキウス3世 男性 スコットランド
1227 レイモンド・オルシーニ グレゴリウス9世 男性 イタリア [21]
1244 サン=ジュスト教会、リヨン インノケンティウス4世 教会 フランス [21]
1304 サン・ドメーニコ教会、ペルージャ ベネディクトゥス11世 教会 イタリア [21]
1348 ルイ1世 (ナポリ王)英語版 クレメンス6世 男性 イタリア
1348 ラヨシュ1世 クレメンス6世 男性 ハンガリー [21]
1350 ニッコロ・アッチャイオーリ英語版 インノケンティウス6世 男性 イタリア [21]
1362-70 ヴァルデマー4世 (デンマーク王) ウルバヌス5世 男性 デンマーク [21]
1368 ジョヴァンナ1世 (ナポリ女王) ウルバヌス5世 女性 イタリア [21]
1369 サン・ピエトロ大聖堂 ウルバヌス5世 教会 イタリア [21]
1389 レイモンド・デル・バルゾー・オルシーニ英語版 ウルバヌス5世 男性 イタリア [21]
1391 アルベルト・デステ英語版 ボニファティウス9世 男性 イタリア [21]
1393 アストーレ・ダ・バニャカヴァッロ ボニファティウス9世 男性 イタリア [21]
1398 ウゴリーノ3世・トリンチ英語版 ボニファティウス9世 男性 イタリア [21]
1410 ニッコロ3世・デステ アレクサンデル5世 (対立教皇) 男性 イタリア [22]
1411 シャルル6世 (フランス王) ヨハネス23世 (対立教皇) 男性 フランス [22]
1413 ルイジ・アリドシ英語版 ヨハネス23世 (対立教皇) 男性 イタリア [22]
1415 ジギスムント (神聖ローマ皇帝) ヨハネス23世 (対立教皇) 男性 ドイツ [22]
1419 フィレンツェ共和国 マルティヌス5世 国(州) イタリア [22]
1420 グイダントーニオ・ダ・モンテフェルトロ マルティヌス5世 男性 イタリア [22]
1435 ジギスムント (神聖ローマ皇帝) エウゲニウス4世 男性 ドイツ [22]
1444 ヘンリー6世 (イングランド王) エウゲニウス4世 男性 イングランド
1448 カジミェシュ4世 (ポーランド王) ニコラウス5世 男性 ポーランド
1452 フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)エレオノーレ・フォン・ポルトゥガル ニコラウス5世 夫妻 ドイツ 戴冠式の後に授与。
1457 シャルル7世 (フランス王) カリストゥス3世 男性 フランス
1477 ルドヴィーコ3世・ゴンザーガ シクストゥス4世 男性 イタリア [23]
1482 エーバーハルト1世 (ヴュルテンベルク公) シクストゥス4世 男性 ドイツ
1486 ジェームズ3世 (スコットランド王) インノケンティウス8世 男性 スコットランド
1491 ジェームズ4世 (スコットランド王) インノケンティウス8世 男性 スコットランド
1493 イサベル1世 (カスティーリャ女王) アレクサンデル6世 女性 スペイン
1505 アレクサンデル (ポーランド王) ユリウス2世 男性 ポーランド
1506 マヌエル1世 (ポルトガル王) ユリウス2世 男性 ポルトガル
1514 マヌエル1世 (ポルトガル王) レオ10世 男性 ポルトガル
1518 フリードリヒ3世 (ザクセン選帝侯) レオ10世 男性 ドイツ
1512? ヘンリー8世 (イングランド王) ユリウス2世 男性 イングランド
1521? ヘンリー8世 (イングランド王) レオ10世 男性 イングランド
1524 ヘンリー8世 (イングランド王) クレメンス7世 男性 イングランド
1537 フェデリーコ2世・ゴンザーガ パウルス3世 男性 イタリア [24] トリエント公会議での神父たちへの協力により。
