LANPAランパ)は、かつて日本で活躍していた音楽バンド

LANPA
出身地 日本の旗 日本
ジャンル J-POP
ロック
活動期間 1989年 - 1994年
レーベル テイチクエンタテインメント
メンバー 八千代(ボーカル)
平松靖(ギター)
旧メンバー 玉置浩二(ギター)
小川喜昌(ベース)
中本好己(ドラムス・パーカッション)

概要 編集

1989年大阪府で結成。翌1990年5月26日TBSテレビの『三宅裕司のいかすバンド天国』に出場(因みにこの番組はLANPAの地元・大阪では放送されていなかった)。それまでのイカ天キング(20代目)のSOLID BONDがプロデビューが決まり、実質上プロバンドとなったことで自ら辞退を申し入れたことで、出場10バンドの中から選ばれたLANPAが“不戦勝”のような形でそのまま21代目イカ天キングとなった。

タテノリや、色物の出場も多かったイカ天に、1970年代1980年代ニューミュージックを思わせるサウンドも持つLANPAの出場は一石を投じる形となった。4週勝ち抜いてグランドイカ天キングに王手をかけるも、その5週目で同じ大阪からやってきたバンド、悪名エレキショーに0対7で敗れる。

1991年2月21日テイチクエンタテインメントからアルバム『水の上のPEDESTRIAN』をリリースしメジャーデビュー。当初、メンバーは5人で活動していたが後に八千代を含む2人のみの活動になる。

1994年頃解散。八千代は同じLANPAのメンバーであり、現在の夫である平松靖とのユニット「NAP ON MONDAY」、小倉博和佐橋佳幸との3人ユニット「SOY」を経て、現在はサザンオールスターズのサポートメンバー、ソロで活躍している。

メンバー 編集

脱退後はセッション・ミュージシャンとして活動。劇団惑星ピスタチオの演劇伴奏などに参加。
脱退後はセッション・ミュージシャンとして活動。劇団惑星ピスタチオの演劇伴奏などに参加。
    • 後期には、このうち2人のみの活動となっていた。

ディスコグラフィー 編集

シングル 編集

アルバム 編集

  • 水の上のPEDESTRIAN (1991年2月21日)
    • LOCH SENU/水の上のPEDESTRIAN/RANDOM POLE/JELLYFISH/NOW BE QUIET/サディスティックな鳥のように/大地に雨/MOONLIGHT MADNESS/記憶の森/BLUE OYSTER/あの時の私達は
  • 世界の秘密〜Young Person's Guide To This Feeling〜(1992年2月21日)
    • Mouri/恋の粘土/天使のDIVE/この海と空/ALL MY LOVE/移動遊園地/Valentine Holy/楽しい暮し/熊使いの男/Francesco
  • 画家の恋人 (1993年6月23日)
    • 昨日の残像/とある近景/ブルーな予感/結末はスティングのように/YESTERMORROWの休日/一段高い窓から/夜の虹/月の人魚/MIRROR GAME/FOR NEW BORN CHILD/心のアラームをとめて

タイアップ一覧 編集

[注釈 2] 曲名 タイアップ
1992年 この海と空 テレビ朝日系『いいな世界WA!』エンディングテーマ[1]
All My Love NKKグループ企業篇CFソング

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 安全地帯出身のミュージシャン、玉置浩二とは別人。
  2. ^ 楽曲が起用された年ではなく、音源化された年で記載。

出典 編集

  1. ^ この海と空”. ORICON NEWS. 2023年10月17日閲覧。

関連項目 編集