ハクセツ (1965年生)
ハクセツは日本の競走馬。公営・南関東競馬から中央競馬へ移籍し、牝馬東京タイムズ杯など重賞競走で3勝を挙げた。主戦騎手は岡部幸雄。岡部のキャリアにおける重賞初勝利馬としても知られる。美しい芦毛の馬体と愛らしい容貌から「白い美少女」と呼ばれた。地方競馬所属時の名前はハナミドリ。「ハクセツ」は漢字表記では「白雪」となり、母名セツシユウ(セッシュウ、雪舟)からの連想で名付けられている。
ハクセツ (旧名ハナミドリ) | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 芦毛 |
生誕 | 1965年3月23日 |
死没 |
1988年6月5日 (23歳没・旧24歳) |
父 | フソウ |
母 | セツシユウ |
母の父 | グレーロード |
生国 | 日本(千葉県富里村) |
生産者 | 扶桑牧場 |
馬主 | 中村勝五郎 |
調教師 | 高橋英夫(中山・白井) |
競走成績 | |
生涯成績 |
37戦11勝 (地方競馬16戦5勝) (中央競馬21戦6勝) |
獲得賞金 | 4485万4800円(中央競馬) |
半妹に1972年度優駿賞最優秀5歳以上牝馬・ジョセツ(父シーフュリュー)がいる。
経歴
編集中央移籍まで
編集1965年、千葉県富里村の扶桑牧場に生まれる。父は同場の生産馬で重賞2勝を挙げたフソウ。母セッシュウはフソウの従姪に当たり、近親には帝室御賞典を制したミラクルユートピア等がいる良血であった。しかしセッシュウ自身は中央・地方を通じて未勝利の凡馬であり、本馬はその母に似て非常に小柄で華奢な体格であった。このため3歳まで買い手が付かず、競馬会の購買による抽せん馬候補からも外れた。やむなく母を所有した中村勝五郎 (三代目)に引き受けられ、1967年、「ハナミドリ」と命名されて南関東競馬でデビューを迎えた。
当初は全く見所がないという評価であったが、翌年の関東オークスまでに15戦5勝という成績を残した。1番人気に推された同競走では競走前の怪我もあり敗れたものの、関係者は中央でも通用する手応えを掴み、1968年7月、「ハクセツ」と改名されて中山競馬場・白井分場の 高橋英夫厩舎に転厩した。高橋は騎手時代にフソウ、セッシュウ、祖母アオバに騎乗しており、調教師としては当年3月に厩舎を開業したばかりの新進であった。
中央競馬時代
編集中央初戦は池上昌弘を背に福島開催のオープン戦に出走。2番人気に支持されたが、5頭立て4着に終わった。次走の条件戦から、高橋の弟弟子であり、当時2年目の若手だった岡部幸雄に乗り替わりとなる。この競走で岡部は後方待機策を採ると、直線で追い込みを見せて先行勢を差し切り、中央初勝利を挙げた。
休養の後に秋の東京開催へ移り、オープン戦6着を経て牝馬東京タイムズ杯へ出走。優駿牝馬(オークス)優勝馬ルピナスなど強豪が揃い、ハクセツは49kgの軽量ながら16頭立て9番人気という低評価であった。しかし最後方待機から直線だけで全馬を交わして優勝し、重賞初制覇を果たした。これは岡部、高橋の双方にとっても初めての重賞勝利であり、岡部はこれを起点に引退まで171の重賞に勝利している。次走の金杯(東)では天皇賞・秋2着馬フイニイなど牡馬の一線級と初対戦となったが、前走と同様に後方から先行勢を差し切り、重賞2連勝を遂げた。
この後、2戦の反動から調子を落とし、以後3連敗を喫する。しかし4月末の府中特別で復活勝利を挙げると、6月に安田記念(当時ハンデキャップ競走)に出走。当日3番人気に推され、レースでは中団待機から直線で先頭に立った。しかし僅かにスパートが早く、ゴール寸前でハードウエイに差され、ハナ差の2着に終わった。
次走のオープン戦以来勝利から遠ざかったが、翌1970年7月に出走した七夕賞で、第3コーナーからの捲りを見せて、レコードタイムでの優勝を果たした。七夕賞は後に妹のジョセツがこの記録を破るレコードで勝利しており、姉妹制覇を達成している。以後は4戦して毎日王冠の3着が最高、11月に出走した牝馬ステークスでの最下位14着を最後に競走生活から退いた。