1543 エルコレ2世・デステ パウルス3世 男性 イタリア [25]
1548 カトリーヌ・ド・メディシス パウルス3世 女性 フランス [25]
1550 ジョアン・マヌエル・デ・ポルトゥガル ユリウス3世 男性 ポルトガル [25]
1551 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 ユリウス3世 教会 イタリア [25]
1555 メアリー1世 (イングランド女王) パウルス4世 女性 イングランド [25]
1557 マリア・エンリケ・デ・トレド・イ・グスマン パウルス4世 女性 スペイン [25] フェルナンド・アルバレス・デ・トレドの妻
1560 メアリー (スコットランド女王) ピウス4世 女性 スコットランド
1561 アンナ・ヤギエロ ピウス4世 女性 Bohemia [25]
1564 ルッカ共和国英語版 ピウス4世 国(州) イタリア [25]
1572 シャルル9世 (フランス王) グレゴリウス13世 男性 フランス サン・バルテルミの虐殺の勲功により授与
1574 ドン・フアン・デ・アウストリア グレゴリウス13世 男性 スペイン ナポリの聖クレア教会において教皇の侍従より「(教皇の)慈悲と父なる愛のしるしとして(in token of his benevolence and paternal love.)」授与。[26]
1592 アンリ4世 (フランス王) クレメンス8世 男性 フランス
1598 マルガレーテ・フォン・エスターライヒ (スペイン王妃) クレメンス8世 女性 スペイン 授与されたその日にフェリペ3世と代理結婚をした。
1607 サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会 パウルス5世 教会 イタリア [27]
1610 サンクタ・サンクトラム聖堂英語版 パウルス5世 教会 イタリア [27]
1625 ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス ウルバヌス8世 女性 イングランド及びスコットランド [27] アミアンにて授与
1626/7 フェルディナンド2世・デ・メディチ ウルバヌス8世 男性 イタリア [27]
1628 マリーア・マッダレーナ・ダウストリア ウルバヌス8世 女性 イタリア [27]
1630 マリア・アンナ・フォン・シュパーニエン ウルバヌス8世 女性 ドイツ [27] 授与当時はハンガリー王妃。後に神聖ローマ帝国皇后。
1631 タッデオ・バルベリーニ英語版 ウルバヌス8世 男性 イタリア [27] 教皇の甥であった。
1634 サン・ピエトロ大聖堂 ウルバヌス8世 教会 イタリア [27]
1635 マリア・アンナ ウルバヌス8世 女性 ドイツ [28]
1649 マリアナ・デ・アウストリア インノケンティウス10世 女性 スペイン [29]
1651? ルドヴィーカ・マリア・ゴンザーガ インノケンティウス10世 女性 ポーランド [29]
1654 ルクレツィア・バルベリーニ インノケンティウス10世 女性 イタリア [29]
1658 シエナ大聖堂 アレクサンデル7世 教会 イタリア [29] 教皇の故郷の大聖堂。
1668 マリー・テレーズ・ドートリッシュ アレクサンデル7世 女性 フランス 教皇は、彼女の幼い息子であったドーフィンの名付け親であった。
1672 エレオノーレ・マリア・ヨーゼファ クレメンス10世 女性 ポーランド
1684 マリー・カジミール インノケンティウス11世 女性 ポーランド
1699 アマーリア・ヴィルヘルミーネ インノケンティウス12世 女性 ドイツ
1701 マリア・ルイーザ・ディ・サヴォイア クレメンス11世 女性 スペイン
