リッキー・ローソン
リッキー・ローソン(Ricky Lawson、1954年11月8日 - 2013年12月23日)は、アメリカのセッション・ドラマーでコンポーザー。
リッキー・ローソン Ricky Lawson | |
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出生名 | Richard David Lawson |
生誕 |
1954年11月8日 アメリカ合衆国・ミシガン州デトロイト |
死没 |
2013年12月23日(59歳没) アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロングビーチ |
ジャンル |
ジャズ フュージョン ポップ・ミュージック ロック R&B |
職業 | ドラマー、コンポーザー |
担当楽器 | ドラム |
活動期間 | 1970年代 - 2013年 |
共同作業者 |
イエロージャケッツ マイケル・ジャクソン |
公式サイト | Ricky Lawson's Official Web page |
最初期のフュージョン・バンド、イエロージャケッツのオリジナル・メンバーで、マイケル・ジャクソンのツアーにも参加していた。
略歴
編集デトロイト出身。チャールズ・バニスター・ドラムスクールでドラムを学ぶ。同窓生にはマービン・レノアーがいる。
主にセッション・マンとして活動しており、ロベン・フォード等をサポートしていた。彼の1978年発表のアルバム『ギターに愛を (The Inside Story)』にキーボーディストのラッセル・フェランテ、ベーシストのジミー・ハスリップと参加し、共演したのをきっかけにイエロージャケッツを結成。1981年にワーナー・ブラザース・レコードと契約し、セルフ・タイトルのアルバムを発表した。ローソンは、1987年まで在籍していた。
以後もセッション・マンとして活動するなか、コンポーザーとしても活動した。1998年にはフィル・コリンズやアル・ジャロウ、ジェラルド・アルブライト、ジョージ・デューク等の友人達とともにソロ・アルバム『ファースト・シングス・ファースト』を発表した。
2013年12月13日の公演中に体調不良で病院に搬送された後、脳動脈瘤で重体となり入院していたが、12月23日に死去[1]。59歳没。翌2014年3月に発表されたフォープレイのベーシスト、ネイザン・イーストの初ソロ・アルバム『ネイザン・イースト』のレコーディングに参加しており、これが遺作となった[2]。
ディスコグラフィ
編集リーダー・アルバム
編集- 『ファースト・シングス・ファースト』 - First Things 1st (1998年)
- Ricky Lawson and Friends (2001年)
- Christmas with Friends (2008年)
イエロージャケッツ
編集- 『イエロージャケッツ』 - Yellowjackets (1981年)
- 『マリブの旋風 (かぜ)』 - Mirage a Trois (1983年)
- 『サムライ・サンバ』 - Samurai Samba (1985年)
- 『シェイズ』 - Shades (1986年)
参加アルバム
編集- スティーリー・ダン : 『トゥー・アゲインスト・ネイチャー』 - Two Against Nature (2000年)
- ネイザン・イースト : 『ネイザン・イースト』 - Nathan East (2014年)
脚注
編集- ^ 米ドラマー、R・ローソン氏が死去 MSN産経ニュース 2013年12月25日
- ^ Nathan East: Dramatic Debut Solo Album – Bass Musician Magazine, March 2014 Issue - Nathan East http://nathaneast.com 2014年3月1日