引退後
編集引退後は故郷・扶桑牧場で繁殖牝馬となったが、目立った産駒のないまま1987年の種付けを最後に繁殖生活からも引退。翌1988年6月に24歳(現表記23歳)で死去した。現存する子孫はごく僅かである。
中央競馬成績
編集年月日 | レース名 | 頭数 | 人気 | 着順 | 距離(状態) | タイム | 着差 | 騎手 | 斤量 | 勝ち馬/(2着馬) | |||
1968 | 7. | 29 | 福島 | オープン | 5 | 2 | 4着 | 芝1600m(良) | 1:38.3 | 1.7秒 | 池上昌弘 | 48 | ヤマトダケ |
8. | 4 | 福島 | 福島民報杯 | 6 | 4 | 1着 | 芝1800m(稍) | 1:28.1 | -0.3秒 | 岡部幸雄 | 51 | (ブレーンターフ) | |
11. | 9 | 東京 | オープン | 9 | 5 | 6着 | 芝1800m(良) | 1:53.0 | 1.7秒 | 岡部幸雄 | 52 | ルピナス | |
12. | 1 | 東京 | 牝馬東京タイムズ杯 | 16 | 9 | 1着 | 芝1600m(良) | 1:37.6 | -0.1秒 | 岡部幸雄 | 49 | (ニットウヤヨイ) | |
1969 | 1. | 5 | 中山 | 金杯(東) | 17 | 4 | 1着 | 芝2000m(良) | 2:04.4 | -0.1秒 | 岡部幸雄 | 49 | (ダーリングヒメ) |
2. | 16 | 東京 | 京王杯スプリングH | 14 | 3 | 10着 | 芝1800m(不) | 1:53.6 | 1.2秒 | 岡部幸雄 | 52 | モンタサン | |
3. | 16 | 東京 | アジア競馬会議開催記念 | 11 | 4 | 6着 | ダ2100m(稍) | 2:12.1 | 1.4秒 | 岡部幸雄 | 54 | ニットウヤヨイ | |
4. | 13 | 中山 | 中山記念 | 11 | 3 | 9着 | 芝1800m(良) | 1:52.4 | 1.2秒 | 岡部幸雄 | 50 | メイジシロー | |
4. | 29 | 東京 | 府中特別 | 8 | 4 | 1着 | 芝2000m(良) | 2:02.5 | -0.3秒 | 岡部幸雄 | 50 | (メイジシロー) | |
6. | 1 | 東京 | 安田記念 | 14 | 3 | 2着 | 芝1600m(良) | 1:35.9 | 0.0秒 | 岡部幸雄 | 52 | ハードウエイ | |
10. | 12 | 福島 | オープン | 8 | 1 | 1着 | 芝1800m(稍) | 1:52.2 | -0.2秒 | 岡部幸雄 | 56 | (ハクセンショウ) | |
10. | 26 | 福島 | 福島大賞典 | 10 | 1 | 3着 | 芝1800m(稍) | 1:52.2 | 0.2秒 | 岡部幸雄 | 56 | マツセダン | |
12. | 7 | 中山 | クモハタ記念 | 12 | 4 | 5着 | 芝1800m(良) | 1:51.0 | 0.7秒 | 岡部幸雄 | 53 | ハクエイホウ | |
1970 | 1. | 4 | 東京 | 金杯(東) | 10 | 4 | 3着 | 芝2000m(良) | 2:04.1 | 0.3秒 | 岡部幸雄 | 53 | スイートフラッグ |
5. | 16 | 東京 | オープン | 11 | 3 | 11着 | 芝2000m(良) | 2:06.5 | 4.0秒 | 富田正信 | 51 | アカネテンリュウ | |
6. | 7 | 中山 | オープン | 8 | 2 | 6着 | 芝1800m(良) | 1:51.8 | 1.1秒 | 富田正信 | 51 | アカネテンリュウ | |
7. | 5 | 福島 | 七夕賞 | 9 | 2 | 1着 | 芝1800m(良) | R1:49.3 | -0.1秒 | 岡部幸雄 | 53 | (ヒガシヒンド) | |