1726 ヴィオランテ・ベアトリーチェ ベネディクトゥス13世 女性 イタリア [30]
1736 マリア・ヨーゼファ クレメンス12世 女性 ポーランド [31]
1759 フランチェスコ・ロレダン英語版 クレメンス13世 男性 イタリア
1776 マリア・クリスティーナ ピウス6世 女性 オーストリア
1784 マリア・アマーリア・ダズブルゴ ピウス6世 女性 イタリア
1790 マリア・カロリーナ・ダズブルゴ ピウス6世 女性 イタリア
1819 カロリーネ・アウグステ レオ12世 女性 オーストリア
1825 マリーア・テレーザ レオ12世 女性 イタリア
1830 チンゴリの大聖堂 ピウス8世 教会 イタリア [32] 教皇の故郷の大聖堂。
1832 マリア・アンナ・フォン・ザヴォイエン グレゴリウス16世 女性 オーストリア [32] 授与当時はハンガリー王妃。後にオーストリア皇帝の皇后。
1833 サン・マルコ寺院 グレゴリウス16世 教会 イタリア [32]
1842 マリア2世 (ポルトガル女王) グレゴリウス16世 女性 ポルトガル
1849 マリア・ピア・デ・サボイア ピウス9世 女性 イタリア 洗礼時に彼女の祖父より授与。のちにポルトガル王妃。
1856 ウジェニー・ド・モンティジョ ピウス9世 女性 フランス
1861 マリーア・ソフィア ピウス9世 女性 イタリア
1868 エリーザベト (オーストリア皇后) ピウス9世 女性 オーストリア
1868 イサベル2世 (スペイン女王) ピウス9世 女性 スペイン
1870 ポルトゲージのサンタントニオ教会英語版 ピウス9世 教会 イタリア [33]
1877 ルルドの聖母の聖地英語版 ピウス9世 聖堂 フランス [34]
1886 マリア・クリスティーナ レオ13世 女性 スペイン
1888 イザベル・ド・ブラジル レオ13世 女性 ブラジル 黄金法英語版を参照。ブラジルの奴隷廃止法。
1892 アメリー・ドルレアン レオ13世 女性 ポルトガル
1893 マリー=アンリエット レオ13世 女性 ベルギー
1923 ヴィクトリア・ユージェニー・オブ・バッテンバーグ ピウス11世 女性 スペイン
1926 エリザベート・ド・バヴィエール ピウス11世 女性 ベルギー
1930 エレナ・デル・モンテネグロ ピウス11世 女性 イタリア [35]
1937 エレナ・デル・モンテネグロ ピウス11世 女性 イタリア [36] 結婚40周年を記念して。
1953 セー大聖堂 ピウス12世 教会 India [37] フランシスコ・ザビエルの墓碑がある。
1956 シャルロット (ルクセンブルク大公) ピウス12世 女性 ルクセンブルク
1964 降誕教会 パウロ6世 教会 パレスチナ [38]
1965 ファティマの聖母の聖地英語版 パウロ6世 聖堂 ポルトガル [39]
1966 グアダルーペの聖母聖堂英語版 パウロ6世 教会 メキシコ [37]
1967 アパレシーダの聖母聖堂(旧聖堂)英語版 パウロ6世 教会 ブラジル [37]
1979 ヤスナ・グラの聖母ヤスナ・グラ修道院 ヨハネ・パウロ2世 聖堂 ポーランド [40]
1979 クノック聖堂 ヨハネ・パウロ2世 聖堂 アイルランド [41]
1982 ルハンの聖母聖堂英語版 ヨハネ・パウロ2世 聖堂 アルゼンチン [42][43][44][45]
1987 カルヴァリア・ゼブジドフスカ ヨハネ・パウロ2世 聖堂 ポーランド [46]
1988 宣教の聖母の至聖所 ヨハネ・パウロ2世 聖堂 ペルー、リマ [47]
2000 ロレートの聖なる家 ヨハネ・パウロ2世 聖堂 イタリア [48]
2004 ルルドの聖母の聖地 ヨハネ・パウロ2世 聖堂 フランス [49] 二度目。
2004 聖ジョゼフ聖堂英語版 ヨハネ・パウロ2世 教会 カナダ、モントリオール

