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1982年の日本競馬(1982ねんのにほんけいば)では、1982年昭和57年)の日本競馬界についてまとめる。馬齢は旧表記で統一する。

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できごと 編集

1月 - 3月 編集

  • 1月6日 - 第16回アジア競馬会議タイバンコクで開催され、日本中央競馬会の斎藤吉郎常務理事らが出席する[1]
  • 3月1日
    • オーストラリアキャンベラで第16回TBA(場外馬券公社)総支配人会議が開催され、日本中央競馬会の幡新洋介が出席する[1]
    • 日本中央競馬会の馬事公苑白井分苑が競馬学校として改組され、厩舎関係者の一元的教育機関として活用されることになる[1]
  • 3月23日 - 日本中央競馬会の白井競馬学校が開校式を迎える。4月から第1期生を養成開始[1]

4月 - 6月 編集

  • 4月2日 - 日本中央競馬会競走馬総合研究所栃木支所が、ゲタウイルス感染症の研究で日本獣医学会賞を受賞する[1]
  • 4月17日 - 厩務員組合の京葉労組のストライキのため、3回中山競馬7日・8日開催は同労組組織員の担当馬を除外して施行された。また、皐月賞の前日発売が中止されている[1]
  • 5月22日 - 梅田場外発売所の分館が開設される[1]
  • 5月23日 - 日本中央競馬会は優駿牝馬開催当日を「レディースデー」として初開催。この年以降も開催されるようになる[1]
  • 6月1日 - 地方競馬全国協会が騎手教養所を改組し、地方競馬教養センターと改称するとともに、地方競馬研修館を新設[1]
  • 6月13日 - 韓国の李奉来騎手が来日し、新潟県営競馬で騎乗。以後「日韓チャレンジカップ」として毎年交流が行われる[1]
  • 6月22日 - アズマキングが地方所属馬としては初となる2億円の総賞金を獲得[1]

7月 - 9月 編集

  • 8月 - 地方競馬全国協会が創立20周年式典を行う[2]
  • 9月23日 - 日本中央競馬会の厩舎関係者8名および職員1名が欧米研修に出発する[2]

10月 - 12月 編集

  • 10月4日 - 第14回パリ国際競馬会議に、日本中央競馬会から塩田清隆常務理事らが出席する[2]
  • 10月9日 - 浅草電話投票所が開設、業務を開始する[2]
  • 11月3日 - 中央競馬の小川佐助調教師が黄綬褒章を受章する[2]
  • 11月6日 - 京都電話投票所が開設、業務を開始する[2]
  • 11月21日 - 日本中央競馬会がエリザベス女王杯当日もレディースデーとして開催するようになる[2]
  • 12月4日 - 千葉電話投票所が開設、業務を開始する[2]

その他 編集

競走成績 編集

中央競馬の主な競走 編集

中央競馬・障害 編集

表彰 編集

優駿賞 編集

  • 年度代表馬・最優秀5歳以上牡馬 ヒカリデュール
  • 最優秀3歳牡馬 ダイゼンキング
  • 最優秀3歳牝馬 ダイナカール
  • 最優秀4歳牡馬 バンブーアトラス
  • 最優秀4歳牝馬 ビクトリアクラウン
  • 最優秀5歳以上牝馬 スイートネイティブ
  • 最優秀父内国産馬 メジロティターン
  • 最優秀スプリンター 該当馬なし
  • 最優秀障害馬 キングスポイント
  • 最優秀アラブ ハイロータリー
  • ドリーム賞 モンテプリンス

誕生 編集

この年に生まれた競走馬は1985年のクラシック世代となる。

競走馬 編集

人物 編集

死去 編集

脚注 編集

参考文献 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『総合年表』p.209
  2. ^ a b c d e f g h 『総合年表』p.210