河原喜久恵
河原 喜久恵(かわはら きくえ、1902年(明治35年)9月21日[1][注釈 1] - 1997年(平成9年))は昭和期の声楽家(ソプラノ[3])。
河原喜久恵 | |
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1956年 | |
基本情報 | |
生誕 | 1902年9月21日 |
出身地 | 日本・東京府東京市芝区田村町 |
死没 | 1997年(94-95歳) |
学歴 |
日本高等女学校卒業 東京音楽学校本科声楽部卒業 東京音楽学校研究科声楽部修了 |
ジャンル | クラシック音楽、流行歌 |
職業 | 声楽家(ソプラノ) |
レーベル | 日本コロムビア |
経歴 編集
東京府芝区田村町(現在の東京都港区)出身。士官である河原喜久蔵の二女として生まれる。1920年(大正9年)に日本高等女学校(現・相模女子大学)を卒業。1923年(大正12年)に東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)に入学して長坂好子とマルガレーテ・ネトケ=レーヴェに師事し、1927年(昭和2年)3月に同校本科声楽部を卒業[2][3]。1929年(昭和4年)3月に同校研究科声楽部を修了[4]。山田耕筰の推薦によりコロムビアに入社。
1930年(昭和5年)「ザッツ・オーケー」「麗人の唄」、1931年(昭和6年)「月の浜辺」が大ヒット。1932年(昭和7年)松竹蒲田に入り、女優業の傍ら声楽の指導など行った。
ベーシスト阿部英雄と結婚するが、10年後破局。その後は、満州に渡り実業家として活動。1948年(昭和23年)引揚げ。
戦後は芸能界には復帰せず、千葉で市井の人として暮らした。
1997年(平成9年)、死去。享年96。
代表曲 編集
主な舞台出演 編集
- 1929年12月3~29日 - 日本楽劇協会公演『堕ちたる天女』天女(歌舞伎座)
- 1930年3月26・27日・4月2日 - 日本楽劇協会公演『椿姫』アンニーナ(歌舞伎座)[5]
- 1930年5月26~29日 - 日本楽劇協会公演『お蝶夫人』スズキ(東京劇場)[6]
- 1933年11月15・17・18日 - ヴォーカル・フォア公演『椿姫』フローラ(日比谷公会堂)[7]
- 1935年4月27日 - 『椿姫』フローラ/アンニーナ(名古屋公会堂、29日京都朝日会館、5月1・2日大阪朝日会館)[8]
- 1937年5月9日 - ヴォーカル・フォア公演『ホフマン物語(抜粋)』ジュリエッタ(日比谷公会堂)[9]
- 1939年3月26・27日、4月28・29日 - 藤原歌劇団公演『カルメン』フラスキータ(歌舞伎座)[10]