[50]

2004 サメイロの聖母の聖地英語版 ヨハネ・パウロ2世 聖堂 ポルトガル、ブラガ

[51]

2006 ヤスナ・グラの聖母(ヤスナ・グラ修道院) ベネディクト16世 聖堂 ポーランド [52]二度目。
2007 アパレシーダの聖母聖堂(新聖堂)英語版 ベネディクト16世 聖堂 ブラジル [53]
2007 マリアツェル聖堂英語版 ベネディクト16世 聖堂 オーストリア [54][55]
2008 アルテッティングの聖母巡礼聖堂英語版 ベネディクト16世 聖堂 ドイツ、アルテッティング [56]
2008 無原罪の御宿りの聖母教会英語版 ベネディクト16世 聖堂 アメリカ、ワシントン D.C. [57]
2008 ノストラ=シニョーラ・デッラ・ミゼリコルディアの聖地英語版 ベネディクト16世 聖堂 イタリア、サヴォーナ [58]
2008 ノストラ=シニョーラ・デッラ・ガルディアの巡礼聖堂英語版 ベネディクト16世 聖堂 イタリア、ジェノヴァ [58]
2008 ボナリアの聖母巡礼聖堂英語版 ベネディクト16世 聖堂 イタリア、カリャリ [58]
2008 ポンペイのロザリオの聖母の巡礼聖堂英語版 ベネディクト16世 聖堂 イタリア、ポンペイ [59]

[60]

2009 十字架の聖母の巡礼聖堂 ベネディクト16世 聖堂 イタリア、アクイラ 地震の後[61]
2009 エウローパの聖母マリア教会 ベネディクト16世 聖堂 ジブラルタル [62][63]
2009 カベサの聖母聖堂英語版 ベネディクト16世 聖堂 スペイン、ハエン [58]
2010 ヌエストラ・セニョーラ・デル・ヴァレ大聖堂英語版 ベネディクト16世 教会 アルゼンチン [45][64]
2010 タ・ピーヌ聖堂英語版 ベネディクト16世 聖堂 マルタ共和国 [65]
2010 ファティマの聖母の聖地 ベネディクト16世 聖堂 ポルトガル 二度目。[66]

[67]

2010 ヴァレーの聖母の聖地英語版 ベネディクト16世 聖堂 アルゼンチン、カタマルカ [68]
2010 ソコロの聖母スペイン語版 ベネディクト16世 聖堂 ベネズエラ、バレンシア [69]
2011 スケルペンフーフェルの聖母聖堂英語版 ベネディクト16世 聖堂 ベルギー

[70]

2012 サンチュアリオ・ナシオナル・デ・ヌエストラ・デ・ラ・カリダ英語版 ベネディクト16世 教会 キューバ、コブレ [71][72]
2013 グアダルーペの聖母聖堂 フランシスコ 聖堂 メキシコ

[73] 二度目。

出典編集

  •   この記事にはパブリックドメインである次の百科事典本文を含む: Herbermann, Charles, ed. (1913). "Golden Rose". Catholic Encyclopedia. New York: Robert Appleton Company. [10] ( Article "Golden Rose" by PMJ Rock, 1909 ).
  1. ^ 雅歌 2:1
  2. ^ Laudate | キリスト教マメ知識 典礼の色
  3. ^ (Latere) レタレとも。歓喜の意。混同しやすいが「喜びの主日」は待降節の第3主日[2]
  4. ^ イザヤ 11:1
  5. ^ 本項の底本であるCatholic Encyclopedia発行当時(1909年)の500ドル
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  8. ^ 本項の底本であるCatholic Encyclopedia発行当時(1909年)の300ドル
  9. ^ 本項の底本であるCatholic Encyclopedia発行当時(1909年)の1400ドル
  10. ^ 本項の底本であるCatholic Encyclopedia発行当時(1909年)の2000ドル
  11. ^ Catholic Encyclopedia, article "Golden Rose"
  12. ^ (Theophile Raynaud、1583年11月15日 - 1663年10月31日)神学者。
  13. ^ (Catalanus, Giuseppe Catalani) 18世紀の典礼式文の権威。
  14. ^ 拝領前。パンとワインが聖変化したときの祈り。
  15. ^ Cathoric Encyclopediaでは"Laudemus in Domino"としている。
  16. ^ 仮リンク英語版では、Papal householdのPapal Chapelを参照のこと。
  17. ^ いくつかの出典において、2組の4輪のバラが適切な聖堂と、Sancta Sanctorumと呼ばれる聖堂に送られたとある。
  18. ^ http://archive.thetablet.co.uk/article/31st-january-1959/10/from-our-notebook
  19. ^ 本項目の(特に赤リンクの教会)日本語による表記名は訳者によるもので、必ずしも正確な名称を示しているものではないので注意。
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外部リンク編集