8. | 9 | 福島 | 福島記念 | 8 | 4 | 4着 | 芝2000m(良) | 2:03.9 | 0.8秒 | 岡部幸雄 | 56 | スイジン | |
9. | 6 | 東京 | 毎日王冠 | 5 | 3 | 3着 | 芝2000m(良) | 2:04.1 | 0.5秒 | 岡部幸雄 | 55 | クリシバ | |
10. | 4 | 新潟 | 関屋記念 | 8 | 1 | 6着 | 芝1800m(良) | 1:49.7 | 0.2秒 | 岡部幸雄 | 55 | ヒガシライト | |
11. | 1 | 東京 | 牝馬ステークス | 14 | 9 | 14着 | 芝2000m(良) | 2:05.6 | 3.1秒 | 岡部幸雄 | 54 | キヨズイセン |
- タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
評価
編集妹のジョセツともども追い込み馬として知られており、2004年に競馬会の広報誌『優駿』が行った「個性派ホースベスト10」という企画において、 1950-1970年代の追い込み馬部門で第3位に選ばれている(8位ジョセツ)。小柄かつ細身の馬であったが、岡部は初めて騎乗した際の印象を「それまで乗ってきた馬と比べると、ハクセツの切れ味は天と地の差があった。見るからに華奢な馬でしたが、全身バネと闘志の塊でした」と回想している。一方で岡部以外の関係者からは長く実力を疑われており、金杯で重賞を連勝して初めて大方に認められる形となった。高橋は「私自身がその手合いだったのだ。いつまでもみにくいアヒルの子だと思っていたんですよ」と反省の弁を述べている。
白い美少女
編集その容貌の美しさについては早くから認められており、岡部は「鼻筋が通っていて、大きな瞳が魅力的でした。顔も小ぶりで八頭身スタイル。柄は小さかったが目立つ存在だった」、高橋は「楚々とした雰囲気のある純日本風美人」と評し、具体的には「少女時代の吉永小百合」と喩えている。ただし気性的にはきつい馬であったという。ジョセツは「白い恋人」と呼ばれ、「芦毛の美人姉妹」との評もとった。人間のみならず、JRA顕彰馬となっているスピードシンボリがハクセツに想いを寄せていたというエピソードも伝えられている。
血統表
編集ハクセツ (1965)の血統 (オービィ系(オーム系) / エミール3×4=18.75%) | (血統表の出典) | |||
父 フソウ 1950 鹿毛 日本 |
父の父 トシシロ 1940栗毛 日本 |
*ダイオライト Diolite |
Diophon | |
Needle Rock | ||||
月城 | Campfire | |||
*星旗 | ||||
父の母 マリーユートピア 1933鹿毛 日本 |
*シアンモア Shianmor |
Buchan | ||
Orlass | ||||
*エミール Emile |
Maori King | |||
Enileme | ||||
母 セツシユウ 1959 芦毛 日本 |
*グレーロード Graylord 1942 芦毛 アメリカ |
Mahmoud | Blenhim | |
Mah Mahal | ||||
Rude Awakening | Upset | |||
Cushion | ||||
母の母 アオバ 1953黒鹿毛 日本 |
ロツクフオード | *プリメロ | ||
*シガアナ | ||||
リリアンユートピア | セントユートピア | |||
*エミール F-No.C1 |
参考文献
編集- 『優駿』1982年8月号(日本中央競馬会)今井昭雄「脇役物語15 白い美少女 - ハクセツ」
- 『優駿』2004年10月号(日本中央競馬会)「記憶に残る名馬たち - 個性派ホース BEST10」
- 『競馬ワンダーランド』(ぴあ株式会社、1992年)「競馬場の白い風 - トレンドカラーをまとった馬たち」